東京都墨田区、皮鞣し工場・山口産業さんで大人の社会科見学

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数年前の事になってしまいますが、友人に誘われて大人の社会科見学をして参りました。向かった先は荒川、隅田川、旧中川と東京の城東地区を流れる主要河川に囲まれた墨田区の東北部にあたる「東墨田」地区。荒川の堤防沿いに皮鞣し工場を持つ「山口産業」さんがその目的地でした。

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山口産業さんが立地する東墨田は「木下川」とも以前は呼ばれていた地区で、東日本最大の皮革産業集積地として有名です。国内の豚革の8割が此処で生産されているとよく言われております(最近は墨田、姫路で半々とも言われますが...)。明治四年(1971)に「解放令」が発せられるまでは被差別部落民と現在呼称される人達が持っていた職業特権・死牛馬取得権が剥奪され、伝統的皮革産業に大きな変化が訪れました。関東大震災後の明治二十五年には都中心部への工場新設禁止、その10年後にあたる明治三十五年には皮鞣し業の強制移転の強制移転と江戸時代からの代表的な生産地・浅草より外に追い出すカタチで移転を余儀なくされ続けたのです。原材料の入手元となる屠殺場が三河島、曳舟に設置されるに合わせて、明治初期までは低湿地の寒村だった木下川(東墨田)が皮鞣しを家業とした人々の移住先のひとつとなったのでした。

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鞄や靴などを代表する生活の洋風化、軍靴や馬鞍、背嚢などの軍需の急増を受け、大手資本の皮革工場もこの地区に工場が数多く建てられ、東墨田は大小入り交じる皮革、油脂、膠などの皮革産業の一大産地と変貌していきます。石鹸や洗剤は皮革産業と深い関係があり、花王やライオン等の我々の普段の日用品を生産する有名企業も墨田区を発祥だったりします。戦後は需要急拡大を受けての右肩上がりの成長を遂げるも、国内の他製造業と同じく海外製品と激しい価格競走に巻き込まれ多くの工場が閉じました。

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全ての工場が転出したかと言えば、そうでもなく。撤退した工場跡地に住宅が建てられているも、残っている町工場と住宅が入り混じる独特な景観を成しています。その中には現在でも皮革や油脂関連の工場が多数あり、工場の壁には上写真の様な注意書きが貼られていたりするのでした。原皮に付いている油や肉の腐臭や、化学薬品含む排水などが嫌われ、これらの産業は特別工業地域という"先住権"を有していますが、人口密集地での排水規制、苦情圧力は強く、馬、牛等の大型設備が求められる皮鞣し工場は地方、国外へと移転。現在では比較的小規模施設でできる豚革だけがこの地区に残っています。街中を実際に歩いてみると"異臭"を感じたり、工場で働く海外からの労働者の姿も目にしました。

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目的地の山口産業さんの前にて、束となった皮をトラックの荷台からフォークで降ろす従業員の姿が見えました。山口産業さんは昭和十三年(1938)に此の地で創業した食肉加工の副産物である皮を鞣す会社です。動物の皮はナマモノで腐ってしまう為、人の手を加えて加工して"革"にする必要があります。ですので、受け入れられる分量は工場の製造能力を越えない範囲となり、山口産業さんでは300枚程だそうです。

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原皮の脱毛から始まる工程があるのだとばかし思っていたのでしたが、山口産業さんでは既にある程度処理が施された皮(前鞣しされた状態の皮)を購入しているのだそうです。案内を頂いた代表取締役の方のお話しによれば、現在の国内豚皮供給量は年間900万頭分ほど。そのうち国内で鞣されるのは極わずかで、ほぼ全量が海外へ原皮で輸出されているのだそうです。調べてみると現在の世界中の豚(家畜)は6-7億頭らしく、その凡そ半分が中国、EU諸国が中国の半分、米国はEUの半分となっているようです。日本は鹿児島、宮崎、北海道、千葉、群馬等を初めとして飼育されているのは900万頭程で毎年減少傾向が続いています。

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海原雄山より褒められたことのある農家さんの豚達にアスパラガスを与える息子。白豚は半年程で出荷されるので、牛で言えば最上級と評価される仔牛の皮/カーフスキンにあたる素材が供される事になります。太い毛の三角∴印の毛穴と独特のシボを持ち、通気性、耐摩耗性に優れる素材なのですが牛皮と比べると人気はいまひとつに留まっていたりします。

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皮鞣しの作業場を訪れると必ず目にする木樽、通称「タイコ」。原皮洗い、鞣し、染色と用途に応じて複数の工程に用いられる特徴的な大型設備です。中を覗くとダボと呼ばれる突起物が通常はあり、皮が叩き洗いされる様な工夫が施されています。この作業は昔は昼夜を問わずの足で踏み続ける長時間労働でおこなっていたそうで、現在の様に電動でタイコを廻す様になったには大正に入ってからだとか。

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以前に訪れた姫路のタンナーでは鞣し作業中にお邪魔してしまったので肉や脂肪から発せられる生き物の臭いがキツかったのですが、山口産業さんは作業時間外であったのが理由でか、その様な臭いはあまり感じられませんでした。鞣し作業は大量の水を必要とするので、年季を重ねてきたであろう工場建屋の床はまだ足場が濡れている状態でした。

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作業場の一部の天井は木組の革を自然乾燥させる干場となっていました(下の模型は東京電機大学の生徒の作品一部)。染色前の革が所狭しと並ぶのは街中の工場ならではの光景で圧巻だと思うのですが、お邪魔した日には残念なことに何もなしで天井裏見放題状態。山口産業さんの近辺には外からも見える皮干し場を持つ工場がまだ幾つか残っており、視線を上に向けながら歩くと見つけることができました。

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鞣の文字は革+柔から成り立っているとおりに、古くより燻すなどの防腐処理をして、叩いて(柔軟化)して用いられたと推測されています。国内では五世紀末に高麗から招聘した技術者により"鞣し"の技術が伝播したと伝わり、鹿皮を用いた甲州の脳梁なめし、牛皮用いた播磨の脳梁なめしが長く続く伝統技法として現在でも残っていたりします。現代では化学薬品である塩基性硫酸クロム用いたクロム鞣しと、植物の樹皮から得た"渋"を用いるタンニン鞣しが広くおこなわれております(クロム/タンニンは皮中のコラーゲン乾燥防止剤の様なものです)。国産のクロム鞣し剤の供給が止まった事もあり、山口産業さんでは数年前より全てミモザアカシア使用のタンニン鞣しに切り替えをしたとの説明がありました。

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伺った話しで一番驚いたのは(聞き間違いでしたらゴメンなさい)、縮小し続ける国内生産は既にある程度諦観しており、現在はJICAを通して技術提携しているモンゴルに力を入れているのだそうです。モンゴルは牧畜業が盛んな国ですので原料供給力はあるのですが、現在は海外タンナーへ原皮を売り渡すだけで自国技術の鞣しでは付加価値を付けるにまで至っていないそうです。そこで日本より技術移転をおこない、モンゴル・ブランドの革の価値を高めようというのがその計画。ちなみに、山口産業は従業員2人の町工場だったりします。

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「匂いや硬さは鞣しのリトマス紙」と言いながら、生皮から革へと変化させる明礬鞣しの作業体験をした事があるのですが、やはり"工場"と名付く場所はスゴいの一言でした。なんと言っても、川で皮を晒すなどせずにタイコでグルグルが凄かったです!!  実稼働している時に各工程を仔細に見てみたいところですが、垣間見れたモノからも多くの技術から成り立っているのが見て取れ嬉しかったです。今回はあまり触れられなかった薬品類とその使用ノウハウも興味津々。製品としては日常的に触れる機会も多い革製品ですが、皮から革に鞣す工程は一般消費者の目の届かない場所でおこなわれています。皮鞣し工場を実際に見学できる機会は多くないと思われるので、この訪問は良い体験となりました。