本州最北の民間鉄道・津軽鉄道、奥津軽の雪原を行くストーブ列車

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雪国・青森の津軽地方を走るストーブ列車に乗ってみました!  冷え込む冬に炬燵に入ると幸せと感じるように、寒い冬にストーブ列車に乗ると同じく幸せになるに違いないと思いながら、出発地点は青森県の西部のJR五所川原駅の隣にある小さな津軽鉄道「 津軽五所川原駅」へ向かいました。冬の津軽の風物詩として観光名所と此処はなっているためか、駅前の駐車場は大型バスが乗り入れられるようにと雪掻きキレイになされていました。

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薄暗い駅舎の中に入り内部を見回すと、この日に乗車する「ストーブ列車」に加えて、「鈴虫列車」に「風鈴列車」と風流な特別列車の宣伝に囲まれた時刻表がありました。切符売り場の窓口は余白を嫌うかのごとく案内の張り紙で埋め尽くされており、それに埋もれてしまった切符売り場が分かる様にと、「切符売り場」と書かれた貼り紙が窓口の上に掛けられていました。

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津軽平野は岩木山の南麓を経た岩木川の流域に広がる地域で、現在は津軽米と呼ばれる一大米どころとして有名です。その津軽平野を南北に走る津軽鉄道は、昭和5年(1930)に運行を開始した五所川原から北側に伸びた全長20.7キロ/駅数12を片道50分で結ぶローカル線。それまでは毛氈と徒歩で奥津軽より商都・五所川原へと向かっていた移動が、津軽鉄道の運行により運ばれる大量輸送にと変わり、本州の涯・未開の地と看做されていた奥津軽地域の人々に大きな変化をもたらしたのでした。

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日本各地の鉄道と同じく、津軽鉄道も多くのものを運びました。五所川原の学校へ生徒を毎日運び、軍靴の響く時代には歓呼の声に送られて出征する兵士達を、そして遺骨となって戻ってきた者を郷里へ運んだのも津軽鉄道でした。昭和50年代のモータリゼーションの普及まで鉄道は、奥津軽地域の貨客運搬の主役を担う大きな存在でした。

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時刻表の下にある改札口が時間になると開かれ、買い求めた硬券の切符を持ち「つがるごしょがわら」と書かれたホームへと向かいます。五所川原は昭和19年と昭和21年に街の大半を消失してしまう程の大火が起こり、五所川原駅も津軽鉄道本社もホームと列車を残して全焼した後に再建されたもの。

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線路を跨ぐ駅の跨線橋からストーブ列車がホームに停まっているのが見えました。ストーブ列車と云うと車窓から見える地吹雪がセットのような気がするのですが、天気は生憎曇りから晴れとなる見込みでした。「津軽平野に雪降る頃にはよ〜、降るな降るなよ津軽の雪よ」という気分で乗りたかったので少し残念に思いながら進んでいきます。

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待合室の奥には雪掻汽キ100形と気動車「走れメロス号」、それにストーブのねぷた?が飾られていました。津軽鉄道は五所川原を起点にして、十三湖→三厩を経由して現在の津軽線に入り青森まで結ぶ計画もあったそうですが途中で頓挫。この元気の良さそうな列車で津軽一周できたなら、さぞかし愉しいだろうと思わされる作りです。

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車内に入るとこんな感じでした。津軽と背中に入った法被を着た売り子さんが、青森県が漁獲高全国一位のスルメイカや特産の林檎ジュース、それに、弘前の六花酒造がストーブ列車だけに卸しているストーブ酒を小さなワゴンに満載して販売していました。平日だった為かストーブ列車は外国人旅行者が乗客の大半を占めているようで、殆どが台湾からのツアー客だと相席した台湾からのご家族から伺う事ん。お話しを聞くと日本には家族旅行で毎年来ているらしく、北海道、京都/大阪、大分、沖縄は既に訪れた事があり、青森には雪と温泉を楽しみに来たのだとか。

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これが列車の愛称名の由来であるダルマストーブです。初期の鉄道には暖房装備がなかった為、寒冷地(特に北海道)で運行された客車に用いられた石炭ストーブが起こりで、現在では全国でも限られた観光用の客車のみで見られるだけとなっています。乗車した客車には前後1台づつの2台のストーブが設置されていました。

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このストーブに焼べる石炭は、国内で現在唯一営業採炭を坑内で行う釧路コールマイン社の炭だそうです。釧路コールマイン社は国内の火力発電所を主な顧客とするも、常に海外よりの安価な石炭との価格競走に晒されてきました。同社は出資する釧路市内に新設する石炭火力発電所への独占供給が見込まれており操業を維持できる見込み。なので、ストーブ列車の国産石炭も暫くは安泰でしょう。上の写真は坑内見学会の時に撮影した釧路コールマイン社正面ゲートです。

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乗車した2018年の冬は太平洋側で降雪が多く、日本海側で少ない変則的な天候だったようです。車窓から見える景色は雪景色ではあるものの、それほどは降っていないとの説明を受けながら売り子さんよりスルメイカを購入しました。自分のイカをストーブで焼いて貰い、同席の台湾人家族3名と一緒にアツい、好燙、美味しい、好吃( ゚д゚)ンマッ!

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津軽鉄道沿線にある観光地・金木に到着! 実は金木のひとつ手前の駅・喜瀬駅で降りるべきところを、台湾のオジさんと話し込んでしまい乗り過ごしてしまったのでした。

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五所川原行き上り列車が来るまで暫く待つ必要があると分かり悩みます。隣駅まで2キロ程なので徒歩でも行けないことないのですが、冷たい風に吹かれて氷点下の寂しい道はあまり歩きたくないなと思い、金木町を散策してから再び列車乗ることにしました。

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金木町は昭和初期のカリスマ的文豪・太宰治ゆかりの地として、生家である斜陽館や疎開先の旧津島家新座敷等が名所となっています。力強い叩き演奏で有名な津軽三味線の始祖とされる仁太坊の生地でもあり、津軽民謡/三味線の歴史展示や津軽三味線の生演奏が聴ける津軽三味線会館も有ります。

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本来の目的地・嘉瀬駅に五所川原行きの列車に乗りひと駅で到着。オハ462と車体に書かれたストーブ列車は団体さんが乗る車両のようです。写真右端にはSMAP香取慎吾さんが青森の小学生と拵えた"落書き列車"が放置するカタチで置かれていました。↓下の動画は自分が嘉瀬から五所川原へ戻る時に乗車した「走れメロス号」。

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嘉瀬駅は昭和5年7月に津軽鉄道開通と同じ日に開業し、平成16年に無人駅となりました。座布団の置かれた水色の樹脂製のイスに、ポツンと置かれたピンク電話と昔の空気がそのまま残っているかのような空間でした。嘉瀬駅で降りたのは、「俺ら東京さ行ぐだ」で歌われた吉幾三さんの故郷・金木町柏木の風景を見たかったのと、過去の大飢饉の時に埋葬しきれない遺体を投げ入れた"いごくあな"と呼ばれる大穴が嘉瀬には3つ残っていると聞き、是非とも自分の目で見たいと思いでやって来たのでした。