霊峰・大峰山の麓、修験道の里・天川村洞川の「旅館いろは」に宿泊

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大阪に仕事で訪れる事がここ1-2年多くなりました。自分の勤めている会社は出張時の宿泊に関しての明確な規定がなく、金額さえ"常識"の範囲内であれば何処に宿泊しても良いとなっています。これ迄で自分がしたことのある最も極端な滞在は、福岡市内の仕事だったにも関わらず、200キロ離れた宿を訳あって選んだ事もありました...。

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大阪での仕事を終えて、自分が向かったのは奈良県南部の天川村。大阪の次には奈良/京都を仕事で訪れる予定だったので、若干遠回りですが観光客でごった返す大阪市内での宿泊を避ける事にしました。街中よりも郊外の温泉旅館にでも宿泊した方が値段も安く、身体も休められ、翌日の仕事も頑張ろうという気分になるものです。

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橿原から山を越えて吉野に入り、下市→黒滝村→天川へと進んで行きました。下市の市街地あたりではクルマのワイパーを最速で左右に振る程の激しい雨に襲われるも、山中に入っていくと次第に収まっていき、虻トンネルを抜けて洞川温泉到着時には完全に降り止んでいました。

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洞川は飛鳥時代の修験道の始祖・役小角の直弟子である後鬼の出身地として、古くより大峯山を目指す修験道の行者が集う場所でした。近年では「洞川温泉」という名前が一般化しているも、その源泉が発見されたのは40年程前の昭和後期に掘り当てたもので、それまでは川上村から大峰山を登り、修行の後に山から下りて初めて目にする大きな集落が洞川でした。現在の様に洞川温泉側から「逆入り」で大峰山に登るようになったのは洞川まで道路が通り、バスが走ってからだと言われています。

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この日の宿は初めてお邪魔する「旅館いろは」さんです。大峰山へと続く「すずかけの道」と名付けられた洞川温泉の目抜き通りに面し、行者/観光客を通年受け入れています。洞川温泉は木造2階建ての建物が並ぶ街並みが有名ですが、これは昭和中期に街全体を焼いた大火があり、その時に再建を一斉にしたので統一感のある街並みとなったそうです。

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玄関より通りを眺めて見ると、入口に各地の"講"の額が飾られているのが見えました。非常出口灯の上に見える行者天狗面の版画は宿のご主人の作。館内のアチコチにご主人の手による版画が飾られているの目にすることができます。

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吉野葛本舗 理源堂と白く抜かれた暖簾が掛かる店舗が入口脇にあります。 寒根葛の根っこを親の仇であるかのように叩き、水選作業を飽きる程繰り返して採れる僅かなデンプン白粉。値段にして片栗粉(ジャガイモ)の10倍にもなる製品で、吉野地域を代表するお土産のひとつとなっている品物です。

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通りに面した部屋「松の間」に案内を受けました。部屋に到着するまでも、洞川温泉を代表する龍泉寺の護符や法螺貝等の修験道に関わりのある物が置かれていましたが、部屋にも何やら普段お目にかからない様な物がチラホラと。洞川は標高800メートルの緑に囲まれた山のなかなので、夏でも比較的過ごしやしい気候らしく、扇風機が置かれていました。

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温泉は入口にある札を返して、貸切にするシステムで、お言葉に甘えて独りで四肢を伸ばさせて頂きました。この宿は部屋数が9部屋とこじんまりした旅館なのですが、温泉は2箇所あるとの事。上の写真は「極楽の湯」と名付けられた風呂場で、もう片方の「いろはの湯」は宿泊者数が少ない為か閉じており、利用できませんでした。

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食後の夕食は違う部屋(隣り部屋)でと案内。此方も通りに面した部屋で、雨後の涼しい風が抜ける気持ちの良い場所で食事を頂くことに。窓を開けての食事は開放感が感じられて、近くから「カッコウ、カッコウ」と閑古鳥の声が聴こえていました。「憂きわれをさびしがらせよ閑古鳥」と浸りたいところですが、まずは目の前の食事が先決事項。

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小魚の甘辛煮・柚子風味の蒲鉾・枝豆の先付けから始まり、名物の葛使った蓮根饅頭等や地元の鮎の焼物と愉しい料理の数々を堪能させて頂くことができました。写真はないですがデザートは柚子風味の美味しいアイス。この様な料理は旅館に泊まる時の最大の楽しみです。

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日が沈む直前に街中の散歩に出てみました。講提灯に彩られ、縁側を広く開放した行者宿が並ぶ道歩くのは実に愉しいものでした。宿からもほど近い場所にある大峯山・龍泉寺の八大龍王堂。役小角が洞川で湧泉を発見し、八大龍王を祀ったのが草創だとか。昭和二十一年に発生した洞川の大火で山内は焼け落ちたので再建されたものだと思われます。この御堂の外側には鯉がぐるりと回って龍となる彫り物があり、ナカナカ迫力あるものでした。

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翌朝。洞川の名水豆腐、鮎の甘辛煮と地の幸の入った朝食でした。食後にはお店の売りでもある葛を使った葛湯をゆっくりと頂けます。さすがと言いますか、白濁しておらず美味しく程良い塩梅でした。

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木枠の窓、木製の欄干から眺める大峯山へと続く通り。旅館いろはの客室は7部屋。他の洞川温泉にある宿は多くは似たり寄ったりな小規模なもので、贅を凝らした日本旅館はありません。昭和レトロの町並みに飛鳥時代からの行者文化が隠れ見えする洞川温泉の良い宿でした。

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食後の散歩に龍泉寺の裏手から登って行ける「かりがね橋」を訪れて見ました。杉や樅等の針葉樹と水楢や黄檗などの広葉樹の混じりあった深い森が広がっています。 かりがね橋は地上から高さ50メートル、長さが120メートルにもなる大橋で、天川に住む岩燕に因んで「かりがね(地元での岩燕の呼び名)と名付けられた橋です。橋へ途中では大峯山も望める良い天気で絶好の山登り日和です。

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橋の上からは洞川温泉の町並みを一望する事ができました。大峰山は夏期間のみの修行の場であった為、麓の洞川の街が宿を開いていたのも昔は夏の間だけ。現在の様に通年で営業する様になったのは温泉発見後とごく最近なのだそうです。

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自分の父親が、義理の父と一緒に大峯山(山上ヶ岳)を登って「死ぬ思いだった」と言っていたのが印象的で覚えています。100メートル先のコンビニに行くのにもクルマを使う父親だったと思いつつ、目の前の清浄大橋(標高932メートル)を渡ってから「従是女人結界」と彫られた女人禁制の整備された道を1,699メートルの頂上まで登ること3時間。小学生の息子でも難無く登れるぞと思ったのでした...。