短くなった鉛筆への感謝、北星鉛筆で催された鉛筆供養祭へ

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娘と一緒に東京都葛飾区に行って参りました。訪れたのは昨年11月23日の「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」勤労感謝の日でした。我が家のアホアホコンビと化した娘と自分は、トリュフうどんやストロベリーマニアと爆食しながら東京スカイツリー方面から荒川を渡り、目指す葛飾区に入ったのでした。目的地は上の写真の左上に映る黄色い鉛筆の看板が見える場所、鉛筆工場でした。

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現在国内にある40社程ある鉛筆業者のうち、その七割は東京に集中しています。業界最大手の三菱鉛筆、トンボ鉛筆の本社を初めとし、その他の中小の鉛筆企業の多くが荒川付近に事務祖/工場を構えており、娘と今回訪問した鉛筆工場・北星鉛筆もその一社でした。上の東京東部を写した航空写真の大きな赤矢印が北星鉛筆のある場所で、この一帯と奥の青矢印の指す町屋地区に鉛筆業者が集まっています。

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現在の鉛筆はイギリスで純度の高い黒炭鉱が16世紀に発見されたのを契機とし、その黒炭を木や金属の先端に付けた筆記具が普及したものです。古くより墨と毛筆が使われていた国内で、初めて鉛筆を使ったのは江戸幕府を開いた徳川家康だと言われています。現存する鉛筆の分析により、おそらくは外国産で外国使節の献上品だったのでないかと推測されています。また、国内で初めて鉛筆を製造したのは奥州の独眼竜・伊達政宗でないかと遺品により推測されています。欧州で普及し始めた鉛筆はスグに地球の反対側の日本に到達はするも、珍しいモノとしか受け取られなかったようでした。

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鉛筆の大量生産/普及は英国・ドイツ等のヨーロッパ諸国や米国を中心に進み、記録上残る最古の鉛筆製造業者ステッドラーや、鉛筆の王者と称されることも多いファイバーカステルは共にドイツの会社です。特にドイツはアンデス山脈の頂きにもカステル鉛筆が行き渡っていると言われる程でした。国内では明治二十年(1887)に東京で眞崎鉛筆製造所が鉛筆量産を始めるも、日露戦争あたりまでは独・米輸入品が優勢でした。第一次世界大戦によるドイツの凋落によりできた隙間に入るようにして、日本製鉛筆の躍進が始まったのでした。

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そんな歴史を持つ鉛筆は数ある筆記具うちで世界で最も使用されているものであり、文字を習う子供達が初めに手にする筆記具でもあります。キッザニア東京にも東京の地場産業を代表する会社として、業界最大手の三菱鉛筆がブースを出しており、ちょっとした体験をすることができたりします。

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北星鉛筆社に到着。ひとめで鉛筆屋さんだと分かる方向案内板が設置されていました。訪れた日は「鉛筆供養・鉛筆感謝祭」が開催される祭日で、地元の人達をはじめとする多くの親子連れで人達で工場敷地は賑わっていました。うちの2人の子供達は幼い頃よりお別れするのが苦手で、あらゆる物を貯め込む癖があったりします。使えなくなった鉛筆を供養するという言葉に過敏な反応を娘が見せたので、今回は娘を連れて来たのでした!!

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北星鉛筆は北海道に明治30年頃に屯田兵として三重県より渡り、豊富な木材資源を当時興隆していた鉛筆工場向けに供給する専用木材供給会社「杉谷木材」を起こした事により始まりました。関東大震災により首都圏の多くの事業が廃業に追い込まれ、その中の一社・月星鉛筆社を杉谷木材が買受けます。現在の北星鉛筆は昭和十八年(1943)に北星鉛筆文具株式会社へと社名を変えて、月星鉛筆の事業を受け継いで鉛筆製造を始めた会社です。

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戦前、戦後は北海道を中心とする木材にて筆軸を作成するのが主流でしたが、現在では北米のインセンスシダーが鉛筆軸の全世界の8割ほどを占める程になり、国産木材での鉛筆は国産鉛筆でもごく僅かとなっております。インセンスシダーは木目が柔らかくて削り易く、香りが良いことから鉛筆材に最適な木材との評価を受けています。高さ20メートルにも成長するインセンスシダー1本(使用するのは丸太外側から半分程)より20万本もの鉛筆が取れるのだとか。明治/昭和の国産材鉛筆製造時にはイチイやヒノキが代用木材として使用されていたものの、北星鉛筆さんを含め現在の国産鉛筆の材料はほぼ全てインセンスシダーを主とする輸入材となっております。

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北星鉛筆の製造キャパは1日に10万本。現在の鉛筆の軸板は西海岸の木材が角材で中国に輸送され、そこで鉛筆板(スラット)として加工・着色された物が日本へと入ってきます。炭芯はオリエンタル産業など国内製造しているメーカーより届いたものを使用しています。鉛筆製造会社である北星鉛筆はスラットに芯材を接着し、上下を鉛筆の形に削って塗装を施し、完成品を梱包して出荷するまでの製造工程を社内工場にておこなっている訳です。

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↑三菱鉛筆さんの芯と軸板の展示。北星鉛筆社長の夢は火力発電所を持つことで、製造に用いる木材の40%がゴミとなってしまう鉛筆工場から出る全ての木屑を燃やして発電したいのだとか。銭湯等の木屑需要がなくなった現在では、木屑の外部販売は期待できず。また、発電所は現実味の乏しい話しのため、木屑ベースの粘土や絵の具(3つ上のインセンスシダー絵で使用されている)、キャンプや暖炉の着火剤にとリサイクル事業を進めているそうです。

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供養"祭"いうことで、子供達が楽しめる様に鉛筆の掴み取りや、鉛筆製造時の木屑に切手糊等で使われるポリビニルアルコールを混ぜた「もくねんさん」用いての粘土遊びに、輪投げ等が準備されていました。娘は掴み取りに2回挑戦させていただき合計114本もの鉛筆を人間クレーン車と化して乱獲。うち66本は島根県のゆるキャラ・しまねっこ...100本以上とはヤリスギです(キャラ鉛筆は学校で使用不可)。

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工場の裏手に鎮座するのは鉛筆神社です。国内でも此処だけと思われる鉛筆型の柱を組んだ鳥居があり、その手前には鉛筆型の鉛筆供養塔があり「我が身を削って人のため 鉛筆の道 短くなった鉛筆ここに眠る」と書かれていました。供養をした鉛筆達はこの鉛筆塚に眠っています。

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北星鉛筆の社屋内には鉛筆地蔵さんがおり、胸元の開き口に使用して短くなった鉛筆を入れることができるようになっています。ここに5本のチビ鉛筆を投入すると、四ツ木一帯の鎮守様こと白髭神社の名が入った新しい鉛筆を1本頂くことができます。お地蔵様の中に貯まった鉛筆達は、お焚き上げをした後に残った芯が鉛筆神社鉛筆塚に埋葬されるのです。

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当日は小雨が降り続いていたので、屋根のある場所にて神饌が捧げられました。工場から500メートル程東に鎮座する白髭神社の神職の方が祝詞をあげられ、供養祭の神事はあっ言う間に終了。娘は当初の目的だった鉛筆供養の事は忘れてしまい、鉛筆が沢山取れた事に気を良くして帰路についたのでした。