遠賀川上流に鎮座する鮭神社で、五穀豊穣を願う献鮭祭

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出張にて福岡県に出掛けた時に寄り道をした時の話しです。朝一番での打ち合わせを終えて大急ぎで向かったのが筑豊の嘉麻市。その嘉麻市を流れる遠賀川に架かる橋には鮭が描かれていました。太平洋側は流れの速い黒潮が阻んでいる事により鮭の遡上が見られるのは利根川あたりが南限。日本海側は山陰地方の江の川あたりが限界だと言われており、寒い海域で過ごす鮭を暖かい九州で見るのは稀、もしくは九州に鮭は上らないと言うのが一般的な認識だと思われます。

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その鮭が描かれている「へいせい橋」が架かる川は馬見山に発し玄界灘へと流れ出る遠賀川で、九州で鮭が現在も遡上する唯一の川だと云われているのだとか。今回の目的地はその遠賀川の上流にあたる場所に鎮座する「鮭神社」で、響灘にある遠賀川の河口から30キロ程遡った場所にありました。令和元年12月13日の献鮭祭の日に訪れたのでした。

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全国には鮭神社と名乗る神社は2つ。山陰の宍道湖より10キロ程内陸にある「鮭神社」と、ここ嘉麻市の鮭神社です。共に鮭は神の使いとして遡上するので、川を上る鮭を捕獲するのを禁じ、食した場合には神罰があると伝わる場所です。鮭を祀る神社としては同じく日本海側では舞鶴の大川神社、京都の大原神社。太平洋側では千葉県銚子に山倉大神があり、小氷河期で気温が低かった時代には現在よりも広範囲で鮭が遡上していたのだろうと推測させられます。鮭は故郷の川を下って3-4年で成魚となり、夏にベーリング海を出発して千島列島、北海道と南下を始め、国内での最も遠くの目的地が九州北部のようです(朝鮮半島の日本海側で遡上するらしいです)。

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嘉麻市の鮭神社は神護景雲三年(769)創建と伝えられる古杜です。御祭神は有名な神話「海幸彦山幸彦」の山幸彦である彦火々出見尊と妻である海神・豊玉姫尊、その子供である鸕鷀草葺不合尊の三柱。この大隈集落あたりが鮭遡上の上限線だったのが理由でか、山幸彦が約束を破った為に海へ帰った豊玉姫が年に一度鮭を使いにして頼りを送っているとの神話と結び付けて鮭神社と名付けた 、との説を自分は考えたのですが証拠は全くありません。敷地にある碑「説曰為海神使毎年鮭来此處」には明和元年(1764年)とありましたので、かなり以前より鮭を重視していたことは間違えなさそうです。

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最寄りの嘉麻市立嘉穂小学校からも「献鮭祭」の見学に子供達が来ていました。「遠賀川源流 サケの会」と白抜きした服を着た人達が沢山参加されていたので、少し話しを聞いてみました。なんでも、遠賀川は日本最大の産炭地・筑豊炭田や生活排水により極度に水質が悪化してしまい鮭の遡上は長く無く、昭和五十一年(1976)に全ての炭鉱が閉山。その二年後の昭和五十三年の秋に鮭が帰ってきたのを偶然見つけたのを契機として、遠賀川に鮭を戻す「カムバック サーモン」運動を開始したものだとか。お祭りの後に「上流にある孵化場を宜しかったら見学をどうぞ」とのお誘いを頂いたのですが、夕方前に福岡市に戻らなくてはならない予定があり、泣く泣く訪問を諦めたのでした。

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鮭大明神の額がかかり、沢山の奉納額が社殿に見えました。神事が始まる前に社少し見学させて頂きましたのですが、上述した昭和五十三年に遡上してきた鮭の魚拓がどれなのかは確認ができませんでした。日本の四大工業地域として重化学工業を中心として発展した響灘は、甚大な産業公害にて大腸菌すら住めないと揶揄されるまでに水質が悪化。石油へのエネルギー革命により炭鉱が閉鎖され、この地域に鮭が戻ってきたというニュースは流域の人達にとっては衝撃的であったのは想像に難くなく、大袈裟に表現をするならば「神の使者の再来」と言ったところだったのでしょう。その鮭の姿の写しは是非とも自分の目で見てみたかった...

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 献鮭祭にて奉納される鮭たち。サケの会の方と立ち話しをして聞いたところによると、遠賀川に戻ってきた鮭を捕獲できたのは直近5年で平成24、25、27年の三度。上流にある鮭孵化場で新潟・村上の三面川より供給を受けている鮭卵を孵化、放流(4万匹)をしているものの、結果は思うようにはいかないのだそうです。遠賀川にて自然産卵は確認できるのかと聞きたかったのですが、機会を逃してしまいました。

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恭しく運ばれてきた今年捕獲された”鮭”がこちら。遠賀川で鮭が捕獲できなかった年は、大根に切れ目を入れて口を作り、唐辛子の目にプラスチックの鰭をつけた”鮭”を奉納するのが習わしで、この年もそのような鮭が奉納される事になった模様。北海道や東北で獲れた鮭を遠賀川で捕獲したモノとして出しても良さそうなところですが、そうはせずに、鮭に見立てたモノを用意するところに鮭神社の氏子さん達の誠意が感じられました。素晴らしい鮭です。サケの会や子供達によって放流される鮭の稚魚達が川を下る姿に、豊玉姫尊は夫と子供に思いが通じたと喜ぶに違いありません。

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御影石の鮭塚に五穀豊穣、無病息災を祈願して、大根のような鮭や水産業者より奉納された鮭が捧げられました。伝わるところによると、遠賀川に鮭が遡上する年は豊作になるそうです。過去20年で遠賀川水系で確認された鮭は100匹に満たず(捕獲数は更に少ない)なので、人の手による放流を止めたならば鮭が遠賀川に戻ってくる事はないのかも知れません。汚染され"黒い川"と呼ばれていた頃からだいぶ時間が経過した現在でも、実際に遡上する鮭は毎年僅かに数匹ばかし。昭和五十三年に捕獲された一匹は偶然にも遠賀川に迷いこんできたのか、人為的なものだったのか、いずれにせよ"神の手"による神使として人々を動かしたのだと考えたのでした。