酒は島色、テーゲーな泡盛を醸す津嘉山酒造所(重要文化財の蔵)

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だいぶ前の話しになりますが、沖縄本島北部の名護市に行って参りました。沖縄自動車の最終ICとなっている許田で下り、国道58号線を海岸線に沿って北上すると名護の街が海の向こうに見えてきます。山原(やんばる)の入口にあたる名護は、那覇あたりの人間から見ると田舎と映るらしいのですが、お国言葉も豊かで美人も多いと旅行者には愉しい場所です。許田ICを降りるとクルマ流れも人の動きもノンビリ。

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名護十字路。鯛や海老等の漁業、野菜や花等の農業イメージが先立つ名護ですが、市内にクルマを進めると「おお、大都会」。名護市は美しく豊かに開いた澪を意味する「あけみお」を枕詞にして欲しいようですが、街の発展ぶりもなかなかで平成に入ってから人口2割増と健闘中です。

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名護の街中は戦後復興により現在は建物が窮屈に立ち並んでいますが、昭和19年10月10日の空襲に始まる度重なる激しい空襲を受けて殆どが灰燼に帰しました。上の白黒写真はその様子が写っている写真で、更地となった周囲の空き地に、この後に訪れる「津嘉山酒造所」が戦火を逃れて立っているのが見て取れます。

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こちらの入口から姿を覗かせているのが津嘉山酒造所の重要文化財に指定されている主屋です。此処が泡盛を醸造している蔵だとは木札が出ていなければ認識できないように思えてなりません。戦前の醸造所の姿を色濃く残す建物は平成21年に国の重要文化財の指定を受け、文化庁により平成23年から7年間に渡る修復工場がなされていました。アーチのかかった門柱のデザインと擬コンクリートブロック塀も見所。

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自分が訪れたのは修復中で一般開放前の時期でした。このスグ近くに幼少の頃より住む方と一緒に訪れて、地元の麗しいオバちゃんパワーでヅカヅカとアポなしで入り込んだのでした。現存する最大規模と呼ばれる赤瓦木造建築の瓦をよく見ると、丸に華模様がある庭側(住居エリア)と丸に模様なしの工場エリアに別れています。対応に出られた方は千葉県より移住されて来た方で、オバちゃんパワーに負けない勢いのある男性でした。

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庭に見えるは見事な黒檀。黒檀は沖縄では高級な三味線の竿に使われる貴重な木で、目の前の黒木は沖縄戦の空襲を間逃れれ樹齢300年はあるそうです。米軍は占領後に各地の拠点とする建物を戦闘中に決めており、ある程度の大きさのある津嘉山酒造が炎上を間逃れたのは偶然ではなかったようです。

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酒蔵見学は賞味してからと、ご自慢の泡盛「国華」を頂きました。度数の高い酒(43度)と抑えめにした酒(30度)の飲み比べをさせてもらった宴席あとの写真です。一般的に言って、泡盛を飲み慣れている沖縄地元民は度数の低いものを、本土等の飲み慣れていない人は高い度数のものを美味しく感じるのだそうです。また、ブレンドしていないので、ラベルを見ると甕ナンバーが書かれている事や"当たり甕番号"も教えて頂けました。ちなみに、甕違いによる味の差異は国華の"味"であって味は保証外なのだとか....。

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主間から見えるジャングルならぬクルチ(黒木)の木・琉球黒檀。こちらも三味線の高級材料です。訪問日の数ヶ月前に隣接する平屋が全焼した時に、津嘉山酒造所の壁際に植えられていた昭和3年に植えられたと云われる木々が防火林の役目を果たし重要文化財である建物を護ったのだとか。

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隣の敷地から見ると木が焼けているのが見られました。津嘉山酒造所は与那原出身の津嘉山朝氏が現在地よりも50メートルほど名護十字路寄りの場所にて大正末期に開業。昭和4年に製糖工場のあった現在地に移転して養豚業も兼ねた状態で操業。戦時中の最中、材料の確保はままならず、従業員は出兵していたため工場は閉鎖されていました。

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終戦後には米軍の一時宿泊処、パン工場だった時代もあり、現在でも当時書かれた「OFFICERS QUATRE(従業員宿舎)」の文字がその痕跡として見ることができます。

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付書院に漆喰壁と本土式の部屋に当時の豪勢さを感じます。津嘉山酒造では「國華」という銘柄一本で勝負し続けています。国頭(くにがみ)の名護以北にて泡盛を醸造している場所が当時なかったために、国頭の華として國華と命名したのだとお話を伺いました。

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隣りの民家とを隔てる壁が複数の色合いを持っているのが分かりますでしょうか? 建てられた時期がそれぞれ異なり、進行中の修復作業ではソレも忠実に再現をしている事です。修復前はお化け屋敷かといった趣のある風情も総工費4億円を(9割国が負担)投じた作業により小綺麗になってしまいました。小九龍城かと以前に思わせられた場所が、整理整頓されているのが驚きです。
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此処で泡盛を現在作っているのは社長と杜氏の2人だけ。沖縄本島でも出荷数が非常に少ない「国華」が製造されている現場へと案内を受けて進んでいきます。頭上に無数のトラス状に組まれた架構が目立っていました。こちらの麹屋も住居部分同様に重要文化財指定箇所。日本酒の古い蔵だと、蔵にいる菌が最重要として建物全て建て直しはとても出来ないでしょうが、あまり気にされていないように見受けられました。主原料の米はタイからの輸入米、黒麹菌は協会よりのモノ、水は水道水からの軟水。重要文化財の蔵にて醸される酒は強く伝統的なのかと思ってしまいますが、そのあたりはテーゲー(程よく適当)で肩の力を抜いた酒造りをされていると杜氏の方が言われていたのが印象的でした。たった2人の酒造りなのでテーゲーでないとやっていけないと笑われていました。

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黒麹菌が付着いている柱の間にステンレスタンクが窮屈そうに並んでいます。タンクは偶然にも同じ名前の"津嘉山"ステンレス社製と聞いたような。名護の大通りから一本入ったスージグヮに、こんな味のある泡盛酒造所があるとは流石は沖縄です。国華のお酒が強烈な個性を感じさせる酒ではないのは、作り手もテーゲーで、テーゲーなお酒を造っているからだと良く解った気がした訪問でした。