満州の果てより那須高原へ、日本の観光牧場の先駆者・南ヶ丘牧場

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栃木県北部、黒磯と那須湯本を結ぶ県道17号を10キロほど那須ICより山に向かって走った高原地帯に「南ヶ丘牧場」があります。「牧場の門」と呼ばれる鳥居のような一風変わった入口を持つ牧場は、観光ガイドブックに必ず出てくる有名観光牧場で自分も子供の頃より数多く訪れてきた場所でした。

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牧場なので、馬、ロバ、羊、兎等と触れ合えるのは勿論のこと、ニジマス釣りや、パターゴルフ、アーチェリー、アイスクリーム作りにソーセージ&バターづくり体験等などの盛り沢山な遊びが楽しめ、春夏秋といつ訪れても多くの観光客で賑わっている場所です。

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この観光牧場は前々から気にはしていたのですが、名物料理はボルシチにロシア直伝ペロシキ、体験施設の名前も「ザバイカル」とロシア風の色付けがなされています。ザバイカル(外バイカル)は中露国境に流れるアルグン川よりバイカル湖の東に広がる土地を指す単語で、とても那須の山で見かけるような言葉ではありません。

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売店を覗いても、翼開張2メートルを越えるような大型の猛禽類が展示されているのを見ることができます。那須では那須どうぶつ王国・猛禽の森でも目にしないであろう猛禽類のサイズで、観光農園にはそぐわないであろう迫力ある剥製で驚かされます。

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南ヶ丘牧場=ロシア出身者経営か?とボンヤリと考えていたのですが、その疑問は「創造舘」と名付けられた福島県西白川郡より移築した元庄屋の家の中に展示されている創業者の経歴を読むことで、やっと理解できたのでした。

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南ヶ丘牧場の創業者・岡部勇雄氏は日本から朝鮮半島へ渡る玄関口の下関で育ち、中学卒業後に全羅南道にあった馬渕果樹園で梨の栽培に従事。兵役の任を離れた後にも、朝鮮に再び渡り植林事業に2年ほど携わっていました。

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昭和7年(1932年)3月に満州国が誕生します。その地で満州鏡泊学園という開拓を専門とする学校が開かれ、その第1期生200名の募集広告を岡部氏は偶然目にしたのでした。この学園を卒業したものには十町部以上の土地を与えられるとの文言に「満州で理想農村を創ろう」と希望を抱き応募→昭和8年3月の東京での試験に岡部氏は見事合格。満州に渡るまで四ヶ月間は東京世田谷の国士舘にて事前講習を受け、岡部氏はパンの製造をここで習うのでした。

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満州鏡泊学園の建つ開校予定地は鏡泊湖(上地図の青丸)のほとり。当時の満州国は主要都市・新京、奉天、大連、ハルピン以外の支配権は充分に確立できておらず、まして奥地にあたる鏡泊湖は関東軍ですら手を付けられない反満抗日ゲリラが跋扈する匪賊の地でした。

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その地で3年間の学園生活を過ごした岡部氏は心機一転、ロシアとの国境に近い三河/サンガ(上地図の赤丸)へと向かいます。大興安嶺の西側にあたる一望千里の大草原地帯には白系ロシア人、コザック農民が牧畜業で定住しており、真冬は氷点下50度にもなる地でした。ここで岡部氏は同志の日本人5人と共に現地の人々により営まれている三河の酪農を体得し、イケン湖畔の地を苦闘を重ねて開拓したのでした。南ヶ丘牧場にあるジンギスカンハウス・サンガの名前はその三河(サンガ)に由来しているそうです。

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三河での生活が安定をみせた昭和12 年に一時帰国した岡部氏は、妻ナツ子と結婚します。故郷で結婚式をあげた後に岡部氏は新妻を伴い三河へと戻るのでした。玄界灘を連絡船で渡り、鉄道でソウル、新京、ハルピン経由して最寄り駅ハイラルまで到着するのに3週間。そこから三河までは野宿3日の新婚旅行だったとか...。 

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昭和20年(1945年)8月9日のソ連軍の対日参戦で、ザバイカル軍が西北方面よりも侵攻を開始します。三河は二度と戻れない地に。徴兵を受け国境警備隊に配属された岡部氏は、ロシア軍の急襲で壊滅した部隊を離れ、負傷しながらも独り大連まで南下していました。

岡部氏の妻・ナツ子は5人の子供を抱え、300名の馬車隊共に大興安嶺の山中を1ヶ月を掛けて東へ逃避。岡部氏はチチハルに三河の人々が避難していると云う噂を頼りに、戦地のなかを満鉄線路を辿り徒歩で1,200キロを北上し妻子のいるチチハルに辿り着いたのでした。昭和21年9月1日に家族5人で博多港に帰国します。

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昭和23年11月、東京都募集による那須高原への入植事業に応募した岡部氏は那須湯本温泉南に広がる旋ヶ平に他35戸と共に家族で入植し、鍬を打ち下ろした初めました。この土地は火山灰地の広がる高地で、「焼畑をして豆をまいても育たないのは、全国でもここだけ」と言われたほどに農耕には全く不向きな荒地でした。

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楢の原生林に篠竹と藤蔓の開拓地は整地するだけでも数年を要する酷さ。この土地で岡部氏は三河の地で露人と交わり学んだ牧畜業をしようと決意します。開拓と牧畜、那須の新しい開拓地での生活は、三河での生活の延長線上にあったのでした。

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南側のなだらかな斜面に「南ヶ丘」と名付け、一頭のホルスタインの飼育でスタート。瓶詰して蒸籠で消毒した牛乳を付近の湯本温泉や旅館、家々に売り歩く行商から初めました。「農家は生産物を市場で売るだけではなく、自分で生産したものを売る市場を自ら造り、そして、その市場の中で主体性を持たなくてはならない」と云う、三河で追い求めた理想の農村経営を那須の開拓地で実践していくのでした。

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自家製牛乳販売を開始した年に自家製アイスクリームの製造販売も開始。昭和26年には大手の高品質牛乳との差別化のために英国産乳牛のガンジー種を導入し、開拓地を流れる清流を利用しての鱒養殖も始めるなど、開拓者・岡部氏は事業を拡げていきました。

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岡部氏とその家族は三河での生活同様に家の中にペーチカを置き、パン窯を築き暮らしていました。酪農場・南ヶ丘牧場が発展するに連れて、近隣住民や那須湯本温泉のお客が立ち寄るようになります。岡部氏は訪れる人々に自家製牛乳を勧め、ロシア料理のペロシキや黒パンを試しに売ってみたところ好評を得て、口コミにより南ヶ丘牧場を訪れる人は年々増えていったのでした。

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訪れる人々をもてなす建物が必要だと考え、福島県より移築した庄屋の家に客間、食堂、調理場、売店を昭和39年に設けます。上の写真は当時黒パンを焼いていた実際の窯。この建物は集客の中心、牧場のショーウインドーを兼ね、生産から加工販売までの一貫システムの核となる場所の完成となったのでした。農家が生産から加工・販売までを自らおこなう農場・南ヶ丘牧場は更なる発展を迎える時期を迎えます。

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那須に加え磐梯、山形・二本松と4つの拠点を持つにいたった南ヶ丘牧場は、飼料や酪農の関わる資材・エネルギー等の外部依存をしていたものを、できる限り牧場内で自給可能なものにしようと試みます。4つある拠点全てが那須と同じく観光牧場とするのではなく、那須、磐梯を観光牧場、山形では材木、牧草供給、二本松は放牧、搾乳と相互補完しながら現在に至っています。この日に訪れた那須の南ヶ丘牧場は、平日でも駐車スペースを探さなくてはならない程の人気を博していました。

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平成元年、優れた観光振興者に送られる岩切章太郎賞を受賞した時の記念像が南ヶ丘牧場の一角にありました。「かつて開拓の若き戦士として同志とともに北満の原野に立ちはだかり あるときは酷寒の凍土を掘り起こし あるときは灼熱の大地に足を焦がし 不毛の荒野に肥沃なる牧野をつくりし不屈なる夫婦...」で始まる熱い文章が添えられています。

大興安嶺を越えて広がる辺境の草原地にて、ロシア人より学んだ牧畜を遠く2,000キロ以上も離れた那須高原にて試み、それを根底にした牧畜業が現在でも受け継がれているというのは実に驚きです。南ヶ丘牧場を開いた岡部勇雄氏とその御家族の苦難に立ち向かった開拓史は刻まれたその賛辞以上のものだと思いました。

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祖父の時代に軍馬90頭を供出した石碑が実家近くにポツリと残っていたり、自分の妻の父親が戦前に河北省・保定市で産まれ、北京の日本領事館にて出生届けを出していた事を戸籍で初めて知ったり、祖母が呉の鎮府にて勤務していたその時に、広島を灰燼と化した原子力爆弾の閃光を目にしたりと、自分に近い人達の戦前の話しに驚くことがあります。

第二次ベビーブーム後に産まれた自分には教科書やテレビで見るぐらいの距離に感じる"戦前"が、突如として目の前に現れると戸惑ってしまいます。何気なく家族と訪れた楽しみ満載の観光牧場に、大草原が広がる北部満州に繋がる壮大な話しがあったとは思いもよらずで愕然とさせられました。