山形県西川町・山菜料理の出羽屋にて、山のものを頂いてきました

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仕事で山形県を訪れた時に、山形県西川町間沢にある山菜料理で全国的にも知られる「出羽屋」さんにお邪魔して参りました。向唐破風の屋根の下におかれた大正時代より掲げられている看板を頭上に見て、山菜蕎麦を以前に頂いた記憶があるので2度目の訪問となります。コゴミやウコギ等が芽を出して春を告げる4-5月の山菜が旬の季節に本当は尋ねてみたかったのですが、実際に訪れられたのは6月に入ってからでした。

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東に奥羽山脈、西に朝日山地に囲まれた山形県東部の山形盆地の上空からの写真です。右手に流れているのは吾妻山を源とする最上川、左手に見えているのは西川町・旭岳を源とする寒河江川。最上川に多くの川が流れ込み、庄内平野にて日本海へと注ぐまで山形県の多くの地域に恵みをもたらす「うみにへるまでにごらざりけり」と歌われた大河の上流部。

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現在では東西山形県を結ぶ国道112号線が山形市と酒田市を結んでおりますが、寒河江の流域は古くは六十里越街道と呼ばれ、山形-寒河江-本道寺-志津-大岫峠-湯殿山-田麦俣-大網-十王峠-松根-鶴岡と、内陸の山形と日本海を結ぶ山岳路が走っていました。庄内地方の海産物や日本海交易による各地の産物や、村山盆地の紅花や真綿といった物資の交易路、山岳信仰の盛んな頃には出羽三山の湯殿山を目指す東北・関東より道者で賑わった巡礼の道でもありました。

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大正十五年(1926)には寒河江・羽前高松駅と西川町・間沢間の11.4キロを結ぶ三山電気鉄道(現在の山形交通の母体)が営業を開始しており、見立鉱山、小山鉱山の鉱物資源、間沢スキー場や出羽三山への巡礼者等を運んでいました。冒頭に触れた山菜料理の宿・出羽屋は三山電気鉄道終点駅から2-300メートルほどに、寒河江・白岩より移ってきた初代・佐藤彦太郎氏が昭和4年(1929)に行者宿として営業を開始し、屋号も巡礼先の出羽三山にあやかり出羽屋としたのでした。

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多くの行者さん達もくぐったであろう立派な玄関に入ると三代目当主と大女将が「暑いですな」との言葉と共に出迎えてくれました。衝立の後ろの囲炉裏には赤く熾った炭。この玄関に敷かれた敷物は山形県が全国に誇る天下のオリエンタルカーペット製であります!!「本田技研の創業者・本田宗一郎氏が空飛ぶシビック(ヘリコプター)で山菜蕎麦を食べに来た話しは本当? 西川町の何処にヘリコプターを降ろしたのでしょうか? 」等の会話をこの時に大女将とした記憶があります。

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玄関から奥に進んで行くと庭園が広がり、その先の離れにある一室がこの日の寝床でした。「美味求真」と彫られた扁額の掛かったの通路にある戸を開けて案内を頂いたのが、「雲海」と名づけられた前室4畳+8畳+広縁2畳の部屋でした。

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「雲海」は宿から湯殿山に向かう途中に位置する西川町本道寺地区の湯殿山神社より切り出した杉でできている部屋だと三代目当主よりの説明を頂きました。ひと部屋全ての木材を1本の木より取れば木目を揃えられるので好ましいとされています。天井板の樹齢を重ねた渋い飴色の杉板を眺めながら、床の間脇の柱のような角を丸太から2本取ったとして、残りを制板すると等など....、頭の中で計算をしたりして夕食時間を待っていました。

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これまでも目にすることは多々あれど、1度も実際に使用した経験がない貴重品御預袋の茶封筒を発見。この直形3号の茶封筒に入るものと言ったら、3つ折りにしたA4紙や鍵等の小物ぐらいしか思い付かないのですが、その他に入れて預けるべきものは何があるのでしょうか? 受付で封をして引換券を受け取る行為を、是非とも1度もしてみたいと思うのです。

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部屋にも風呂場はあるのですが、やはり大浴場の方が気分が良いので夕食前に浴衣片手に訪れてみました。風呂場へ至る手前の階段部分は館内の他の場所と違いを感じられ、その踊り場には背もたれが異常に高いハイバックチェアが2脚並べられており、月山の麓の出羽屋にも若い風が入っているのだと推測しました。風呂は温泉ではないものの、月山の柔らかい自然水を沸かしているそうです。

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庭に向かって開放されている渡り廊下を渡り、女中さんが夕食の時間だと呼びにやって来ました。中庭を抜けて主屋に入ってから回れ左、庭を望むガラス戸の上には各種の山の菜がぶら下げられており、その先の個室が自分の食事処でした。

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「西の伊勢参り、東の奥参り」と言われ、西の伊勢神宮に次ぐかたちで表現されている出羽三山(東の奥参り)。古くからの山岳宗教の聖地として訪れる行者は後を絶たず、行者を饗す食事(地元の家庭料理)が現在の山菜料理の基礎であると言われています。山中にある為に耕作地は少なく、また海のものも望めず、周囲の山々に自生する"山菜"と幾許かの川魚を用いて、山へと入り行く行者達の栄養になる様にと胡桃や胡麻で和えるなどの工夫がなされようになりました。

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また、山菜は古くより乏しい穀物に混ぜこみ、量を増やすための糧の意味が強く、飢饉の時には救荒作物となり、戦中戦後の食料不足の時にも命を繋ぐための食物でした。食べられさえすれば可であり、味は二の次で木の根、草の根まで食していた時期もありました。そのための各種調理方法や保存方法も考えられてきました。西川町一帯の山菜料理はその様な二つの意味の"山菜"が素地にあり、その日に採れた山の幸と保存をしているモノの2種類の山菜の合わさったものがコチラの山菜料理だと大女将のお話しより理解致しました。

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春の山菜をさっと茹でて、冷水で注ぎ盛り込んだ「おひたし」の盛り込み。小鉢には瑞々しい月山竹(寝曲がり竹)が添えられています。重ねた赤い漆器の中には沢山の種類の山の恵み。出羽の精進御膳にも見られる漆器に1品1品を盛り付ける方法で、見栄えが地味に映る山菜を華やかなモノ、特別なモノに見えるような工夫がなされています。山菜でも最も早く顔を出す木の芽(アケビ)は春の到来を感じさせるので好きな山菜です。食感が残るように軽く茹でて水で締め、何かの木の実をパラパラと取らしたら最高の逸品ψ(๑'ڡ'๑)ψ。

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出羽屋は精進料理でなく、山菜料理を出しているので動物性のモノが盛り込まれています。お椀は鳥肉のだし汁に月山竹を中心とするお吸物。木耳の酢ぐるみ和えもあります。山菜を一通り食しての感想ですが、苦味えぐみが殆ど感じられずの綺麗な山菜という印象受けました。新鮮でえぐみの強い山菜らしい山菜料理を期待していたところがあったので、少し残念にも感じてしまいました。

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鮎の塩焼きは山形産の新鮮な天然鮎がドンと出てきました。蕨やドイナ、月山竹等の山のもの天麩羅。月山竹は通称・千島座笹、もしくは寝曲がり竹とも呼ばれています。雪の重みで根元(稈)が曲がって伸び、一般的な細竹より太く旨味が多いものです。人間だけではなく、森の熊さんの大好物なので、5-6月のシーズン中には、タケノコ狩りに夢中になっている人間と熊が藪の中で予期せぬお見合いをしてしまう主原因にもなっていたりします。いずれの山菜も衣を薄く、比較的低温で精進揚げと同じく調理しているように思えました。

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手前は山形特産の紅花を混ぜた塩で、その奥のは日本海・笹川流れ周辺で採れる海水塩。女中さんと話しをしていた時に笹川流れ周辺の製塩業者の話しとなったので、気を効かせて厨房からワザワザ持って来て頂いたようでした。海水を焚きあげた後で最初に採れる結晶の大きめな1番塩のようです。

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茸ご飯と茸汁、水果物にて怒濤のごとく締めとなりました。西川町一帯の山菜料理に大きな影響を与えた出羽屋さんの山菜料理を堪能させて頂きました。欲を言えば、乾燥させた香茸の黒灰汁抜きをして炊き込む「煤茸ごはん」、ブナの古木に生える苔をお酢で柔らかくした「木生海苔の胡麻和え」、塩をまぶして干した豆腐を薄切りした豆腐の入った「六浄どうふの吸い物」の3品も一度に食べたかったところですが、それらは次回のお楽しみに。

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山菜でお腹を満たし、大女将のご主人が確立した頃の出羽屋の山菜料理はどの様なものだったのかと、明朝に大女将にお会いしたら訊ねてみようと考えながらウツラウツラ(*˘︶˘*)。

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明朝に目が覚めて、朝食まで時間があったので館内を散策してみました。お客さん同士のハチ合わせ避けるための遊郭宿等で見ることのあるY階段があったり、中庭の茶室へ向かう草履が置かれていたりと、只の山菜出すだけの元行者宿ではないぞと主張しているかのようなモノが多数見られました。

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そして、ガラス越しに緑豊かな中庭を愛でながら朝食を頂ける部屋「もみじ」へとやって参りました。朝から山菜尽くし。昆布巻きの後ろにあるが田んぼの脇によく生えている「ひょう」という野草で、おそらく人生で初めて頂きました。一般的には雑草や害草と看做されれる滑莧ですが、干しておくと長期保存ができるので以前は救荒食者として、現在は山形県の地域食となっています。

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うどんは納豆に付けて食べるのが特色らしいのですが、自分の母が奈良県出身というで我が家には納豆を食す習慣がなく、納豆でなくツユを出して頂きました。出羽屋は山菜蕎麦が有名ですので、朝食の最後はうどんでなく蕎麦が来るぞとばかし思っていたのでウドンが供されたのは意外でした。

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出羽屋さんは山菜キノコを代表とする春秋の季節は特にですが、観光客で賑わいをみせる有名店です。そのようなお店が収穫を山のご機嫌次第である新鮮な野草だけに依存していて、「山のものなし、申し訳ないことだなっす」と暖簾を下ろしている話しは聞いたこともありません。山菜料理と云うと、その日の朝に山で採ったばかしの野草を調理して出す品もあるものの、保存食や増量食でもある側面を感じられたのが今回の出羽屋さんでの自分の収穫でした。