翔びたいノダ、それでよいノダ、野田市こうのとりの里にお邪魔です

f:id:tmja:20181126161003j:plain

千葉県野田市に家族4人で行って参りました。お恥ずかしい話しですが、コウノトリは兵庫県北部・豊岡にある「兵庫県立コウノトリの郷」だけが国内で飼育・放鳥しているものだと自分は考えていましたのですが、関東にもコウノトリを放鳥している場所があると偶然知る事となり、家族で野田にある施設を訪れてみました。今回のタイトルの「翔びたい野田、それでよい野田」は、鳥人間コンテストに野田市のグループが参加していた時の機体制作現場に掲げられていたスローガンです。もしかすると「飛びたいのだ、それでよいのだ」だったかもしれません...。

f:id:tmja:20190212115546j:plain

千葉県野田市は一級河川である利根川と(写真外左側にある)江戸川に挟まれた土地で、国の方針で湿地環境の回復が河川でおこなわれ鳥類等の採餌環境が整いつつある場所です。市の最東南にあたる江川地区の耕作放棄地を野田市が購入し、此処を多種多様な自然を再生/保全をする場所にすると決めて活動に取り組み始めたのでした。赤マルが今回の目的地「こうのとりの里」の施設がある場所で、小さな川に沿って東南側に広がる緑地帯が該当保全区域となっています。

f:id:tmja:20190208205338j:plain

日月昌明 松鶴長春。太陽や月の様に永遠に輝き続け、青い松や1,000年生きると云われる鶴のように若々しさ願う中国の伝統的な生命観を表す言葉です。この考え方は日本にも伝わり、身近なモノでは花札の一月札「鶴と松」にも見ることができます。松の花は1月ではなく初夏に咲くこと、鶴は高い樹木に止まる習慣はないので、描かれているのはコウノトリではという仮説も流布し「松に鶴はコウノトリのこと」という言葉もありました。

f:id:tmja:20181126161825j:plain

f:id:tmja:20190208205307j:plain

コウノトリは昔何処にでも見られた鳥で、採餌時に田植えの後の稲を踏み荒らす害鳥として見られていました。戦中、戦後の食糧増産を目的とする一環としての駆除、また急激な農村部の環境変化を受けて、昭和46年(1971)に北陸地方で野生種のコウノトリを保護後死亡したのを最後として国内で絶滅しました。隣国・韓国でも同様に1971年に野生のコウノトリは絶滅しています。

f:id:tmja:20191019175041j:plain

上の東アジアの地図はWikipediaからのものです。コウノトリは渡り鳥で満州やアムール川中流域で春に繁殖し、長江中流域の湖水・湿地帯を中心とする場所で多くが越冬しています。少数ながらも日本、韓国、台湾でもコウノトリの越冬する場合もあり、現在の全棲息数は2-3,000羽程を数えるのみとなっており、コウノトリは日本で特別天然記念物と指定されているのと同じく中国でもパンダや華南トラと同じく国家1級保護動物としての保護を受ける貴重な生物となっています。鳥類は陸上生物と異なり移動の自由が高いため、地図に記載のないモンゴル、インド、ネパール、バングラデシュ、ミャンマー等の国々でもごく少数が確認されています。

f:id:tmja:20191019175059j:plain

コウノトリが絶滅した国内では、ソ連や中国から購入したコウノトリを輸入し、飼育/繁殖の試みが続けられました。1988年に多摩動物公園で国内初となるコウノトリ孵化に成功し、翌年に豊岡にても成功。そ後は毎年のようにヒナが産まれるニュースを目にします。そんな国内繁殖された二羽のコウノトリが、2012年に多摩動物園より野田のこうのとりの里へ譲られたのが始まりでした。

f:id:tmja:20181126160952j:plain

翼を拡げると2メートルにもなるコウノトリは水辺での生態系の頂点に立つ生き物です。多くの生物より成る生物ピラミッドの上に立つコウノトリが棲息できる環境は人間にとっても良い環境だと野田市は掲げ、玄米黒酢用いた低農薬、減化学肥料を市域の半分以上に広めるに至っております。「コウノトリ育む米」のブランド化を成功させ先行する豊岡市に「黒酢米」で追いつけ追い越せと野田市は夢描いています。

f:id:tmja:20181126161020j:plain

f:id:tmja:20181126161017j:plain

そんな野田市が2012年に設置し、同年に上述のとおりに2羽より飼育開始した「こうのとりの里」で、兵庫県豊岡市に続いて国内で2番目にコウノトリの放鳥がなされた場所です。この周辺は鷹の通り道があるらしく、訪れていた時にノスリが上昇気流に乗ってクルクルと旋回しているのを目にしました。それと、原付バイクが駐車場に停めてあったのですが、ナンバープレートにもコウノトリの絵が描かてていました。

f:id:tmja:20181126160931j:plain

f:id:tmja:20181126160941j:plain

靴を脱いで施設に入り、飼育観察棟の見学ゲージの中に見えたのは2羽のコウノトリ。コウノトリと見た目が似ている丹頂鶴の違いを説明した掲示物を見ながら、ナルホドナルホドと納得するのでした。歌舞伎役者のような隈取りがあるのがコウノトリの外観上の特徴だと自分は思っていたのですが、他にも色々あるようです。例えば、コウノトリは赤松等の大きな木の上に巣を作るんで(鶴と比べると)親指が長く木の枝に掴まれるのだとありました。水場にゆっくりと近付いてくる足元を見るとコウノトリは鉤爪ではなく平爪でした。

f:id:tmja:20181126160948j:plain

全身がほぼ白色で風切羽のみ黒。細い2本の脚が黒赤色。野生種は春には植物を、秋には稲田のバッタ等を食すも、魚が8割以上を占める主食としており、早朝と夕方に捕食活動をおこなう事が常で、午後は樹上で休憩をしている姿を目にします。左足の上部に見える足環は国内にいる400羽(野外200羽、豊岡100羽、多摩動物園50羽、その他50羽)程のコウノトリを個体識別区する目印で、放鳥された鳥には遠方からでも見分けができるように赤青黄緑黒の環が取り付けられています。

f:id:tmja:20181126160928j:plain

繁殖期のコウノトリの行動半径は1キロにも満たず、直径1-2メートルの巣で産まれた卵は1月程を経て全身が白い雛となり、産後2月程で短距離飛行が可能となると直ぐに巣立って行きます。人間の子供と比べると驚くべき成長のスピードに驚きます。野田のコウノトリの里でも連続5年で放鳥をおこなっており、野田生まれで野生に生息するものは現在8羽です。

f:id:tmja:20190208205639j:plain

既に40年以上の歴史を持つ関宿滑空場(野田市)に生息?する、2013年生まれの滑空機「コウノトリ号」。上の写真はパネル展示を写真に撮りました。幅16メートルの主翼は白と黒で描かれ、目元の赤色もコウノトリを真似したデザインのアレキサンダー・シュナイハーASK13です 。野田市職員さんのこのデザインは非常に好評で、自力で飛べない最も有名な鳥(グライダー)だとか。11月に関宿で開催される「空まつり in Noda」では、此のコウノトリ号への体験搭乗もあったりと、野田市の広告塔の役割もキッチリと果たしています。

f:id:tmja:20191019132948j:plain

f:id:tmja:20191019175032j:plain

空を飛びゆくコウノトリの姿を撮影。放鳥されたコウノトリの背中にはGPS発信機が取り付けられており、大まかな現在地が定期的に公開されています。東日本広域に大きな被害をもたらしたスーパー台風ハギビスが令和元年10月12日に関東上陸。猛烈な風と叩き付ける様のなかをコウノトリ達がどの様に過ごしたのかは不明ですが、千葉県神栖市の利根川下流域に3羽、栃木県小山市の渡良瀬遊水地に3羽、野田市に1羽と所在地が台風後も表示されていました。左下に茶色に書かれているH30年放鳥のりく(J190)は7月末と情報が古いままなので心配して調べてみると、9月中旬に伊万里市二里町で目撃情報がありました。野田市で生まれ育つも野田市に留まっているのは1羽のみの様で、その他はみな市外で暮らしているようです。

f:id:tmja:20181126160955j:plain

田んぼの畦道を疾走する我が家のコウノトリこと、白いパーカーを羽織った娘。コウノトリの真似らしいのですが、コウノトリはそんなに早く動かないぞ...。渡り鳥の繁殖地での概念が日本でも広まり、コウノトリと云うと「赤ちゃんはコウノトリが運んでくる」という言葉が初めに想起されます。現在の日本では豊岡市の一部地域を除くと、コウノトリは滅多に目にすることのない鳥である為に概ね好意的に迎えられており、偶に飛来すると地元紙で記事となる程です。このまま順調に数が各地で増えていき、耕作地を荒らすのが人の目に付く様になったとき、コウノトリが害鳥と再び看做されるのかどうか気になるところです。