醸造の街・摂田屋散策と、自宅で子供と手前味噌造り

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新潟県長岡市に行って参りました。長岡市は戊辰戦争と大東亜戦争の戦火にて市街地の殆どを焼失してしまったものの、被害を間逃れた地域もあり、そのひとつに摂田屋と呼ばれる場所があります。今回お邪魔したのは昔より醸造が盛んなその摂田屋地区で、明治大正時代より残る建物が点在する街中を、蔵から流れ出る麹の香りを楽しみながら散策しました。

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信江茫々。埼玉県と山梨県の境にある甲武信ヶ岳を水源とする千曲川は佐久、上田、長野盆地を経て新潟県へと至り、信濃から流れるくる"信濃川"と名称を変えて新潟市で日本海に注ぐ日本で一番長い(367km)河川です。長岡は信濃川沿いに江戸初期に拓かれた城下町で、明治三年(1870)に柏崎県に併合されるまで250年間に渡り長岡藩として中越地域を統治していました。摂田屋地区は長岡から4キロ程南に下った場所にある集落で、案内によると上野寛永寺の領地だったようです。東に聳える東山連山からの地下水と越後の豊かな米、さらには信濃川の水運に恵まれた土地でした。

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明治二十年創業の機那サフラン酒本舗。吉澤仁太郎氏が21歳の時に開発した薬用酒・サフラン酒が養命酒と並ぶ程のヒット商品となり、後に銃印葡萄酒の大ヒットもあり一代で巨万の富を築いた人物のお店だった場所です。その財力で作り上げた日本一と称される鏝絵蔵(大正十五年建築)が現在で残っています。窓が数多く配されて開口部全てに鏝絵を持つ特殊な蔵は真に"魅せる"ための蔵で、海鼠壁に十二支が描かれた扉と実に華やかな雰囲気を現在に伝えています。

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羊に菖蒲の戸前。手前の赤土はベンガラ、羊の後ろの菖蒲は孔雀石、背景の岩は藍銅石を混ぜて色を出したのでしょうか? 明治までは羊は国内にいなかったのでか、鏝絵で描かれた羊は山ヤギの様に見える姿に映ります。退色した岩はサフランの花の色と言えるかも??

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摂田屋にある醸造六社(吉乃川酒造、長谷川酒造、越のむらさき、星野本店、味噌星六 + 機那サフラン酒製造本舗)は各社が登録有形文化財を持つという珍しい場所で、上の写真に映る天保二年(1831)創業の「越のむらさき」も主屋と土蔵が文化財登録となっております。お店の前で偶然に営業の方と会い、色々と案内をして頂いてしまいました。何でも、ダシ醤油を最初に作ったのは此の蔵で、此方の看板商品は「特選かつおだし 越のむらさき」なのだとか。上の写真は三国街道に当たり、店舗前のお地蔵さんの足元を良く見ると...

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「右ハ江戸、左ハ山路」と石の台座に彫られているのが一部確認できました。このお地蔵さんは越のむらさき創業の20年程前頃に、行方不明になった子供の両親が子供の無事を祈って建てたと伝わっているのだそうです。

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「右ハ江戸」の指示に従ってお地蔵様の右手の道を進むと、麹菌で黒ずんだ塀に挟まれた幅3メートル程の細い路地の向こうに大きなタンクが見えてくるのでした。戦国時代、家督を相続した上杉謙信が春日山に入城した年にあたる天文17年(1548)創業と国内でも五指に入る長い歴史を持つ醸造酒メーカー・吉乃川酒造のタンクで、新潟県では最も歴史を持つ蔵の裏手にあたる道です。田中角栄首相が愛飲したとも言われる、敷地から湧く「蔵元の仕込み水」が吉乃川酒造で販売されているので買い求めます。

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街中の公園にあった公衆トイレも大樽を模した外観と、醸造文化を誇る摂田屋ならでは。平成十六年(2004)に発生した最大震度7を観測した中越地震で摂田屋も大きな被害を受け、その後に行政・民間ボランティアによる街並み環境整備事業がおこなわれた事業の一環で整備された場所で、摂田屋公園は平成二十六年に開園したのだとか。

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天保十三年(1842)創業の長谷川酒造。先代が新進党より参議院選挙に立候補し政界入りした為に、三姉妹+母で蔵運営をおこなっている酒造メーカーです。平日の散策なので人の姿を見ませんでしたが、毎年春に開催される「越後長岡蔵開き」では多くの人で賑わうのだそうです。長岡産の酒造好適米・越淡麗で仕込んだ「越後雪紅梅 純米大吟醸 」を買わせて頂きました。

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入口に大きな木樽が置かれた、重兵衛小路に立つ洋風建築が星野本店です。江戸上野で修行をした初代・星野三五衛門が弘化三年(1846)創業し醤油を作り始め、現在は味噌、醤油、麹、漬物などを製造販売をされております。

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その星野家から明治期に星野六朗氏が分家し定めた屋号が「星六」で、その屋号を掲げた新しい味噌蔵「味噌星六」が昭和五十年(1975)に雁木通りにできました。引っ張りに引っ張ってしまいましたが、ここが摂田屋での自分の目的地です。遠くからでも目に留まる看板の文字は、星六のご親族が懇意だった洋画家・中川一政氏によるモノ。駐車場に店主の星野正夫氏がいらしたのでご挨拶をさせて頂きました。

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電子部品のエンジニアを当初していた店主は職を辞した後に新潟県内の醸造関係で暫く働き、星野本店で働いた父親や周囲の助けを得て味噌づくりを開始。昔ながらの味噌造りに拘り、漫画「美味しんぼ」16巻にて主人公の山岡士郎が副総理に「味噌は新潟県長岡の星野さんが、無農薬大豆で丹精こめて作った星六味噌の三年もの」と言って供する場面に登場もしています。我が家が星六さんの味噌を知ったのは、妻がこの漫画の愛読者だったからでした。

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うちは星六さんの2年ものを使用しているので、米麹に豆麹を加えた「昔造り味噌」の一年もの、三年ものを味見する意図で入手。秋田県産ひとめぼれ、秋田県産大豆りゅうほう、赤穂の天塩が原料となっているのだとか。会話を楽しみながら買い物をしていると、過去の購入歴より「XXXさんですね!?」と言い当てられてしまいました...

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我が家では、各地の味噌をチョコチョコと購入してみたり、味噌造り教室に子供達と一緒に参加してみたり、自宅で手前味噌/醤油を毎年春に拵えてみたりしています。毎年続けているとコツの様なものが分かり、自分好みの味に向けようと試行錯誤→出来上がりで確認をするのを楽しんでいます。

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左の濃い色が"我が家"の1年もの味噌。塩で封をした状態の右側が作って半年ものの味噌です。作ったばかりの頃は大豆の香りが強いのですが、夏を越してからフタを開けると発酵して"味噌"の香りが漂います。この時の材料は新潟産大豆に米麹。大豆と米麹の比率が1:1と麹が浮く上越味噌のようなバランス(少し辛口)で昨年春に仕込んだものでした。

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上の水に浸された大きめな大豆は摂田屋「星六」さんで購入した大粒の黄大豆・秋田県産りゅうほうです。秋田県産という事で秋田の水を使うのが良いかとも迷うところですが、吉乃川の「蔵元の仕込み水」を使用。一晩置いて充分に水を吸わせてから煮炊き、親指と小指で挟むと潰れるくらいに大豆がなったら潰し作業開始です。大豆を密封ビニールに入れて、讃岐うどんの様に生暖かい大豆を脚で踏むのもありですが、娘に手伝ってもらい「ぺったんこ、ぺったんこ」との労働歌と共に潰してもらいました。

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潰した大豆の上に星六さん購入の米麹、塩を投入して混ぜ込みました。ほっぺた具合の柔らかさ野球ボール大の団子を沢山作っていき、高濃度アルコール消毒した容器に押し込み、ラップを掛けてカビ防止の塩を置いたら仕込みは完成です。「おみそ、みそ、みそ、手前みそ、うちの数だけ みその味」と労働歌を唄いながら作業をすると更に美味しくなるものです。あとは台所の暗い場所に置いて、熟成が進むのを半年〜二年ほど待つだけ!  いつも口にしている星六さんのお味噌と自家製(星六さん材料)味噌の味比べが楽しみです(*´艸`*)ウシシ