旗亭・金沢園からバトンタッチを受けた、旅館・喜多屋に宿泊

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神奈川県に家族で出かけて参りました。北風がピューピューと吹く夜に、横浜市にある「旅館 喜多屋」に到着したのはだいぶ日が暮れてからでした。当初は自分の家族に両親二人、弟家族と大人数で楽しくワイワイ宿泊する筈だったのですが、色々訳あって我が家だけのお泊まりでした。

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旅館・喜多屋は横浜市内で最も南に位置する金沢区にあり、八景島シーパラダイスや大型商業施設ベイサイドマリーナ、横浜市内唯一の海岸・野島海岸、そして沿岸部には無数の工場群がある土地です。金沢八景とも呼ばれ、明治期には別荘が立ち並ぶ国内有数の景勝地だったのですが、戦後の都心計画のなかで現在のような姿に大きく変容してきました。

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住宅、住宅、住宅と家ばかしが並ぶ市街地の何処に旅館があるのか目を凝らし、暗闇のある空間に旅館喜多屋を発見。昔からある料亭によくある場所といった感じです。翌朝に周囲を散歩して知ることになったですが、この旅館の裏手にある小山には熊野杜(旧柴岬大権現)があり、八景島と海の公園に挟まれて目立たない柴漁港の護り神を祀った神社でした。

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昭和五十五年(1980)撮影された当地の写真を見ると、埋立地にはまだ建物なく、人工島である八景島の姿を見ることはできません。八景島は人工島だとは知っていましたが、元からある砂州や小島を拡張しものではなく、イチから作り上げたとは初めて知りました。この写真見ると東京湾に面した柴漁港がかつての地域の中心で、そ背後に漁民が暮らす町があるのが見られます。旧柴岬大権現はその町と漁港を見下ろす位置立っており、元料亭の旅館喜多屋はその山の反対側の麓にあったようです。

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横浜・桜木町で営業した大正五年創業の料亭「満月」が前身で、この地に旗亭「金沢園」として昭和五年に開業。接待や結婚式等の場として珍重されるも、料亭として営業し続け創業100年を迎えた3年前に、その暖簾をおろしたのでした。

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シェアハウス事業営むAIJ社に経営が譲渡。HOSTEL金沢園という宿泊施設の当初案は金沢園四代目に受け入れられず、AIJ喜多正顕社長の苗字を用いて、「旅館 喜多屋」となったそうです。自分は「金沢園」時代に食事に来たことがあったので、まず入口の雑多ぶりにまず眼を見張りました。

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玄関にて呼べど暮らせど出てこないスタッフを待ち続けました。金沢園の建物は関東大震災で倒壊。喜多屋旅館となっている現在の建物は、元々品川にあった日本家屋移築したもので、木造二階建ての瓦葺で戦前の郊外行楽地における休泊施設の好例と評価を受け登録文化財となっています。

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当初は大広間と呼ばれる大部屋で、9人分の布団をずらりと並べて寝ようという案でした。我が家4人だけで40畳は大きすぎるということで、庭を望める部屋をひとつに変更。一階からの急階段を上り、部屋に到着すると部屋の端っこに布団が4つ並んでいました。縁側は腰付き障子で仕切られており、なかなか古風な趣きで良いのです...寒い。

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照明器具の暖かな灯りなのですが、昔の日本家屋は気密性が低く、風通しが良かったのを継承してか館内どこも寒い、寒い、とても寒かったです。喜多屋旅館の感想はと問われれば、館内も部屋の布団のなかも寒かったとの印象が思い浮かぶ程に寒い夜でした。

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モザイクタイルと色ガラスのある風呂場です。現在では法的に持ってこれなくなった、富士山の溶岩が湯船の後に置かれていました。脱衣場の扉を開けてから湯船に入るまでが、屋内であるにも寒風吹き荒ぶなかを歩く荒行の如し。湯船に浸かっていても肩から上が寒く、雪中の露天風呂にいるのかと錯覚を起こす程でした。
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さて、さて寝るぞと布団捲って見ると、湯たんぽが1布団にふたつ(@_@) この旅館に泊まっていた間で、この瞬間が一番幸せ感じられた時でした。寒風吹き止まぬ旅館で湯たんぽを発見した喜びよ…。

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この日は自分を含む家族全員が風邪気味で、宿泊地からほど近い船着場に翌朝6時集合での海釣りの予約をやむなく取り消ししたのでした。早朝の海風にこの状態吹かれようものなら、翌日に全員寝込むのは確実な雰囲気でした。冬の強い風が窓に叩きつける音を聞きながら眠りました。

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翌朝目覚めて、部屋からの外の眺めです。住友の大きな寮と、その向こうには金沢八景と新杉田結ぶ金沢シーサイドラインがかろうじて見えるも、かつては別荘、料亭が立ち並んだという海岸線は全く見えず、寂しい風景でした。

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時間を持て余した子供が、室内で備品の駒を廻し初めるも、障子や何かを破壊すると心配になり止めさせました。子供達は二人とも、古い旅館よりもプールや大浴場、スキー場、パターゴルフ場等の遊べる施設のある大型コンクリ建屋ホテルが好きだと言っています。

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以前は厨房だった空間がオープンキッチン型の食事処「カフェぼたん」となっています。名前だけ旅館が付いている感じの強い「旅館 喜多屋」の簡素な朝食と、金沢園から引き継いだと思われる汁器。外国人宿泊者をターゲットにホステル金沢園を開業しようとした現オーナー。金沢園の名前は使用しないでと拒否した前金沢園四代目。建物自体は寒さを除けば、渋くて好みなのですが、そのどちら付かずな存在に据わりの悪さを感じてしまいました。

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宿の方から許可を得て、3家族で宿泊する予定だった2階にある「大広間」の見学へ出発。「みだれ髪」や「君死にたまふことなかれ」の歌人・与謝野晶子の縁の場所で歌会が開かれた広間とのこと。「殊に金澤園の中に包容された岬の上の松陰に立つと...私は近縣の海岸線に於て是程の美しい展望に接したことが無い」と新聞に寄稿した文が残っております。

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此方がその大広間です。部屋の照明を探すのに苦労しました。部屋中や隣接する廊下にスイッチが見当たらず、他の部屋が並ぶ廊下の上部に部屋の照明スイッチをなんとか発見。「敬天愛人」の額を見て、与謝野晶子を考える...。

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食後のひと休憩を終えて、荷物を纏めました。宿の入口付近に停めていた我が家のクルマ「赤べこ号」が、昨晩の寒さで凍えているかのように感じられたので、火を入れて温めるかと早めの出発をしました。