山と熊と田を生業とした集落・山熊田の元教員宿舎に宿泊

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家族で新潟県に出掛けた時のことです。訪れたのは新潟県最北部の村上市のなかでも、最も北側に位置する山北地区。平成の大合併で村上市の一部となるまでは山北町だった場所です。その山北地区でも最も山奥にある山村集落「山熊田」に今回はお邪魔してきたのでした。山熊田は「東北文化を色濃く残す集落」として有名で、是非とも訪れてみたいと考えていた場所でした。日本海側より県道248号線を内陸に進み、こじんまりとした荒川中の集落で山熊田へと続く分岐を左折し向かったのでした。

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西に日本海が広がり、北側の山形県鶴岡と南の新潟県村上に挟まれた山間部。朝日岳(1,870m)や以東岳(1,774m)を始めとする山々が西側に傾斜しており、有名な景勝地「笹川流れ」はそれが海中に突出して浸食されたのだったりします。現在は大部分が舗装路となっていますが、村上より庄内を結ぶ出羽街道が宿場町の面影を残す北中、小俣集落を通っており、山熊田はの集落は街道上の中継集落より5キロ程内陸に入った場所にありました。

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標高150メートルと標高こそ高くない山熊田集落ですが、周囲を500メートル程の山々に囲まれ冬には2メートルにも雪が積もる豪雪地帯となっています。この集落まで除雪車が入れる様になったのは昭和も終わりと云われる程に厳しい環境にある集落でした。杉や檜などの林業を主要産業としていたものの、海外からの低価格攻勢に押されて不調となり人口が減少。過疎化が止まらず現在の人口は40人あまりです。

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平成元年(1989)に廃校となった山北町立山熊田小中学校の白亜の校舎。山熊田集落から2キロ程北側に位置する雷集落の小学校の分校として20世紀初頭に開校。校門の跡と思われる場所には「のぞみ」と書かれた石像があり、その脇には「山熊田中学校 永遠に」と刻まれておりました。ここ数年は学校の校舎に家族で泊まろうを繰り返しているので、こちらに宿泊するのかと家族に思わせておくも入口の扉は固く閉ざされており、「おかしいなぁ〜」と半分笑いながら撤退するも、妻には企んでいるのがバレバレでした(*´艸`*)ウシシ

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実際に宿泊したのは山熊田集落が管理をしている元・教員宿舎だった「山北町簡易宿泊施設」。クルマを敷地に乗り入れて、管理人さんに電話をしたのでした。1号と2号の二部屋があるようで、おそらく宿泊客は自分達だけだろうと勝手に思い込んでいたのですが、自分達以外にも宿泊者がいる知り少し驚きました。まぁ、この規模の集落に民宿ではなく、宿泊施設があること自体が驚きでもあるのですが...

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宿泊施設内部の様子です。一階に小さな和室と小さな台所に浴室。2階部分の部屋は建物外観から判断して全て自分達側が利用できる造りとなっていました。他の教員宿舎がどの様なものなのか知らないのですが、赴任してきた小中学校の教員が生活をする場所で、片方は単身者、もう片方が家族持ちという塩梅で使用されていたのだと考えました。

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山熊田集落に知り合いは全くいないので、宿泊施設の管理人さんに山熊田川で安全に泳げる場所や、食事処、事前に調べておいた会ってみたい方の自宅等を尋ねたのでした。自分達が集落の誰かの親戚であれば「誰々の親戚で遊びに来ました」と言えば何事も物事が簡単に進むのでしょうが、残念ながら集落内では完全な異端者。小学生の子供2人を連れた家族という姿なのが、せめてもの救いったところです。

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集落の入口に建つ立派な建物が「さんぽく生業の里」。山中の科の木や大葉菩提樹の木皮を剥ぎ、木灰で煮て、取り出した繊維を裂いて糸とする古代布のひとつ・しな布を作っています。国内では山熊田集落、雷集落、国境を山形県側に超えたところにある関川集落の3箇所で生産される貴重な織物で、縄文人はこの様な服をまとっていたのではないかと推測されるモノらしいです。

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山熊田初めとする山間集落の生活で多用されていた「灰」が積もった囲炉裏のある部屋。焼畑で作る赤かぶや、トチ餅などの郷土料理の昼食をお願いしたかったのですが、要事前予約&1週間程電話が繋がらずで断念。さんぽく生業の里で働かれていた女性の方々の言葉は方言に慣れていない子供達にチンプンカンプンだったらしく、「言っている事全く分からない、よく解るね」と子供に言われたのでした。

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さんぽく生業の里のすぐ後ろを流れる山熊田川で水遊び。真夏の太陽が照り付ける中での冷たい水は最高の遊び場です。山中の集落であまり粗相をするといけないので、子供達だけ気持ち良くバシャバシャ。妻は織物が好きなので、しな織り工房見学に行ってしまい、自分は子供達の安全監視員役。

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宿泊所の庭のベンチで浮き輪を乾かしています。大きな方が息子ので、小さい方娘の浮き輪。写真に映っている柵と宿泊施設の間の土地は10日程前に火をつけた黒い地面・焼畑となっていました。10日前に来ていれば、世にも珍しい燃え盛る焼畑フロントの部屋に泊まれたのにと思うとかなり悔しい思いでした。山熊田はその集落の名前が示す通りに、山7割、熊2割、田1割で生業をたてていた集落で、現在でも狩猟/マタギをする方がおられます。そのうち、東北のマタギ宿の泊まり歩きを書こうと思っていて、写真だけを準備してはや数年。マタギ繋がりで、山熊田での話しの続きを近くしたいと考えております。