ソラシドエアSNA89(羽田→大分)太平洋ベルト地帯を上空より

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大分県行って参りました。「空から幸せの種を撒く」航空会社ソラシドエアに乗って、東京・羽田空港より大分国東半島の大分"おんせん"空港(勝手称)までのお出掛けです。第2ターミナルの搭乗口は前夜より駐機しているANA機で埋まっているらしく、沖止めされているソラシドエアの機体までバス移動し、目の前で小型ジェットに分類される全長40メートルのボーイング738の大きさを体感して搭乗です。

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誘導路へと歩みを進めると、昨年就航したばかしのエアバスA350型・嵐ジェット塗装機が先行して滑走路へ向かっていました。日本航空が基幹路線で使用しているボーイングB777の後継機として利用される予定だそうです。機体の左右で描かれている写真が異なっているのが追いかけている途中で見えました。それにしても、空を覆う雲が禍々しい...

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禍々しい雲は雲の上に出れば素晴らしい景観が期待できるものです。羽田空港発の便に乗る時には何をさておき富士山を探すので、この日も雲間から発見しようと窓側に張り付いてキョロキョロしましたが、それらしき山容を見出すことは残念ながらできませんでした。早朝の朝日が夜を宇宙に押し上げ、朝日を浴びる雲や山々は格別な姿を見せてくれます。

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この日の東京から大分までの飛行ルートは上図のようなものでした。東京湾上空で大きく右旋回をしてから一路西へ飛びます。広島湾の上空で南へと進路を変えて目的地である大分空港へと向かったのでした。高度成長期に太平洋ベルト地帯と呼ばれた、関東から北九州まで産業集積地帯の上を飛ぶかのような飛行経路でした。

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静岡県と長野県の国境に聳える上河内岳(2,803m)上空より、北に聖岳(3,103m)、赤石岳(3,102m)、荒川岳(3,141m)と赤石山脈(南アルプス)の雄大な眺めが広がります。奥には塩見岳(3,047m)、間ノ岳(3,189m)、そして富士山のに次ぐ高さ誇る北岳(3,193m)と、富士川と天竜川に囲まれた大山脈です。写真の奥には北アルプスこと飛騨山脈も少し写っています。

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庄内川の北、楠インターチェンジの近く位置する写真中央の飛行場は小牧空港(現・県営名古屋空港)です。この空港は戦中の昭和十九年(1944)に帝国陸軍基地として開港し、戦後は米軍が接収。昭和二十七年には羽田-小牧-伊丹を結ぶ定期航路が開かれ、同年に空港隣接地に三菱重工・小牧南工場建設との経緯を経て日本の航空産業の揺籃となったのでした。この小牧南工場では、YS-11以来の国産旅客機でそのニュースを聞くことも多い三菱スペースジェット(MRJ)を組立をしている工場で、上空より肉眼でもハッキリと確認できました。

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大垣市の手前(大垣市は雲で隠れん坊中)で木曾三川(木曾川、長良川、揖斐川)が濃尾平野を流れている景色です。この地域は長く暴れ川の被害を受け続けており、その対策として設けた高い堤で集落を囲む「輪中」が特に有名です。そこは堤が決壊を起こした場所に水神を祀り、水神の加護を願う水神信仰が盛んな場所でもありました。航空機真下の長良川と揖斐川に挟まれた場所に「高須輪中」が見え写真を撮ってしまいましたが、関ヶ原より再び雲が広がってしまいました。

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朝方のフライトなので、機体右舷に雲をスクリーンとしてのブロッケン現象が見られました。機体と太陽の位置関係から見られる場所は容易に分かるのですが、主翼がちょうど視界を遮る場所にあり少し邪魔に思えてなりませんでした。

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広島県のほぼ中央に位置する広島空港です。中国・四国地方で最大の年間200万人が利用しています。平成五年(1993)までは広島市内にあった広島西空港(現・広島ヘリポート)が広島の空の玄関口でした。広島西空港は朝日航空を母体とする西瀬戸エアリンク(JAL傘下後はジェイエア)が当初拠点を置いた場所で、戦後初の閉港となった広島西空港閉鎖方針により拠点を小牧空港(名古屋)へ移動。日本航空経営不振時には名古屋から伊丹空港へ再び本社移転と紆余曲折を辿るも、現在のジェイエアはJAL国内線の4割を担当しており、現在開発中の三菱スペースジェットの運航をおこなう事も決まっています。

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呉上空より望む広島市街地です。広島は太田川流域にできた島々を開拓してできた街で、戦国時代末期に毛利元就の孫である輝元が太田川デルタの広い島に築城した事を契機として干拓が進み城下町を形成しました。日清戦争時に"臨時首都"となった頃から七万人程だった人口が急増し、昭和17年には42万人までもなった程でした。原爆投下により壊滅的被害を被るも復興後に著しい発展を遂げ、現在では人口120万人が暮らす国内有数の大都市となっています。

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岩国市を通り抜けて南西へと向かって行きます。広島市周辺そうですが、岩国も瀬戸内海と迫る山々との間にある僅かな平野に建物が密集しているのが上空から見るとよく解ります。眼下には平成10年に2,400億円の費用を要して1キロ沖合移設した岩国米軍基地の滑走路も見えていました。

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光市から周南市までの風光明媚な海岸線の遠望です。日露戦争を契機に海軍が設立した煉炭製造所が母体の旧徳山海軍燃料廠があり、呉および周辺から出た船は此処で給油して外洋へと出航したのでした。自分の母方の祖父も呉から出航して、この辺りに停泊していた事もあった事でしょう。戦中に米軍の空襲で壊滅した燃料廠は周南コンビナートと変わり、瀬戸内工業地域の一角を担っています。

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まあるい国東半島に張り付いている大分空港が見えてきました。ほぼ南北に配置された滑走路01/19の北側から最短距離で真っ直ぐに着陸するものだと思っていたのですが、冬は西風と北風が卓越する地形なのでか、空港の場周経路にダウンウインドから侵入していました。ベース→ファイナルと急旋回で着地へ。海面近くでの旋回は心臓に悪いです...

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空港ターミナルに到着しました。羽田から大分までの距離は直線にして499マイル(803キロ)、およそ1時間45分の空の旅でした。関東の空模様が好ましくなかった為に富士山こそは拝めなかったものの、中央アルプスの雪山から瀬戸内海の街々の姿を眺められた楽しいフライトでした。