大正十五年開業した宝塚ホテル、令和二年春に解体される前に宿泊

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最近は大阪/京都市内の宿泊代金が高く感じられ、関西で宿泊する必要がある場合は兵庫県か奈良県に泊まる事が多くなりました。取引先との夕食を終え、宿泊するホテルのある宝塚に到着したのは午後10時過ぎ。阪急今津線の宝塚南口で降りていれば宿は目の前にあったのだと知ったのは宝塚駅を降りてからでした。

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駅前には「宝塚歌劇モニュメント」と名付けられた銅像がお出迎えです。テレビや雑誌で宝塚のことを目にする事はあったも、これまで自分自身で宝塚に来たことはなく初訪問となりました (親に連れられて宝塚ファミリーランドはたぶん有る)。歌劇の街や阪神間モダニズムをゆるゆると見学したいと思うも、翌日も日程がビッシリなので次回の機会にすることに...。

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冷たい風が吹くなか武庫川に架かる大橋を渡り、人影の見えない住宅街を荷物を抱えて歩きました。2年程前だったと思うのですが、宝塚に大正15年(1926)に建てられた「宝塚ホテル」が老築化により移転新築されるとのニュースを目にしていました。2020年春に開業予定の新・宝塚ホテルまで現・宝塚ホテルは営業を続けるともあったので、それまでに是非とも一度お邪魔したいと思っていたのでした。

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大阪/神戸からほど近く、天然温泉が湧き、宝塚少女歌劇団を擁する行楽地・宝塚に鉄道が敷設され、洋館ホテルが建造されました。そのホテルが宝塚ホテルです。終戦後の昭和20年より10年間は進駐軍の接収を受けるも解除後にはホテルとしての営業を再開し、現在に至るまで長く愛されてきた老舗ホテルです。

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この日に宿泊したのは宝塚歌劇団を創設した小林一三氏の建てた宝塚ホテルでした。植物模様のレリーフを持つ切妻屋根に、ドーマー窓特徴とする外観です。現在の宝塚ホテルは大正期に建てられた本館に加え、新館、東館、西館から構成されています。最も古い建物である本館がやはり良かろうと思い、本館の部屋と書かれた予約プランをお願いしていました。宝塚ホテルは関西のクラシックホテルとして20年前には知っていたのですが、熱狂的なヅカファンのおば様達が闊歩しており、そのなかで肩身の狭い思いをするのではと心配だったのが避けていたのを思い出しました。

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受付のあるロビーに潜り込むと、豪華なシャンデリアが吊り下がる空間が広がっていました。受付に見える2名の男性以外には人影は見えず。「予約したXXXXです。」と手続きをお願いしたところ、「お待ちしておりました。西館の広め部屋を容易させて頂きました」と部屋の鍵を渡されました。「本館で予約したはずですが...」と返そうと一瞬思うも、疲れてしまっていて鍵をそのまま受け取ることにしました。

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赤い絨毯の敷かれた通路を進むと、昭和50年代に宝塚大劇場で実際に使用されていた「騎士の門出」と名付けられた大きな緞帳が飾られていました。 緞帳は大きさがあるためか、現物をそのままに近いカタチで使用するのは珍しいかと思われます。原画は神戸出身の洋画家・小磯良平氏。

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宝塚ホテル西館の「すみれの間」ロビー部分に到着。昭和初めに宝塚歌劇団により日本で初めて歌われたシャンソン。宝塚歌劇団の代表歌ともなっている「すみれの花咲くころ」に因む名前となっています。スミレ色というよりは強い紫に見受けられる布が用いられていました。

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西館につながる新館には宝塚の専科と各組のパネルが展示されていました。自分には花月雪星宙のどの男役かすら見分けができないのですが、愛好家の方々なら何年の何役の誰で、どの場面と走馬燈の様に思いが巡るのでしょう。

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すみれの間近くのエレベーターを利用して、指定された階の部屋のドアを開けると、ベッドが3つ並んだトリプルルームでした。観劇後であれば臙脂色の敷物に特別な場所にいるような余韻に浸れそうな部屋でした。この日は疲れきっていたので、最低限のことだけをして早々に寝てしまいました。

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部屋の窓からの眺めです。宝塚は高層マンションが立ち並ぶ街だとは知らなかったので、宝塚駅から武庫川を渡ってホテルまで昨晩歩いた時には少し驚かされました。宿泊した西館も高いビルに囲まれてしまっており、圧迫感を受ける少し残念な風景しか見ることができませんでした。

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朝食まで時間があったので、館内を散策することにしました。宝塚ホテルは増築につぐ増築を繰り返した継ぎ接ぎ建築となっているためか、自分の所在地を感覚的に把握するのが難しいところです。頭のなかで各建物の立っている場所を描き、本館の大正期の入口は中庭のこの辺りかなと探してみましたが、それらしき場所はあっても特定できず...。

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館内に見るホテルでの結婚式の案内には、この廊下で撮ったものが多かったので自分も真似して撮影。中庭側の窓の下には腰の高さの欄干があり、昔はここは中庭と敷居のない通路であったのだろうと推測できます。チェックアウト時にホテルスタッフにその事を写真を見せて尋ねてみたのですが、「よく分からない」との回答で詳細は不明...。

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本館のL階にあるビアケラー。この日までビアケラーを酒場との意味でなんとなく理解していたのですが、Beer Kellerの綴りを見てKellerは英語ではCellarで地下室や貯蔵庫の意味だったのかと独り納得していたのでした。ここが開業当時に本館ロビーがあった場所で、やって来る紳士淑女は目の前の赤絨毯敷かれた階段を歩いたことでしょう。

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同じく本館L階にあるティーラウンジ「ルネサンス」です。5メートルはありそうな高い天井にシャンデリアが下がり、広い空間に独特の癖が見えると椅子が並んでいました。早朝のため誰もいませんが、昼間は宝塚マダムや観光客でごった返している様子が想像できる空間でした。

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朝食会場は東館の一階にある「ザ・ガーデン」が指定されていました。館内の何処にあるのか分からずで、フロントで行き方を尋ねて到着。自分と同じくスーツを着た男性が1名と2人で向かい合って座る女性の合計3名が先に食事をされていました。宴会場をメインとして増築を繰り返した為か、ホテルの大きさ割には客室数が129部屋と少なく、宿泊している人もあまりすれ違わなかった印象を受けました。

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現在のロビーを2階より撮影。このホテルはロビー部分から何処に行くにも階段を昇り降りす必要があると、現在の標準から乖離してしまっています。大規模な耐震補強共にスロープ等を設けて館内/室内を狭くするよりは、宝塚大劇場の隣りにある駐車場に移転すると決断がなされたのだと思われます。

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本館建物の意匠は引継がれる等の新ホテルのイメージ画が公開されています。宝塚ホテルは宝塚歌劇団との密接な関係があり、その大劇場に隣接するカタチで移転できる土地があったのは幸運だったと言えそうです。自分の母親が子供の頃にタカラジェンヌが夢だったと聞いたことを思い出しました。今回は寝るだけの短い滞在しかできなかったため、街中を殆ど見ることができていません。宿泊したホテルからも伝わる宝塚の雰囲気を楽しみに、宝塚ホテルの名前を引継ぐ新生・宝塚ホテルの開業後に、三世代旅行で宝塚を改めて訪れてみたいと思いました。