駐日インドネシア共和国大使館にツアー参加でお邪魔しました

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東京都品川区にあるインドネシア共和国大使館に行って参りました。何処の大使館もそうですが、ビザの申告/受領で窓口を訪れる事はできても、それより内側は一般人では物見遊山では訪れられない禁足地。その内部に入れる"ツアー"を偶然にも品川駅のパンフレット置き場で見つけてしまい、この機会を逃してなるものかと早速申し込みをしてみたのでした。

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赤マルが駐日インドネシア共和国大使館のある場所です。最寄りとなるJR山手線・五反田駅でツアーに参加する人達と合流し、五反田公園の隣にある桜並木の坂道を池田山に向かって登ることでツアー開始となりました。池田山(東五反田5丁目)は岡山池田藩の下屋敷があったことに由来する地名で、都内でも高級住宅地として知られる場所です。坪単価にしてざっと400万円以上Σ(・ω・ノ)ノ

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その様な土地柄か住宅街のなかには外国大使館も見られる場所と現在はなっていたりします。目的地に向かう道すがらに、ユーゴスラビアから独立を果たした北マケドニア共和国大使館、ソビエト連邦から独立したベラルーシ共和国大使館の前を通って行きました。マザーテレサの出身地・マケドニア首府スコピエにある「マザー・テレサ記念館」を訪れたいと思ってから10年以上経つのにまだ行けていません...

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民間から皇室へ初めて嫁いだ正田美智子様(現・上皇后陛下)のご生家であった旧正田邸跡地に造られた「ねむの木の庭公園」です。「薩摩なる喜入の坂を登り来て 合歓の花見し 夏の日想ふ」と陛下は鹿児島行啓折りに詠まれた歌があるのですが、この公園名の由来とも看做されており、公園内にも掲示されていました。国道1号線を渡った場所に清泉女子大(本館は旧島津侯爵邸)があり、自分達が上った坂もありと、鹿児島の樋高展望台で詠まれた時には鹿児島と御自身の両方が脳裏にあったのではないかと考えました。

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ねむの木庭公園から北に50メートル程。松坂屋百貨店や現三菱UFJ銀行(旧伊藤銀行)の創業家である伊藤家16代当主・伊藤鈴三郎邸として昭和十一年に建てられた洋館があり、此処がインドネシア大使公邸となっております。首都高目黒線を渡った先にあるタイ王国大使公邸も昭和九年(1934)にヤマサ/ヒゲタ醤油の創業家に連なる十代目濱口吉右衛門邸の洋館で、昭和初期に一帯が開発された頃の面影が残る地域です。

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大使公邸西側建つ駐日インドネシア大使館の入口です。中国経済の急拡大を見るまでは日本が最大の貿易パートナーであってか、インドネシア共和国の在外公館としては最大の大使館です。昭和37年に建てられてから増築を続け拡張してきましたが、老築化による耐震性の低下により近々建て替えがおこなわれる予定になっており、数年後には新しい姿が見えられることでしょう。写真右側の白い建物は昭和58年に建てられた"最新"の7階建ての事務所棟。

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民族衣装を着飾った大型人形の出迎えを受けて大使館建物内部に入りました。自動ドアの内外に市松模様/ルイヴィトンのダミエのようなデザインが配されているのが気になったのですが、大使館にいる間にその由来を聞くのを忘れてしまいました。自分の勤めている会社のインドネシア支社スタッフに尋ねるも、「分からない」との寂しい回答...

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インドネシア共和国の国章(ガルーダ・パンチャシラ)が入って直ぐの場所に掲げられていました。ヴィシュヌ神の眷属で日本を含むアジア全域で認知されている伝説上の霊鳥。漢字では迦楼羅。ガルーダの胸の部分にある盾には星(宗教)、緑(統一)、鎖(絆)、稲穂と綿花(繁栄)、野牛(叡智)が描かれております。ジャワ、スンダ、マドゥラ、バダック等々と300もの民族が居住する多民族国家らしいスローガンが標語は「Bhinneka Tunggal lka(多様性のなかの統一)」と両脚で掴んだ場所に記されています。

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紅白の横二色旗であるインドネシア国旗と聖鳥ガルーダの木彫り彫刻。ガルーダの身体は金色もしくは白色で表すことが多いので先入観があり、遠目には紫檀の色合いかと思いきや真っ黒に塗られていてギョッとさせられました。

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日本では奈良から平安時代にあたる八世紀後半に建てられた世界最大の仏教遺跡・ボロブドゥールの模型も飾られていました。実物は一辺が120メートルもある巨大なものですが、模型でもその大きさが伝わってくるかのようです。仏教からヒンドゥー教、イスラム教と変遷する間にボロブドゥールの遺跡は忘れ去られ、密林の一部となっていたのを世界に発表したのが、あのシンガポール建設の父とも呼ばれるトーマス・スタンフォード・ラッフルズ。彼がジャワ副総督を務めていた1814年のことでした。同じくイスラム化した仏教の誕生地であるインド亜大陸北部の仏教遺跡の惨状を考えると、よく残ったものだと思わずにはいられない遺跡です。

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インドネシアのお国紹介などの説明の後に、アチェのサマン・ダンス(千手踊り)を在日インドネシア人の子供達が披露してくれました。500年程前にスマトラ島北端のアチェに生まれた踊りはイスラムの教えを伝える(説教)ものとして発展し、昔は男性のみで演じられていたものの現在は女性や子供達によって演じられています。リズミカルに胸と膝を同時叩いて、色々な方向に身体を向けていました。下の動画を見せて、インドネシアの同僚に歌の意味を尋ねたのですがアチェは分からないとの答えでした。カラオケで以前、アチェ大地震の時に覚えた「Kampuang nan jauah di mato」のアチェ語バージョンを歌ったら、本当に驚いていたのでジャワ島の人間には方言よりは"異国の言葉"に近い感じなのかも知れません。

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竹製の楽器・アンクルンの体験時間もありました。アンクルはひとつ一音で、揺すってハンドベルの様に演奏するものでした。アンクルンは西ジャワ島のスンダ族によって千年以上も前から演奏し続けられてきた楽器と云われ、インドネシアの伝統楽器としては最も知られたもののひとつだそうです。番号が配られたアンクル(上の写真では6番)があり、大使館の案内の方の指揮に従って参加者全員で一曲演奏という愉しい場面もありました。アンクルンを並べて、組み合わせると簡単な曲であれば誰でも演奏できる打楽器?に変身です。

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お昼ご飯にローストチキンのお弁当が配られました。大使館から歩いて行けるインドネシア料理店「チャベ」さんが脳裏に浮かぶも製造元に自信なし。油紙に包まれたナシブンクス+大使館自家製サンバルが出てきたら最高だったのにと、インドネシアに思いを馳せた大使館訪問ツアー参加でした。