東京タワー外階段を子供2人と一緒に駆け上がってみました

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久しぶりに東京タワーに登ってきました。東京タワーに登ったのは実に4年ぶりで、その時はまだまだ幼い子供達二人と一緒でした。秋晴れの一日、エレベーターではなく東京タワーの外階段をカンカンカンと軽快に鳴らしながら登ったのでした。今回はその時の事を書いてみようと思い、前回登った時の写真と今月登った時の写真を使っています。

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国内の電波放送が始まったのは大正十四年(1925)に東京芝浦で「ジェーオーエーケー」と読み上げたラジオ放送で、昭和二十八年(1953)にはテレビ・アナログ放送が義経千本桜の生放送で幕を開けました。自分の父親の生家の門柱にはいまだ1950年代のNHK放送受信章が釘で打ち付けられたままとなっていたりします。このアルミ製の銘板をよく見るとNHKの文字の後ろに塔があるのですが、おそらくは東京タワーではなく、愛宕山の電波塔を模したモノのようです。

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テレビ放送が盛んになる頃には各放送事業者は紀尾井町(NHK)、麹町(日本テレビ)、愛宕山(TBS)と100メートルを超すテレビ塔を各々擁していました。その後に、より高層のテレビ塔建設が求められる時代になると、高さ333メートルの日本電波塔(通称 東京タワー)が計画されました。昭和三十二(1957)年着工、1年3ヶ月後完成のスピード作業にて関東平野一帯を受信世帯とする巨大塔・東京タワーは完成したのでした。

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東京を代表する景観は何かと問われれば、皇居二重橋、浅草雷門、東京駅丸の内駅舎、レインボーブリッジ、東京スカイツリーと候補が多数挙がりますが、現在でも東京タワーは東京のシンボルの王座を他に譲らずにおります。上の写真は海外からのゲストと観光バスで東京巡りをした時のものと、妻の家族と東京遊覧した時に撮影した写真です。デビットクラークヘッドセットをした義母の奥に東京タワー。タワー上りこそしていませんが、昔の写真を見直すとアチコチに東京タワーの姿が映っています。

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そんな東京タワーですが、高速エレベーターではなく外側の非常階段を自分の足でも登れると自分が知ったのは子供達と訪れた時でした。土日祝の11:00~16:00の時間限定。登れるのは大展望台(150m)までで、雨等の悪天候の時には通行禁止になるようです。外階段を息を切らして登っても、エレベーターに乗り45秒間の移動でも同じ料金が徴収されます。

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フットタウンの屋上から見上げると、入り組んだ無機質で無骨な鉄骨が頭上に沢山。「のぼり階段コース」の案内看板によると600段で12~13分のチャレンジだとありました。目的地の大展望台が見えているのですが、元気の塊な息子は自力で最後まで駆け上れるとしても、100メートルも自分の足では歩かない娘は途中で「疲れた、もうダメ」とギブアップ宣言を聞くこと必至で、途中から抱っこコースになる予感...。

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フットタウン屋上にある外階段の入り口。ここに係員が待っており大展望台「展望券」の確認がありました。東京タワーのインターナショナルオレンジ(赤色)は5年間隔で再塗装をしており、最後が2013年なので東京オリンピック2020までにもう一度再塗装される予定だと雑談をしながらのスタートです。入り口から16段上がった踊り場にはノッポン兄弟がお待ちかねのようで、「もうあと戻りはできないぞ...」と登頂への覚悟を笑顔で求めたりしていました。ここが地上25mという事は、大展望台(150m)まで残り125mです。途中でエレベーター等に逃げる等の道は用意されてはおらず、一度登りはじめたらリタイヤ不可の一方通行です!!

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各踊り場のノッポン兄弟の掲示前で必ず律儀に止まる兄妹。文章に平仮名が振られているので、1文字づつ声に出して娘は読んでいました。この日は風がなく良かったのですが、隠れる場所のない吹き晒し状態ですので冷たい風が吹くと身体に応えそうです。増上寺の境内がよく見えます。

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東京タワーが立っている場所は徳川2代将軍・秀忠の時代に江戸城内の楓山より楓樹が移されたことに因み、「紅葉山」と名付けられた場所でした。明治十四(1881)年に「紅葉館」と呼ばれる純和風建築の建物が設けられ、西洋風の鹿鳴館と並ぶ外交の花舞台でしたが昭和二十年の東京大空襲で完全に焼失してしまいました。増上寺俯瞰図内の赤丸が紅葉館。

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東京タワーの外階段には上り階段も下り階段もあり、所々で行き来できる通路が見られます。ロープで通行止めになっているものの、持ち上げさえすれば通れそうでした。子供達はロケットスタートで階段にカン、カン、カンと足音を響かせながら駈け上っているようでスグに見えなくなりました。厳重に網が貼られているので外への転落はなさそうなので好きに行かせることにしました。

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子供達はノッポン君達の解説をひとつひとつ律儀に読んでいるので、そこ間に追い付くことができました。すでに全600段のうち419段を登っていたようです。途中ですれ違う人の人数を見ていると、外階段は登っている人より下りに階段を使用している人の方が多そうでした。外側を囲んでいる鉄骨部分が赤色なので、階段も真っ赤っかにしなくとも良いのではと思うのですが、何か規則があるのでしょうか?

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499段、既に大展望台の中に入ったようですが、階段や骨組みはまだ真っ赤のまま。ここまで登ってきて「明日はビザが笑っているぞ」の貼り紙を、素直に笑い飛ばせない年歳になってきたと感じます。走り続ける息子は既に展望台に到着したかのような声が響いていました。この階段道は登山を好まれる今上天皇が若いころに登られた“聖跡”でもあります。

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最後の階段531目に到達。残りは69段を残すのみとなりました。予想通りに娘が途中でリタイヤ宣言していたので、子供の着替え等一式入れたリュックを背負い、前には17Kgの娘を抱えながら大展望台まで無事に登りきりました。展望台では記念品にとノッポン君公認の昇り階段認定証を頂きまいた。息子に登頂の感想を求めてみると、「金毘羅さん(階段数1,368段)の方が何倍も大変だった」との答えでした。

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大展望台西側の景色です。横長の写真が4年前に写したモノで、四角に近い写真は令和元年9月に撮影。近くにいた中国系の方が霊友会(写真中央の傾斜のある大きな黒屋根)と言っていたのに驚かされました。その後ろで大規模工事をしているのは、森ビルが都内で手掛ける最大規模のプロジェクトとなる、高さ330メートルの日本一ノッポビルを含む「麻布台ヒルズ(仮称)」の建築現場です。世田谷、渋谷に続き東京のインターナショナルスクールで1番とも評されるブリティッシュスクール・イン・トーキョーも街開き時に開校予定で、新しい時代を牽引する地区が現れようとしています。

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皇居、愛宕山方面、1番ノッポな建物が東京で現在1番高い虎ノ門ヒルズ(255m)。その足元の緑地は江戸で最も高かった愛宕山(25m)です。米国大使館のある虎ノ門・愛宕通りと新橋・柳通り(築地までは工事中)を結ぶ環状二号線・マッカーサー道路区間が5年前に開通し、地下鉄日比谷線の新しい駅を含む新規3棟の超高層ビル建設と各地で大規模開発が進む東京域内でも最も変化の激しい場所です。自分が高校生の頃にアルバイトに行く途中に二輪で毎日通った場所で、当時は駐車場だらけでしたが、いつの間にやら大きく変わっているようです。

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東京タワー南側の眺めです。皇居北側より都内中枢を走る都道301号線と日本橋を起点とする国道1号線が赤羽橋で交わり、神奈川-静岡-愛知-三重-滋賀-京都-大阪までを結ぶ760キロにもなる道が伸びています。来年開催される東京オリンピックのマラソン競技の折り返し地点はこの辺りのはず。

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東京タワー通りを見下ろす”ルックダウンウインドウ”と娘。1トン以上でも大丈夫と聞き、上で飛び跳ねてごらんと子供に促すも怖いようで拒否されてしまいました。360度見渡せるパノラマ風景でチビ達が知る場所はホテルオークラと愛宕山ぐらいしかなく、子供達には少し退屈な場所だったようで、大展望台では此処が子供の興味を持ったようでした。

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東京タワーと資本関係のあるマザー牧場の店舗・マザー牧場CAFEで、東京タワーの1,000分の1サイズ(33.3cm)の東京タワーパフェを頂きました。一番美味しいと思われるソフトクリームの部分は子供達だけで食べてしまい、自分は残りの部分だけ頂きました( '༥' )ŧ‹”ŧ‹” ご馳走様です。

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東京タワーから700メートル程北の愛宕山にに鎮座する愛宕神社へクルマで移動。愛宕山(赤マル)は江戸八百八町で最も高い山で、海沿いの景観を求め多くの市民で賑わった場所でした。明治期には山上に愛宕塔/愛宕館が立ち、大正期には東京放送局とその高さを活かした利用がなされていましたが、愛宕山は現在では超高層ビルの谷底になってしまっています。遠くまで電波を飛ばす放送塔は東京タワー、そして634mの日本一の高さを誇るスカイツリー(青マル)へと変遷しています。

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愛宕神社は子供達もよく知る場所なので、教えなくても社務所で既知のお姉さんより鯉の餌とお菓子を入手していました。敷地にある池の端に立つと無数の鯉がにじり寄ってきます。餌を池に投げ入れると、我先にと争い餌に食いつく鯉達の姿はなかなかの迫力でした。