魔都上海と世界を結んでいた龍華機場跡を散策してみました

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魔都上海。長江の河口域に生まれた町は、阿片戦争に敗北した清朝が異国に開港した後に急速な発展を遂げました。東洋にできた西洋、租界地以外を中国人街と呼ぶ歪な光景。昼は英米仏の諸外国が、夜には青幇と呼ばれた地下組織が支配した東洋最大の都・上海。大陸の窓口と言えるこの街はパスポートなしで訪れられ、東洋のマタハリこと清朝の王族・川島芳子、絶世の美貌と澄み渡る声を持つ歌姫・李香蘭と日本人にとっても爛熟した色をなす街と映る街でした。

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20世紀の航空機時代が到来すると、辛亥革命により樹立された"北洋政府"が上海市中央を流れる黄浦江沿いの土地に軍事訓練場設け、1922年にはそこを正式に龍華飛行場としたのが上海における民間空港の始まりでした。龍華空港は1963年に上海虹橋空港へと民間空港の地位を譲るまで魔都・上海の空の玄関口でした。今回はこの空港跡地を散策した話しです。

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日本の支配下にあった1940年代の上海・龍華空港は東洋で最も大きな飛行場と称されておりました。虹橋空港に上海の空港という地位を譲ってからは操縦員養成や遊覧飛行、個人所有機での利用と多目的な用途で使用されるも、周辺の猛烈な開発に呑み込まれるカタチで今世紀に入り飛行場としての役目を終えたのでした。自分が龍華飛行場を最初に訪れたのは20世紀も終わりに近い年で、中国の複数箇所で教官同乗で古い機体に乗っていた頃でした。その後は2016年に久しぶりに再び訪問、2019年に再訪。この投稿に2種類のサイズ写真を使っておりますが、横長なっているものが2016年訪問時の写真で、4:3の正方形に近いものが今年撮影した写真です。

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3年前に訪れた時は海外出張で、打ち合わせを終えて(旧)龍華機場巡りをする為にタクシーで上海市中心西南の徐匯区にある龍華寺を先ず訪れました。伝承によるとこのお寺は三国時代の孫権が仏舎利を祭るために建てた仏塔を起源に持ち、1,700年以上の歴史を誇る上海一の古刹です。今回の目的地・龍華機場の名前の由来はこのお寺から来ており、ここでお参りを済ませてから出発しようと思っての訪問でした。現在の龍華寺は宋代の七堂伽藍様式を模して再建されているので、日本の禅寺とも共通点が見え面白い場所です。参拝に訪れている方々を見ると、文化財観察を目的とした日本での訪問客(観光寺)ばかりではなく、真摯な信者の方々が多かったように見受けられました。3つ下の白黒写真の矢印1番に映る緑地帯が龍華寺の位置になります。

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急速発展を続ける上海の街並みは変化が激しく、北京ビキニと揶揄される腹出しスタイルのオジさん達の溜まり場公園が、いつの間にやら超高層ビルに化けているのも良く聞く話し。龍華機場へ向かう途中で行列のできていた包子屋さんがあり、一個8角(=14円)で湯気が立つ出来立てホヤホヤを3個頂いたお店があった場所なのですが、既にその店はなく超市(スーパーマーケット)へと変貌を遂げてていました。

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上でも少し触れましたが、この飛行場の経緯はこのような感じです。龍華機場は上海市を流れる黄浦江の西岸、中心部にあたる外灘地区から7km程離れた場所に1922年に龍華飛行港として開港しました。水陸両用で運用され魔都・上海と世界を結ぶ空港となり、中国航空公司、欧亜航空公司等の中国の航空黎明期の代表的な会社の誕生した場所でもあります。日本統治下には海軍飛行場となり1,524m砕石の滑走路と爆撃機100機を駐機できるまで拡張された歴史もあります。大戦後当初は龍華機場が民間、虹橋空港が軍の区分けだったものの、1963年には虹橋空港の民間利用が始まり、1966年8月よりは全ての民間航空会社は虹橋空港へ移ることになりました。その後の龍華機場は小型飛行機やヘリコプターが飛来する空港になっていました。市内の広大な未使用空間に宅地化の波が押し寄せ1994年には1800mあった滑走路を860m縮小されてしまい、昨今の再開発でその役割を終えることにになりました。

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龍華西路を龍華寺から少し南東に歩くと運河に出ました(矢印2番)。龍華機場というと自分にとっては”太陽の帝国”の印象が強く、ゼロ戦が並んでいるイメージがあったりします。この橋を渡ったところには上海杭州鉄道の軌道が昔のまま残っており、映画「太陽の帝国」でJBバラードが歩いていた土手はこの辺りにあったのではと思える一角で、ボーイズソプラノで歌うSUO GAN(ウェールズ地方の子守唄)が聞こえてくるような気になります。

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豊谷路/にぶつかるに交差点に龍華機場の旧ターミナルビルがありました(矢印3番)。紹興飯店と掲げられていたので宿泊施設だと思い、さも宿泊客の様に装いながら足を踏み入れて見ると結婚式場だと判明。式の準備中らしくロビーホールの正面奥にある階段から、新郎新婦が歩く花道であろう箇所を係りの人が忙しそうに用意していたので退散。弧状のターミナルビルは一時は廃墟化していたらしいので、再利用されていると分かり安心したのが3年前のことで、今年訪れた時には無情なコンクリート製の壁が敷地をぐるりと囲んでおりました。前回訪れた時には見えた建物上部にあった龍華機場の文字も既になくなっていました( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`)ナミダ。

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そのターミナルビルを反対側から眺めると、屋上にはハッキリと空港時代の管制塔の面影が見て取れます。管制塔跡は前回訪問でも廃墟の趣のきがありましたが、手入れが為されないまま割れた窓の数だけが増え、3年経って廃墟感が一層強いだけとなってしまっていました。あの内部には中国航空史上で重要なものがあったりしそうなので気になります。

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ターミナルビル跡地から豊谷路を東に進むと道路北側に上海民航航業技術学院を発見。ここはパイロットの養成こそしてはいないものの、整備士や、無線、航空輸送等に多数の人材を輩出している大きな学校です。この学校の裏手には航空機の残骸が放置されているとの噂もあるので探検したい場所だったのですが、今回も前回に続いて訪れられませんでした。

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さらに歩みを進め、豊谷路と雲錦路の交差点手前(矢印4番)に「上海民航龍華機場」の看板を発見。ここが1,000mに短縮されてしまった時の空港北門にあたる場所であったことを示しています。内側は公園建設地と駐車場に現在はなってしまっていました。豊谷路と雲錦路の公差点に立ち(青矢印)南側を3年前に望んだのが上の写真です。上海市の浦江開発計画リストに載り、龍華機場を含む西岸地区一帯は再開発が現在進んでおり、辺りはどこもかしこも建設の最中。ここに見える雲錦路は南北に滑走路が走っていた場所とほぼ重なり、多くの航空機が離発着した場所でした。

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豊谷路を黄浦江へ向かってさらに歩きます。この道は元空港の誘導路上にできた道路で、遠くに見える大きな赤い建物(矢印5番)は旧格納庫です。現在は美術館として利用されています。地図を見ても機場西路、機場東一路と以前は飛行場であったことを示す地名が周辺には多数残っており、歩いていると色々なところにその名残を散見できました。

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道路の突き当り、黄浦江に到達しました。遠方には建設当時は世界2位の632メートルを誇る上海中心(捻りん棒)と、森ビルグループが建てた上海ヒルズこと上海環球金融中心(栓抜きビル)、金茂大夏のトリオが西岸地区からも確りと見えました。その左手に上海のシンボルである東方明珠電視塔(おでんタワー)も写っています。おでんタワーは白居易の琵琶行にある「大珠小珠落玉益」が由来の美しい名前なのですが、おでんタワーのインパクトには勝てない(*´艸`*)ウシシ。

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途中で見かけた格納庫を改装した美術館・余徳輝美術館です。インドネシア華僑のブディテック氏の私設美術館で、航空機格納庫をリノベーションした会場で広さを生かした現代アートを楽しめる場所です。有名なRAIN ROOMを楽しみに来ましたが偶然にも2週間の長期点検時に訪れてしまいました...。

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前回は格納庫だけでも覗けないかと裏手を見るも、工事関係者とその車で入る隙間なし。諦めて龍騰大道を南に歩き出したのですが、今年は「雨屋」ことレインルーム体験してきました。10メートル四方の部屋の中は雨が降り注いでいるのですが、入室した人は何故か濡れずに出てこられる不思議な部屋。センサーと水バルブ制御システムで制御された仕掛けなので、視覚と触覚が一致せず脳内で混乱。雨の中でも濡れないという異質な体験をできました。

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油缶芸術公園の完成予想図。オイルタンクが立ち並ぶ地区(矢印6番)を発見。リノベーションをして2017年には一般開放されるとありましたが再訪はしておりません。3年前の訪問時に残っているタンクは5基のみでぢたが、完成予想図にはオイルタンク9基。この西岸と名付けられた再開発地区は一帯が産業地域だったのが、既存の設備を活かした新しく都市型休息&芸術空間にと変貌まっしぐらです。

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この地域を歩いている間に始終目にしていた上海国際航空服務中心の高層ツインタワーの完成予想図と、旧滑走路の南側から北方向の眺め(青矢印)です。ここは上海一の並木道になる予定だとか。その通りの象徴となるツインタワービルはスカートの様に広がる外壁が特徴のようで、完成したら実際に内部がどうなっているのかを見上げてみてみたいものだと感じました。

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滑走路のあった雲錦路を北へ歩いていると、途中にツインタワーと同じデザインで建設中の建物があったのでづが、3年が経ち同じ場所で撮影をしてみました。中国と言うと1年で1万キロの高速道路を造り、高層ビルを10日で組み上げるイメージがあるのですが外観は3年前から殆ど変わらず...。車寄せの脇に立つ緑だけが大きくなったかのようです。見渡す限り誰もいないので入って行けそうな気もしますが自重しました。ここは5星ホテルになるそうです。

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雲錦路と豊谷路の交差点へ向かっている途中に”跑道公園”と実に魅惑的な名前の看板を前回発見しました。跑道は滑走路のことです。龍華飛行場の滑走路跡に作った公園なので”滑走路公園”と銘打っただけなのでしょうが、嬉しくなるネーミングだと思いました。日本でも空港近くには航空公園がよくあるものですが、跑道(滑走路)公園というのは聞いた事がありません。なんと心を擽られる名前なのでしょうか!!

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滑走路公園の建設現場を搬入部より少し覗いてみました。公園中央部を貫いているのはナント本物の滑走路ではありませんか!?  横幅で考えると随分細くなってしまっておりますが旧滑走路のようです。先程のイメージ図にあった運河の流れる公園から滑走路がそのまま残るか不安が残るところですが、滑走路公園の名前に負けずに是非とも有効活用をと願いました。北側から覗いてみると公園らしさが感じられます。

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前回入館の叶わなかった余徳輝美術館と併せて再訪を決意していた滑走路公園に戻ってきました。既に公園としては完成されている模様でしたが訪問者は疎ら。何処に行っても人の山を見る中国都市部では気持ちの晴れる思いです。クルマ止めが置かれている入口よりなかに足を踏み入れてみました。

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前回訪問時に実は気が付いていた事がありました。上の写真の芝生に埋め込まれた大きな石はアスファルトで、おそらく滑走路を撤去する時に出たもの(滑走路の一部)を再利用したのだと推測していました。芝生+アスファルトの不自然な組み合わせが公園を南北に貫くかのように設置されていたので、あたかも滑走路を想起させられ、これがこの公園の隠れた主題となるべきモノだと考えていました。

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その答え合わせをすべく、公園内の何処かに立てられているであろう公園案内板を探し求めましたが見つけるに至らず...。回答は分からないままとなってしまいました。ネット上でその情報を探せば回答を得られそうですが、正しかろうが誤っていようが現地に行って、見たり/聞いたりして得た情報に基づいて考える遊戯を続ける自分の方針に反するので、このままアスファルトの回答は不明のままにしたいと思います。上海は年内に再び戻って来る予定があるので、次回の散歩でその回答を得たいところです。

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自分記憶が正しければ龍華飛行場の滑走路は南北(18-36)だったはずです。長さは東京・調布飛行場と同じぐらいなので800メートルほど。自分が昔見た滑走路も上の白黒航空写真と同じく1本だった筈なので、上の写真の18L/18Rと並ぶ2本の並行滑走路は只のデザインなのかとも思われます。ただし、わざわざ本物の滑走路を部分的に残した上で、「滑走路公園」と名付けるぐらいの力の入れようを見ると、もしかすると本当に龍華飛行場には滑走路が2本あったのかも知れません。なので、この疑問も次回訪問時の宿題とする事にしました。