東京都の山岳民家・小林家住宅(重要文化財)にて持参の栗渋皮煮

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東京都西部にある唯一の村、山々に囲まれた檜原村に家族で行って参りました。檜原村は豊富な山林から採れる木材やその加工品である炭が長く特産品で、現在の様に舗装道路が整備されておらず、トラックもない時代には重い荷物を載せて山の尾根道を甲州・上野原や五日市等の市場まで牛馬で運んでいたのでした。上の写真の「甲州古道」はそんな道のひとつです。今回はそんな古道沿いにある古い山岳民家と同じく古い伝馬宿を巡ってみました。

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檜原村の地形図です。全域が山地で占められており、北から陣馬尾根、浅間尾根、笹間尾根と3本の尾根が村域を走っています。檜原村には西から南秋川と北秋川が流れ、その二つが合流して秋川となる地域(地図1番右側)が本宿と呼ばれ、村役場等も立地する村の中心地となっています。檜原村の集落は山々より流れる川が南北秋川に流れ込むところにできた僅かな平地にあります。現在は谷底を走る南北秋川沿いの道路をクルマで移動しますが、古くは山の中の尾根道を辿って近くは隣りの集落、遠くは甲州、江戸へと旅をしていました。

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先ず訪れたのは山深くにある有名な蕎麦屋「そば処みちこ」さん。浅間尾根を通る尾根道にある此方は馬方や馬の休憩所だった場所で、江戸時代初期まで遡れる歴史がある場所です。こちらの建物の修復に入った大工さんから直接聞いた話では檜原村で最も古い民家で、天井裏には沢山の古い文物があったそうです。

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この「そば処みちこ」さんが開店したのは2000年の春の事でした。その時に初めて電気がこの瀬戸沢の古民家に灯ります。武蔵五日市の方の紹介で食べに来ましたと伝えたところ、火の入ったら竈の前にて色々お話しを聞かせて頂けました。そのなかで最も驚かされたのが2018年11月末に閉店をされる事。店名にもなっている美知子さんが古希を迎え、体力的に難しいとのこと...。

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秋の山中はとても寒く、囲炉裏が焚かれる屋内で炬燵に入りながら食事を頂きました。この日一番にお店に着いたのでメニューは選び放題だったので、家族4人がそれぞれ好きな物を注文。訪れるまで知らなかったのですが、有名店らしく人気メニューはスグに打ち切れてしまうらしいです。幕領からの歴史ある風情ある古民家にて、薪をたく匂いと共に食べる蕎麦手作り蒟蒻は格別でした。

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北秋川の藤原集落までやってきました。これから向かう小林家住宅は元は藤原集落の組頭だった家で、集落の春日神社側に元々は居住していました。現在から凡そ300年前に起きた山崩れで大きな被害があり、破壊された8軒のうち7軒に小林家も含まれていました。その後、山腹にある現在の場所へ家を移動したと伝わっています。

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都道205号の奥、こちらが小林家住宅へ移動する単軌条運搬機(モノレール)の総角沢駅。事前予約制で乗車定員6名。このモノレールは重要文化財の小林家住宅を大規模修繕するに当たり、人員/資材の運搬用に設けられた路線を旅客用にと転用したもののようです。川のせせらぎが聞こえるだけの静かな空間に、ドッドドとエンジン音を響かせて、写真に写っているモノレール車がバックで向かって来ました。

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標高750メートルにある目的地まで最大傾斜43度の急坂384メートルを上ります。急斜面の蜜柑農家等が収穫物を運ぶのに使用しているのとほぼ同じモノで業界最大手のニッカリ社製。空冷4サイクルエンジンが唸り、振動と共にガタガタ揺れる車体に身を預けていると目的地に10分ほどで到着。

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終着駅にはもう一本の単軌条線もあり、小林家住宅はナント2本の路線は乗り入れる山奥のターミナル駅でした!  こちらは檜原村が2003年より設置を開始した5本の「福祉モノレール」の1本で、小林家を少し下ったお隣家を経由して総角沢までを結んでいます。少しボロに見えますが、観光客用モノレールと違い屋根がありました。

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小林家の建つ陣馬尾根の斜面には南に面する僅かな斜面を選び、孤立集落が点在しています。湧き水が山中あり、狭い斜面にて畑作をして麦や芋、トウモロコシ等を育て、多くは自給自足に近い生活をしている山の家々です。明治期に村内にできた学校に教育熱心な檜原村の人々は子弟を通わせたのですが、小林家から最も近い小学校は麓の旧藤倉小学校。尾根道を30分以上かけて歩いて通ったのだそうです。

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こちらが重要文化財・小林家住宅です。鬱蒼と茂る山林を抜け、突如として明るく開けた場所に出たので山奥の別天地かと驚いてしまいました。母屋とその右手に見える馬小屋、山岳地帯の生活を色濃く残す貴重な家屋として昭和53年(1978年)に重要文化財の指定を受けました。2008年に檜原村へ売却するまで養蚕等を営みながら代々の小林さんが住まわれていました。

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平成23年から3年をかけて行なった保存修理費用は3億円超える規模(国庫65%東京都20%檜原村15%)で、茅葺きは飛騨、板組は京都の職人さんが修復にあたられたそうです。柿渋色に彩られた縁側に腰を下ろし、遠くは浅間尾根を見渡す眺望が楽しめます。モノレールでえっちらおっちらと上っている間は、辺鄙な場所によくもあるなと思っていたものですが、谷底より断然太陽を感じられる日照条件の良さ、檜原村の"高速道路"である尾根筋に近い山の上は山崩れや洪水の危険も低く、山の人々から見れば"山の一等地"なのでしょう。

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修復作業に加えて保全作業もなされ、炭で燻された木材と同じ色をした補強材が茅葺き屋根の内側に確りと入っていました。小林家住宅で案内をして頂いたのは先述の小林さんのご親族の方で、実は以前にもお会いした事がある方でした。

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この建物の修復前の姿を写したものです。入口にスチール雨戸とガラス戸を入れた昭和時代の養蚕農家の大きな家と言った趣きで、東日本の格ある家で見られる深い軒先(船棚造り)を持っています。この建物が江戸時代中期に此処に建てられた当初は茅葺きの入母屋造りでした。小屋裏を蚕床とする為に妻側の屋根を切り上げ、通風と採光を良くした兜造りは幕末の開国後の生糸需要の伸びに合わせて日本各地の民家で見られる様になった造りで、養蚕を生業としていた小林家にも同様の改造が施されていたそうです。

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平成23年から3年間に渡る修理事業において、この建物は江戸時代中期の建設当初の姿に近いカタチで復元されることになりました。土間にある竈はまだ新しい雰囲気が残り、その奥には勝手と呼ばれる板張りの空間があります。平地に置いては土間は農作業に要するに空間で広さが必要なのですが、山間部ではそれが小さく済むため、限られた土地を最大限利用できるように居住空間になっています。

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その勝手に立ち、広間越しの縁側方面を眺めてみました。広間と勝手の間以外には1間毎に柱が建つ古い形式を残し、木材は山域に豊富にある杉や栗が用いられています。長屋門や蔵など文化財指定を受けている自分の祖父母宅と同じく3間造りではあるものの、平地の民家と山岳の民家では受ける印象がだいぶ異なるものです。平地には平地の、山には山の同理があるのだなと感じ入ってしまいました。

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8畳間の奥出居です。出居(デイ)はお客さんを接待する場所で、小林家住宅の中でこの部屋のみ畳が敷かれ、天井も付けられています。役人が小林家を訪れた時に泊まっていく部屋でもありました。

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管理人さんにお弁当&お酒持参で来られれば、(重要文化財家屋広間の)囲炉裏で食べていって良いですよと以前に言われた事があったので、お言葉に甘えて食事をさせて頂きました。この日のデザートは茨城で栗拾いをした特大サイズ栗を甘露煮にした物。申告すれば比較的簡単に登録される有形登録文化財で食事ができるところは日本中に多々あり、重要文化財内のレストランもちらほら有ります。今回は重要文化財貸切(ほかのお客さんいない)状態で食事と豪華な時間を過ごせました。息子は食後に縁側前でフリスビー....。

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主屋の裏側の斜面にはツツジが畑が広がっています。小林家が主に作物を育てていた畑があった場所で、反対側にあたる主屋から下の斜面は桑畑でした。季節になるとツツジ畑で花見をする観光客がドッと押し寄せる春は、小林家住宅が1年で一番賑やかな時期だそうです。

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ツツジ畑を登って行くと火事に備えた大きな貯水タンクがあり、そこから小林家住宅を撮ってみました。此処から100メートルもいかない東側には小林家の炭焼窯跡が残っています。山に囲まれた民家でひと時をすごし、木炭や生糸を造り運んだ昔の山上生活を少し垣間見た気分になりました。

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燃料をモノレールに投入する作業を覗く娘。妻と今年富士山登頂を目指している息子は徒歩で山道を下ると先に出発していました。モノレールは真っ逆さまに落ちるかの様な角度で山林を降っていきます。速度こそ遅いものの、この乗り物がこの瞬間に壊れたら沢まで一直線かと考えが浮かんでしまい、ガタガタ進むモノレール乗車はスリル満点でした。総角沢駅に到着すると、先に到着していた妻と息子が大きく手を振りながら出迎えてくれました。