島京梵天、伊豆大島・波浮港にある日本一のたい焼き屋のお宿

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伊豆大島は伊豆諸島からマリアナ諸島へと連なる火山諸島のうち最も北側に位置する火山島で、西西北と東東南に円形を引っ張ったような牡蠣の殻の様なカタチをした南北12キロ/東西8キロほどの島です。上の写真の中央右に少し見える内湾が「磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る 波浮の港にゃ 夕焼け小焼け 明日の日和は ヤレホンニサ なぎるやら」と佐藤千夜子の歌声で大ヒットした波浮の港です。

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この内湾は1000年以上前にマグマ水蒸気爆発でできた穴が長く池となっていたものの、元禄十六年(1703)11月の元禄大地震にて発生した津波により池が決壊して海とつながった場所です。相模灘の南にある地理的利点に目を付けた商人が寛政十二年(1800)に港口を広げる事業を始め、半年後には南北430m/東西280mの波浮港が開港されました。今回はこの波浮港にあった漁師宅を改装した宿「東京梵天」にお邪魔した話しになります。宿の場所は上の地図の赤マル。

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竹芝桟橋からの船を降りた岡田港から、アチコチを覗きながら島の東南にある波浮港までやって来ました。両腕で丸く囲んだかのような円形を描く入江で、近くの大室出しと呼ばれる近場有数の漁場を持つ港と現在はなっています。漁船が近代化される以前は嵐の緊急避難港として賑わった場所で、海に面した場所には賑わう歓楽街があり、丘の上には屋敷街が広がっていました。

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明治から昭和初期にかけては波浮港には港に入りきれない程の船が押し寄せる時もあり、陸に上がった船員達を相手にする料理屋や、宿/遊郭が狭い湾内にひしめき合っていました。千鳥破風入母屋造の木造三階建ての旧港屋旅館(現資料館)もそのひとつで、川端康成の「伊豆の踊子」に登場する加藤文太夫の旅芸人一座の出身地は波浮港で、踊り子のモデルなった女性が踊っていたという旅館です。

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火口から出た台地には細い路地が入り組む伊豆石や海鼠壁建物の古い建物もある街で、その一角に鯛焼きで全国的に有名な「東京梵天」がありました。騒ぎ声の大きい我が家の子供達を連れていても大丈夫な一棟貸しの宿を東京梵天は営んでおり、なかなか予約が取れない人気の場所です。我が家も二度目の挑戦でやっと週末に予約入れることができたのでした。到着時に娘が車内で熟睡していたので、息子と自分でまずは宿泊の手続きへと向かいます。

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宿の前には銀色の地毛に黒い縞模様のサバ柄猫がいました。この猫は"あんこ"と名付けられているようで、ウチの息子と威嚇し合って遊んでいました。"あんこ"が「あんこ椿は恋の花」のあんこなのか、たい焼きの中身の餡子なのか、その両方に掛けた名前なのかは不明...。

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たい焼き屋さんの入口のドアを開けると、先に入った息子はちゃっかりとお店の中で陣取っていました。東京梵天に到着するまでの道中で「今日のお泊まりはたい焼き屋さん。しかも日本一のたい焼き屋さん」と子供達には伝えていたので、何味があるのかと事前確認に余念がないようです。夕御飯は浮波港にある港鮨さんにて島寿司を満喫するとして、たい焼き屋さんに来たのでデザートにと注文。

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東京梵天の奥さんの案内を受けて進んで行きます。建物入口は道路でなくゴムの木や珊瑚樹の茂る中庭に面しており、ハンモックや椅子が置かれて寛げる空間となっているのが見えました。建物は120年の年月を経ている民家を、オーナーが2年を掛けて宿へと変貌を遂げたのだとか。たい焼き屋さんを始めるキッカケになった恵比寿様の像は玄関の向こう側に見える縁側下の溶岩跡から偶然に出てきたそうです。

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玄関に入ると目に飛び込んで来たのは漢文が書かれた襖。飲中八仙だと思われるのですが、だいぶ原詩を部分部分で切った貼ったしているようです...(๑﹏๑;)。眼がクラクラして、井戸から落ちて水底で眠り、陽王は三斗の酒を飲み朝廷へ向かう。杯を挙げては聖人の境地を嗜み、賢さを嫌う。宗之は洒脱な美少年...。オーナーは酒豪なのだろうと思いました。

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臙脂色の敷物のある居間にTV鑑賞用の小部屋とまさに民家と言った感じです。入口近くには神棚があり、三嶋大社を初め沢山の神宮大麻が並んでいました。飾り物としてダイヤル式の黒電話があったので、「XXX番に電話して」と子供に試させるもダイヤル式を知らない子供達は困惑してダイヤルの穴に指を差し込むばかり。妻は此処の雰囲気が気に入ったらしく、伏線を事前に張るが如く、「ここにはまた戻ってきそうだね」と言う始末です。

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水廻りの様子です。食器や調理器具、冷蔵庫と家財一式が揃っています。部屋の居間にはホットカーペットがあるものの、一軒家なので台所や風呂場にーは足元に冷たさが伝わってきました。特に風呂場は別棟となっており、一度中庭に出る必要があったので底冷えする寒さが堪えました。

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浮波港は海水面と船着場がほぼ近く、その名の通りに"波の上に浮いている港"の様に見える事より名付けたれたと言われています。宿の前の道を辿ると着く港まで下りて、磯の鵜の鳥が帰巣する姿を感じながらの落日を港に腰掛けて見たかったのですが、子供も親も一緒なのでこの日は諦めることに。

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ジャジャジャジャーン。こちらが東京梵天が誇る日本一の羽付きたい焼きの行列。塩は波浮港から西2キロ程の流下式塩田で造られる天然塩、牛乳は島の北西に位置する大島空港傍にある牧場で造られる大島牛乳に島卵と地元の食材で拵えられたご馳走たい焼きです!! アツアツを美味しく頂きました。

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寝室は建物の一番西側にあり、既に布団が並べてありました。西川の4店セット布団に寒いでしょうと用意されていた電気湯たんぽが暖かく、本土側からの移動の疲れもありスグに眠ってしまいました。

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朝一番で目が覚めたので、物音を立てないようにと眠っている家族のいる部屋を出てみました。中庭には石造りの倉だった跡が残っており、朝の陽射しが柔らかな日でした。宿の方と立ち話しをして、この小さな波浮集落に小中学校のみでなく、実習船を持つ都立高校まであると聞きオドロキました。

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自分達が寝ていた建物の隣にあるお屋敷です。親子の黒猫がいたはずでしたが、写真を構えた時には片方は何処かに隠れてしまいました。朝食の時間が近づいたので、一旦部屋に戻り子供達を起こす事にしました。

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前の晩に初めて耳にして胸踊らされた、人生初となる「たい焼きモーニング」セットです。大きなハネの付いた鯛焼きは酵素玄米トマトリゾットを中身にした独創的な洋風たい焼きで、ドデンと中央に据えられ大きさにビックリさせられてしまいました。型抜きの要領でハネを先に食べるのか、それともハネごと鯛焼きにかぶりつくのか、みな笑顔で朝食を頂きました。

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店内には縁側下より出てきた恵比寿様の像が祀られています。恵比寿様は右手に釣り竿を持ち、左脇に大きな鯛を抱えている姿で有名な七福神の一柱です。この鯛がたい焼き屋さんを始める大きなキッカケだったのだと山口県ご出身の旦那さんに話しを伺いました。

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10年程前に移住してきた当初は自然食カフェや古着屋をしていたもの振るわずだったところ、山手線・恵比寿駅西口にある恵比寿神社を偶然訪れた時に天啓を受け、たい焼き屋を開始。大島は若い頃に仕事の休暇として初めて訪れ、その魅力にはまり毎月通うようになり、岩手出身の奥さんと結婚をした翌月に移り住んだのだと言われていました。

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ガッチャン、ガッチャンと機械音が聴こえて、次々とたい焼きが出来てきました。たい焼きの包み紙に押されているハンコはご友人が特別に作ったモノでその現品を見せて頂きました。宿泊棟の玄関開けたところにも、この「東京梵天」の絵文字が大きな額に入れらているのが見られます。

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食後に家族全員で踊り子坂を歩いて行き、「踊り子の里」と呼ばれる湾の東側の鄙びた港風景と波布比咩命神社を見学するために朝の散歩に出掛けてみました。一番上の方の立体地図でも分かる通り、元火口だったかなり急な坂に設けられた石段を下る必要があり、帰りの上りを考えると「行きはよいよい 帰りはこわい」です。

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元火口湖だった頃の波浮港は波富の池とかつて呼ばれており、波布比売神社が鎮座しています。津波にて海とつながる前の湖だった当時は、その特徴的な姿と清らかな湖水が湧き出ることより三島大明神の后の1人・波布比売命の象徴として古人は祀っていました。水が起こる意味をする古語"溢れる(はふる)"が波浮(はぶ)の語源ではないかと、最近ハマっている歴史探訪をしたいところです....。

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今回は波浮港に設けられたパイプ楽器をキンコンカンコンと木槌で叩きまくっている子供達も一緒なので、それらは次回の楽しみにしました。大島は空路であれば25分、ジェットフォイル船で2時間と東京から日帰りも充分にできる離島です。にこやかなご夫婦が経営する宿を妻が気に入っている&宿の屋号の梵天の由来も聞きそびれてしまったので、東京梵天さんはヤレホンニサ(本当に)再訪したい場所となりました。