古さを大切にするクラシックホテル・日光金谷ホテルに宿泊

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二年前の夏、100匹以上の熊を撃ったマタギのお宅に家族で泊まりに行く途中で栃木県日光に立ち寄りました。その時に日光で投宿したのは、日本最古のリゾートホテルと形容されることが多い「日光金谷ホテル」でした。夕食を外で取ってからホテル駐車場に到着したので既に辺りは暗く、ホテルの玄関が煌々とライトアップされていました。どこに行っても人見知りすることなく、ホテル/旅館でも我先にと受付に向かう息子は、大きなボストンバックを抱えながらこの日も先導しました。その姿を見て「いつの間にこんなに大きくなったのか...」と、親バカな思いを抱いたのでした。

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下野国一宮である二荒山神社/徳川家康を祀った日光東照宮の神域と、大谷川を挟んだ右岸の高台に現在の日光金谷ホテルはあります。栃木県北西部にある日光は勝道上人(735-817)によって開山されて以来、長く山岳宗教の地であったのですが、江戸期に東照宮参拝の鳥居前町として賑わいをみせ景勝地として広く知られるようになりました。明治に入ると、東京に程近く日本文化と自然が共存する土地として外国人にも人気を博す場所と変遷していった場所です。

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日本ではヘボン式ローマ字表記で知られる米国宣教医ジェームズ・カーティス・ヘボン博士が明治三年(1870)に日光を訪れた時に寝床を供した東照宮務めの金谷善一郎氏は、博士の助言に従い日光本町の自宅に手を加えて開業したのが日光金谷ホテルの前身にあたる「日光カテッジイン」で、現在もその建物は往時と同じ場所に立っています。

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この日光カテッジインの話しになると必ず登場するにが、英国人旅行作家イザベラ・バード女史で、彼女が11日間滞在した部屋(上)、北海道のアイヌ集落・平取に向かう"日本奥地紀行"を共に旅した伊藤鶴吉氏が滞在した部屋(下)だと案内の方に教えて頂きました。400ページほどあった原作(Unbeaten Tracks in Japan: An Account of Travels in the Interior, Including Visits to the Aborigines of Yezo and the Shrines of Nikkô and Isé)で、伊勢を含む彼女の紀行文を頑張って読んだ自分には実に興味深く感じられる空間でした。

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イザベラバードの著書の副題に蝦夷地の原住民(アイヌ)が頭にくるように、彼女の主目的地だった平取町には江戸後期の北方探索の雄・近藤重蔵氏が源義経像を安置したことにより始まったとされる平取の義經神社があり、現在はイザベラ・バードのフットパスなる散歩道の最終目的地となっていたりします。イギリス公使ハリー・スミス・パークスのお膳立があった""大名旅行"でしたが、外国人が踏み入れない内地を辿り、噴火湾一周や二風谷訪問を果たしており、驚くべき詳細な記録を残しています。話しが横道に逸れてしまいましたが、それにしても択捉・国後探検の近藤重蔵氏、殺傷事件で八丈島に通流され50年におよぶ滞在で八丈島と周辺諸島の詳細な記録を残した長男・近藤富蔵の親子のバイタリティ...

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明治二十六年(1893)建造、昭和十一年(1936)に増築した木造三階建、鉄板葺きの本館の入り口・木製の回転扉です。建物内部、正面外壁や柱などには大谷石が多く使われているのが見られます。大谷石は夏の間の結露で湿った岩肌が乾燥すると白い結晶「石の華」を見せることがあります。子供達に見せたくてダメ元で探したのですが見当たらずでした。

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赤い敷物に背の高い受付カウンター。創業者である金谷家の家紋を模した笹リンドウが金谷ホテルのロゴとして使用されています。現在は一階となっていますが、昭和十一年(1936)に地下を掘り下げて”新”一階を拵えた空間になります。ホテル縁の人物として創業者の金谷善一郎氏、ヘボン博士、イザベラバード女史のセピア色の白黒写真が飾られ、明治末期のライトスタンドが並ぶと歴史ある宿らしい雰囲気です。

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金谷ホテルには3ベッド(+ソファーベッド)の4人部屋もあるのですが空いておらず、今回はツインベッド2台 x 二部屋で予約しました。部屋は至って普通です。以前に米国の著名教育・福祉活動家ヘレン・ケラー女史とアン・サリバン女史が宿泊した部屋に泊まった時も同様に"普通"な部屋でした。

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水回りも”普通”ですが、鋳鉄製ラジエーターがありました。日本で初めてスチーム暖房が導入された大正三年(1914)に金谷ホテルも設置を開始し、数年で全館スチーム暖房を完備させてとのことです。日光の山奥であっても当時は最先端だった姿が伺われる設備のひとつです。金谷ホテルには本館二階に家族風呂があるので、この日はそちらを利用しました。

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本館の南側は暗い、暗い暗闇の世界が広がっているので足を踏み入れないようにします。15号室はアインシュタイン博士が泊まられた部屋です。ドアだけ拝んで参りました。 本館に博士が記帳した宿泊台帳があり、アメリカに亡命する前の42歳の時に日光に来られたのだと分かります。

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あまり色気のない螺旋階段を下りながら、息子と二人で館内探索を続けました。夜9時過ぎだったので誰も歩く人はおらず。突如として現れる和風な赤い欄干。レストラン入口の高い柱には館内各所で目にする牡丹の柱頭彫刻もあります。手摺りの柱には擬宝珠があり、不思議なカタチの光る擬宝珠は大谷川に架かる神橋をモチーフとしたのかと、翌朝実物を確認しましたが全然違いました。

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ホテル内には各所に解説案内が置かれていました。こちらのスタンドは明治四十年(1907)頃から現在も使用されているとありました。その向こうはロビーの吹き抜けで、回転扉の入口上部には東照宮を思わさせる彫刻「三つ爪の龍」も見えています。あたりを見回すと神社の鳥居のカタチをした珍しい鏡が置かれていたりと、古い旅館/ホテルには思わぬ発見があり楽しませてくれます。

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ホテルのロビーは往時の雰囲気が感じられ、クラシックホテルに滞在しているという気分にさせてくれます。展示されている宿帳には著名な宿泊者の名前が並んでおり、前述のヘレンケラー女史の自著サインがありました。彼女はLを大文字であるかの様に書くのを他の場所でも見たことがあり、特徴的なので覚えていました。宿泊した部屋は105号室。

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一般のホテルというと、フロントロビー、客室、レストラン、ジムだけとなってしまいますが、館内散策が楽しいのがクラシックホテルの良いところです。うちの子供達はプールのある綺麗な大型ホテルが大好きで、旅館に泊まると伝えるとテンションがダダ下がり、民宿となると犬猫山羊牛馬などの動物がいなければ嫌な顔をあからさまにするのでした。彼らの定義によると、金谷日光ホテルは「古すぎ、おんぼろホテル」だそうです...

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夜が明け、外が明るくなり朝を迎えました。本館に位置する部屋から唐破風造りの車寄せを持つ別館が見えていました。こちらも本館と同じく木造三階建で、外観は真壁造り、屋根は八棟造り風。富士屋旅館の花御殿と兄弟とも取れる姿をしています。

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1935年の別館開業時の記念写真でしょうか? 左に映る本館二階部分に現在はないアーチ状の日除けを設けたベランダがあるように見え、三階部分の窓は現在よりだいぶ小さかったようです。別館の設計者は久米権九郎氏で、翌年には軽井沢・万平ホテルの設計に携わっています。上述の箱根・富士屋花御殿の設計は木子幸三氏で異なりますが、富士屋ホテル創業者・山口仙之助氏の後継は金谷ホテル創業者・金谷善一郎氏の次男が婿養子となり跡を継いでおり、花御殿建設時も社長務めていたので無関係ではなさそうです。

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昨晩は恐ろしか場所と足を踏み入れなかった本館南側に向かいました。近代日光のシンボルとも看做される日光金谷ホテルの建物群(本館、別館、新館、竜宮)は全て有形文化財に登録されています。途中の通路で見た貼り紙「PRIVATD」の字体にも拘りが感じられて良いです。

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大正十年建築の観覧亭(竜宮)からの展望。写真には映っていませんが、左手には冬場にスケートリンクにしていた六角形の土地があります。前方には2つのプールと入母屋造りの展望閤。高台の崖にある為に視界が開けており、日光山輪王寺の建物や女峰山(2,483m)がよく見えました。7月の訪問で水が入っていませんでしたが、この風景を満喫しながらのプール遊びは愉しそうです。

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そして、新しいと名前は付いていても明治三十四年建築の新館。本館の北側に建っています。木造で、広い空間を柱なしで支えるために直天井ではなく吊り天井となっており、ダンス場でもあったとか。周囲の欄間には三十六歌仙絵が飾られており時代を感じさせる空間でした。建物の外観はよく見ると、耐震性を良くするためにか外壁に斜めの補強材が目立たないデザインで入っているのに気が付きます。

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館内探索を終えて妻娘と合流。力技で二階建て→三階建てと改造する以前はメインロビーであったメインダイニングの、暖炉そばの席で朝食を頂きました。暖炉の上には迦陵頻伽と呼ばれる極楽浄土に住む御方が五色の雲の中で笛を吹いているようです。欅材に鉱物顔料で描かれており、雅楽で蝶の舞いに登場する会場の雰囲気を艶やかにしていました。

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ノリタケの食器にも笹リンドウがワンポイントで入っています。ダイニングルーム入口には「Guests are respectfully requested to dress properly in the dining room」とあるので、和服にカンカン帽で入室した自分は本当はダメだったかもしれないと反省をしたのでした...

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金谷ホテルの正面玄関を背にして、朝の散歩に出掛けてみました。不動明王を正面に据え、長方形の石枠内に炉を持つ護摩壇がホテル新館の近くにあるのにこの日初めて気が付ききまた。神橋の架かる南側崖上に位置するので修験道にまつわる遺跡で、男体山にむかって供物を火に投じて儀式をおこななれたと推測しました。近くに立つ 説明板を見てみると正式には「石造不動明王立像、護摩壇、祠」という名称らしく、全国的にも珍しい常設の石造り護摩壇で、この地は「星宿」と呼ばれていたそうな。日光金谷ホテルの隣に「日光 星の宿」という宿泊施設があり以前にお邪魔した事があったのですが、その名前の由来を数年越しに知ったのでした。

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寛永十三年(1636)に架けられた日光橋より、日光の象徴とも言える神橋を望みます。この朱塗りの橋の起源は日光開山の祖・勝道上人が、天平神護三年(767)に日光入りする時に荒れ狂う大谷川を前に立った時に、仏法の護法神・深沙大将が現れて橋を渡し事に始まるとの説話があるそうです。

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大谷川を渡った御神域で、前の晩に羽化を開始したと思われる蝉を発見しました!  まだ色が薄く半透明の状態。アゲハチョウは自宅で毎年羽化する瞬間を目にしているのですが、蝉の羽化を子供達は見たことはありません。子供達に蝉が死んでしまうの触っては駄目だと指示をしまがら、脱皮した抜け殻を探して見つけました(上の写真の息子も右手の近く)。この小さな抜け殻から、この大きさの蝉が出てきたと説明するとおぉ〜と驚いていました。