花街の残照残す「鯛よし 百番」、紫苑殿で宴会をしてみた

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訪れてから時間がだいぶ経ってしまいましたが、大阪・飛田新地にある「鯛よし 百番」さんにて会食をしました。遊郭建築を利用した食事処としては最も有名で、仕事上の食事の場所としては不適切と評されても仕方がないところですが、来日する上場企業取締役の希望という印籠を掲げて敢行したのでした。二階に擬宝珠高欄を配した木造二階建て/入母屋造りの建物は登録有形文化財。飛田新地は場所柄、写真撮影が憚かれる雰囲気なのですが、この建物前では堂々と写真撮影していても大丈夫ということでパシャパシャ。紅く灯る提灯と透かし彫りが浮かぶ建物が幻想的です。

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天下の商都として名を馳せた大坂には繁華街が幾つも築かれ、新町遊廓を初めとする板塀に囲まれた花街もありました。江戸時代から明治末期まで続いた難波新地が大火(明治45年)で焼け落ちてしまった後、北浜の相場師・高倉藤平氏が阿倍野の崖下を整備して一体開発したのがの飛田新地(上の地図青枠のエリア)です。大阪の四花街(北新地、新町、堀江、南地)とは客筋の異なる、近代に労働力として都市部に流れ込んだ人達の需要を満たす売春宿の集積地でした。大正に拓いた元遊郭地と、国内で一番ノッポ(300m)なあべのハルカスを代表する高いビルが立ち並ぶ天王寺地区が現在は隣接しています。大阪にあった花街は空襲により飛田新地以外は全て壊滅。大阪の観光地として有名な通天閣や天王寺公園からも共に1キロも離れていない現役の風俗街が飛田新地です。

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建物の角を隅切りして拵えた唐破風の造りの玄関には「百番」の大きな看板。遊郭の周囲に高いコンクリート壁が巡らされていた頃には西の大門近くに「一番」というお店があり、奥に行けば行く程高くなるので「百番」は相当の各を持つお店だったとどこかで読んだ記憶があります。視点を反転して見れば、高い塀に囲まれた底なしの沼沢地の様な遊郭の入口から最も遠い場所にあたります。飛田新地には現在160軒もの料亭があり、その中には将来重要文化財に指定されても不思議でない遊郭建築が現存しています。

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玄関の南側には何故か豊臣家の桐紋の入った客門がありました。飛田新地自体が大正五年の開業なので豊臣家と鯛よし百番に隠された関係があろう訳がなく、遊びに来るお客様に此処は凄い場所なのだよと宣伝目的で付けた"見栄"を張った装飾なのだと思われます。鯛よし百番の北側はゴツイ表格子、南側は細格子、建物の一部は洋風建築と色々ごちゃごちゃ。

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建物の外からも少し覗いていた白鷹の襖絵のある「顔見せの間」の舞台。明治末期までは各地の遊郭では着飾った女性が格子越しや舞台に並び、到着したお客さんのご指名を争って熱い視線を投げ掛けていたそうです。大正に入り"人権"上の理由で顔見せは禁止となり写真で選ぶとなったのですが、現在の飛田新地を歩くと「十八歳未満の方は当店に入店できません」と柱に貼られた入口で、煌々と照らされた中で若い女性が顔見せして座っていたりします。

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コチラは日光・東照宮を模した「日光の間」。天女に彩雲、唐獅子に眠り猫と豪華な応接間となっています。バーンと豪華なところを見せつけて、世知辛い世の中の事を一時でも忘れて貰おうという計らいなのでしょうが、ここまでやると悪趣味と云われてもおかしくない位に力が入っています。透かし彫りは実際には突き抜けておらずですが、そう見える様に工夫されております。

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天井には雲龍図。そして入口の両側には徳川家の家紋である三つ葉葵。 写真では殆ど閉じてしまっているいますが、扉は黒塗りに金彩の螺鈿細工。鯛よし百番さんは建物内を歩いてみるとスグに分かるのですが、上から見るとロの字をしたカタチとなっています。応接間からガラス越しに建物の中心にある中庭が見えていました。

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その坪庭にドーンと置かれたそれは立派な男根石(手前)と女陰石(奥側)が鎮座されております。此処の様にロの字やコの字に建物を配し、中心の坪庭を囲むように欄干を付けた廻り廊下があり、当時流行していたステンドグラスやタイル等を採り入れるのが大正期の遊郭建築の流行だったのでしょう。

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部屋へと続くは住吉大社の反橋を模したらしい太鼓橋を渡り、中庭にそそり立つ岩を左手に眺めながら渡るとT字路となり、突き当たりを左に曲がりスグの部屋が自分達が予約した部屋でした。館内の名所巡りをした後に橋を渡りながら、「お参りも無事に終えたので、精進落としに参りましょう」という会話が無数されたと勝手に考えてしまいました。

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此方が案内を受けた部屋・紫苑殿です。格天井、欄間彫刻、襖絵。桃山風意匠の絢爛豪華に見える手間のかかった空間。隣室にある鳳凰、牡丹と華やかな名前の2部屋と併せて桃山殿と呼んでいるそうです。まだ集まる時間前なのでセット途中の部屋の写真を撮りましたが、暫くすれば訛声と皿の触れ合う音が響くことでしょう。往時であれば宴会はこの三部屋で宴が賑やかにおこなわれ、その後には二階の13部屋ある個室の何れかにという流れだったの思われます。

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鯛よし百番さんは鍋料理屋なので、この様な食事が各テーブルに出てきました。理由は聞かなかったのですが、女将さん以外の従業員は南アジア系の方と見受けられる人達ばかしで少し面を喰らいました。更に面を喰らったのが箸袋に書かれた文句「友人と飲(や)る、同僚と飲る、上司と飲る、たまには優しい妻と飲る」。予想通りにこれはどんな意味だと同席の外国人に聞かれ、頭を搔いたのでした...

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清浄殿、いわゆるトイレです。入口に牡丹、孔雀と此方もナカナカ。錺金具も孔雀と凝っています。遊郭というのは理由あって天井の造りに凝る訳なのですが、此方も例に漏れず派手な天井となっていました。二階にある女性専用の方も装飾だけを見たいよう、見ない方が良いような...

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清浄殿に出たついでに館内を少し散策する事にしました。一階の少し煤けている赤毛氈と変わって、二階は明るい紫色の敷物。鳥居のある壁画は大阪天満宮のお祭りを描いているらしいのですが、周囲の作品と比べると明らかに下手なのが気になってしまいました。推測するに元は違う題材の絵があったものの、売春防止法のガサ入れ等を経て塗り替えがなされたのでしょう。突き当たりの壁に掛かる洋画は更に酷い...。この辺の経緯を会計時に尋ねてみようと思っていたのですが、外国人従業員だったので断念しました。

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二階からガラス障子越しに中庭を見下ろしています。それぞれの部屋の違った組子があり、格子から漏れる部屋の明かりとその影に情緒が感じられます。2階の個室にはひとつひとつに主題があり、それに準じた内装になっているそうです。中庭を一周する廊下を歩きながら各部屋の欄間を見ているだけでも名所巡りをしている様な気分となり愉しくなります。

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旅人が富士山の下を行く壁絵を眺めながら進むと、島田の宿と書かれた高札と、江戸まで左に六十八里の道標が入口に建てられた「喜多八の間」もありました。以前に来たことのある方が宴会場におられ、この喜多八の間には島田宿の西を流れる大井川をモチーフにした部屋で、食事処が舟形になっているのだそうです。

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客同士のかち合いを避けるために館内には複数の階段があり、そのひとつにも強烈な意匠が階段の両側にも施されていました。桃太郎の力強い姿。「万万歳、万万歳、お伴の犬や猿雉子は、勇んで車をえんやらや」と聴こえてきそうだと思いながら、乾杯の声が聞こえる紫苑殿に戻ったのでした。