岩手の座敷わらし、緑風荘の座敷わらし、我が家の座敷わらし

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みちのく岩手県の北端にある温泉地に行って参りました! こちらの温泉街は全国でも珍しく、宿泊時に超常現象が見られたかどうかが話題となる温泉街 「座敷わらしの里、金田一温泉郷」です。 東北の座敷わらしは、大きな屋敷に住み、出会ったものに幸運をもたらすと信じられています。

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金田一温泉は座敷わらしの目撃談が特に多い場所で、青森県との境にあたる岩手県・二戸市の山に囲まれた盆地にあります。毎日ドタバタと元気に走りまわる"童子(わらし)"が自宅にもいるのだから、わざわざ岩手くんだりまで出掛けなくてもとツッコミが入りそうですが、これはこれ、ソレはソレ。

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その金田一温泉の宿に泊まり、幸運に恵まれると座敷わらしは霊魂(オーブと呼ばれているらしい)のかたちで会いに来てくれるのだとか。上の写真は家族で宿坊に今年泊まった時のものですが、赤丸の中央にソレらしきものが写っています。写真には汗だくになりながら全力で走りまわっている"座敷わらし"達も偶然に写っているので、我が家から400キロも離れた場所について来たようでした...。

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その金田一温泉で特に座敷わらしと会える確率が高いと思われている宿が「緑風荘」です。本当は宿泊をしたかったのですが、日本中から座敷わらしに会い来る人達で直近2ヶ月は満室でした。宿のホームページを見ると日帰り入浴での利用可ともあったので、世界のホンダを築いた本田宗一郎も見た座敷わらしを見てみたいとの好奇心が疼き、寄り道をして訪れたのでした。

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母屋と厩(馬屋)をL字型に配した南部曲がり屋を思わせる大きな建物です。1955年に築300年と言われる古民家を宿泊施設とし、座敷わらしに会える宿として人気を博しました。しかしながら、2009年の秋にボイラー室より出火で敷地内にあった神社を残して全焼してしまいます。それから6年ぶりに再建/営業再開をしたのが現在の緑風荘なのです。

火事に見舞われたニュースを聞いた時、「座敷わらしの宿で出火という事は、座敷わらしが他家に移ったからかな」と声にこそ出しませんでしたが疑問に感じていました。

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受付で入浴料を払い入館しました。受付のカウンターでは敷地内にある神社の御朱印を受け付けているようで、御朱印の見本が置かれていたものの、こういう時にかぎって御朱印帳を持参しておらず。縁があるのか、ないのか半信半疑で座敷わらしを求めて館内を見回していました。

学生の頃に友人宅の玄関ですぅっと何かが友人と自分の間を通った時に、友人が「いま、、ウチのお爺ちゃんが通ったでしょう」と言われた時が唯一実感できた自分の霊体感です。

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入口の左手には「槐の間」、座敷わらしが現れると言われている部屋です。この部屋は火災前と同じ位置にあり、以前のように客間とするのではなく24時間解放の誰でも出入りできる空間になっています。奥座敷にあたる槐の間の手前の入座敷の部屋には。旧緑風荘の写真や体験談を綴ったノートが置かれていました。

体験談を読んでいると、草木も眠る丑三つ時以降が最もその姿を見せる時間帯と云うので、座敷わらしの足音に耳を澄ます人達が、夜な夜な槐の間に浴衣姿で集まっているのかと想像してしまいました。童子は総じて賑やかなのが好きでしょうから、大人達を揶揄うぞと待ち構えていそうです。

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床の間の座敷わらし像「亀麿」は、弘前市在住のねぷた絵師・八嶋龍仙さんが旧緑風荘の廃材(母屋の梁)を用いて彫り上げた作品とありました。南北朝時代の6歳児の姿は思ったよりふくよかそう。

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そして、その脇に飾られているのが旧緑風荘の槐の間を写した有名な写真で、沢山のオーブが雪のように降り注いでいる印象的な写真でした。書院から床の間かけてと違い棚とその下を埋め尽くす人形。座敷わらしと遭遇し幸運を得た人達の御礼の品々。ここを訪れている自分もそうですが、いるのか、いないのか曖昧な存在の座敷わらしに魅了されている人達が如何に多いかが分かります。

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母屋の裏に座敷わらしを祀った神社がありました。楔の入った鹿島鳥居の奥の左手奥は稲荷神社、右手前には亀麿神社が並んでいます。9年前の火災発生時には、この小さな社に燃え盛る母屋から移る二人の童子の姿を見た人が多々いたそうです。

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南北朝時代に戦に敗れた武将が6歳と4歳の男児と共に奈良から陸奥国へと逃れるも、旅の途中で兄の亀麿が病を患い死去。亀麿は「末代まで家を守り続ける」の意の言葉を最後に息を引き取り、この地の守り神となったと言い伝えられているそうです。

座敷わらしは明確な理由なしに、いつの間にか善人の住む民家に住み着く存在だと自分は捉えていたので、日本で最も有名な緑風荘の座敷わらしの由来には少し意表を突かれてしまいました。

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五角形の家型の絵馬に、おかっぱ頭の可愛らしい亀麿君の絵馬が沢山掛けられています。亀麿は緑風荘の舘主の五日市氏の御先祖様にあたるそうです。しかも、五日市家を護ると誓い死んでいった。もし、そうであるならば、たとえ火災が起きようとも亀麿が他家に行くはずはありません。

建物全焼と聞いた時には別の場所に移ったのだと感じたのは誤りでした。再建された新しい母屋に座敷わらし達は帰り、綺麗で冷暖房完備の居心地の良さを現在も楽しんでいるはずと思い直すことに決めました。

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江戸時代には南部藩の湯治場だったと伝えられる金田一温泉。平日だったせいか自分以外には誰もおらず、不思議な音が聞こえてこないかと耳を澄ましながら湯に浸かってみました。この、いつ何処で現れるかわからない適度な緊張感が座敷わらしの宿滞在の醍醐味に違いありません。ここを訪れた人達は各々の座敷わらしを連れ帰り、日々の小さな変化に座敷わらしの悪戯を見つけられる様になるようです。

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幼子は邪気を祓うと言います。我が家には元気過ぎて煩いぐらいのゲームと悪戯の好きな童子が2人、家の中を毎日ドタバタ駆け回っています。大きな声で歌いだしたり、些細なことで喧嘩をしたりと実に賑やかな座敷わらし達です。今回の緑風荘では座敷わらしと遭遇はできませんでしたが、我が家は彼らが護ってくれているので大丈夫だなと思いました。