鬼のご近所さんを尋ねて、飛鳥時代からの約束の地・前鬼の里

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ある日、我が家に本物の"鬼"から郵便が届きました。これは何かの機会だろうと捉え、家族でその鬼さんに会いに行くべと決めて奈良県に行って参りました。イタズラ好きの父親の戯言だとは思うも、一抹の不安を感じた子供達が「ホンモノの鬼なの? 怖くないの?」と繰り返し尋ねるので、「飛鳥時代、1,400年近くも昔から奈良の山奥に住んでいるホンモノの鬼だよ」と真顔で答えたのでした。

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その鬼の住む場所は奈良県南部の修験道の根本霊場たる大峰山・釈迦ヶ岳の山中。現在の下北山村にある池原ダムより3キロ程登った場所にあります。上の写真は釈迦ヶ岳と池原ダム。偶然にも上空から鬼の住処を発見できたので撮影してみた一枚です。紀伊山地の最も山深い一帯で、寒い時期に写真を撮ったので山頂部と河川の一部が白くなっていました。

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地図で確認するとこの様な感じです。標高1,500メートル程の山々が西南から東北に走る紀伊山地の東側にあたり、古代より修験道の聖地として、熊野三山を中心とする熊野信仰の霊場として特別な場所として捉えられてきた地域です。地図上に赤く引いた線は熊野本宮大社を起点として、吉野・柳の渡しまでを結ぶ80キロの修験道の大峰奥駆道を大雑把に示したもので、熊野と吉野の凡そ中間地点・釈迦ヶ岳の麓に付けた赤マル印が今回の目的地です。

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国道169号線から脇道に逸れ、ズンズン進むと侵入を禁じる結界(チェーン)の張られた場所に到達。一般のクルマが進めるのは此処までです。事前に鬼の奥様より許可を頂いていたので、チェーンを外してドンドン山の中を落石を避けながらクルマで駆け上がりました。途中で見える落差170メートルと言われる不動七滝周辺で鬼達(キャニオニング等で遊ぶ人達)がおり、子供達が「やっほー」と遠くより大声で叫ぶと、こちらに手を振って挨拶してくれました。

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この地を切り開いたのは修験道の開祖と呼ばれる役行者で、飛鳥時代に那智の滝より山に入り、大峰山脈にて修行の日々を送ったと言われてります。その役小角の左右に従う二匹の鬼が前鬼・後鬼の夫婦。夫の前鬼(名は義覚)は大峰山の東の麓・前鬼の里、妻の後鬼(名は義賢)は大峰山の西の麓・天川の出身と言われています。生駒山にて人々を苦しめていた前鬼と後鬼は偉大な霊力持った役小角に調伏され、役小角の修行を助けるために大峰山で日々を共にしていました。

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役小角がこの世から去る時に遺した、後世の修行者の手助けする様にとの約束を守り続ける為に、2人はこの地・前鬼の里に留まりました。夫婦である前鬼と後鬼の間にできた5人の子供達とその子孫達は、千年以上の長きに渡りその約束を守り続け修験者をもてなして続けてきました。前鬼は尾根沿いに開かれた奥駆道から少し東に外れた位置にあるのですが、奥駆道の中間に近い前鬼を拠点として活動した行者達も多く、深い山中にも関わらず、前鬼山は行者達で賑わいを見せていたそうです。

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役小角に従った義覚を初代として61代目にあたる五鬼助家当主・五鬼助義之氏が現在その任を務められています。「鬼の名前は五鬼助(ゴキジョ)さんと言うんだよ」と子供達に事前に教えたところ、「ゴキンジョさん、ご近所さん」と子供達の脳裏にミスインプットされてしまい、ご本人にも「ごきんじょさん」と呼んで笑われてしまい、現在でも子供達のなかでは「ご近所さん」のままだったりします( ´艸`)。

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真の鬼であった義覚は195歳、その子の義達は147歳、そのまた子供の義卒は131歳と代を重ねるに連れて鬼から人間の寿命に近づき、現在の子孫達の寿命は普通の人間と変わらなのだとか。子供達の「ホンモノの鬼なんですかぁ?」という直球の質問には、「そうだ」と苦笑いしながら肯定していました。なんでも、歩けば2-3日かかる自宅からの100キロ近い距離を(クルマで)2時間で今日も走ってきたのだとか...。

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こちらが五鬼助家が代々営む宿坊「小仲坊」です。前鬼と後鬼には5人の子供達がおり、五鬼助家以外には五鬼継・五鬼熊・五鬼上・五鬼童の家系が代々、道案内、奥駆道の整備、宿泊/食料の供給とそれぞれ森本坊・行者坊・中ノ坊・不動坊を営んで来ました。既出の大正時代に撮影された白黒写真にはその姿が認められます。明治政府が明治5年(1872)に修験道廃止令に伴い、全国に17万人いたと言われる修験者が激減。他の鬼の家は前鬼の里から離れて行き、現在では五鬼助家のみが前鬼の里に残っており、二つの家は既に断絶してしまっております。

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奥様に準備して頂いた夜ご飯を縁側で頂きます。念の為にと生まれを尋ねて見たところ、奥様は鳥取生まれの関西育ちとのことでした。天川ではなかった...。前鬼の里は携帯の電波が現在でも入らない僻地です。水も水道管が敷設されている訳がある訳なく、山からの澤水。電気はクルマで持参したガソリンを利用した自家発電で夕方から就寝前まで。現在70歳台のご主人は自宅から学校に通うことができなかったので、麓に住む親類の元から小中学校に通っていたと伺いました。

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五鬼助さん夫婦にはウチの子供達と同じ歳ほどのお孫さんがいるのだとか。子供達の明るい騒ぎ声は好ましいというお言葉に甘えて、大はしゃぎする子供達を写した写真です。大汗をかきながらドタバタと走り回っていますが、前鬼の里の主屋は築500年とも云われる世界遺産です...。

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山を巡る行者さん達には堪らないであろう浴槽付きの風呂場(゚O゚)。宿泊は小仲坊での男女雑魚寝を覚悟していたものの、私達4人には寝る場所として個室を使わせて頂けました。風呂に個室と、山の中では期待もしていなかった贅沢さです。

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夕暮れ時の部屋からの眺め。斧を持つ姿で表される前鬼が山地に道を切り開き、水瓶を持つ姿の後鬼が食事を役小角に供した前鬼の里からの、静かでとても美しい眺めでした。

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日が落ちると、沢山過ぎる虫達が電灯に集まってきました。この電灯は部屋の入口の上部ものなのですが、部屋の灯りを付けたまま入口の扉を開いてしまうと、黒い虫達の群れが部屋に流れ込んでしまう少し厄介な場所にありました。室内に準備された蚊取り線香は気休め程度で、その圧倒的な物量攻撃には最初から白旗状態...。

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宿泊した日の晩にひと騒ぎがありました。本来到着する筈の一行が予定を2時間経過しても下りて来ないのです。前述の通りに、前鬼一帯は携帯電話の電波が入らない為に山中を歩く人達と直接連絡する事はできません。緊急用の固定電話で前後の宿泊先の靡に連絡を取ったり、前鬼にいた行者さん達も山に様子見に行くかと俄に騒がしくなってきました。

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ああだ、こうだと騒がしくしているうちに、その一行が暫くして山から姿を表しました。漏れ聞こえた話しでは、参加者の女性の人が体調を崩したらしく、グループ全体の歩みが遅くなったとの事でした。到着した行者姿の一行が御堂の前に並び、経文を読み上げ、真言を皆で唱えているのを息子と一緒に見ていました。

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昨晩到着した御一行を見送ろうと夜明け前に起きました。役小角の真言は「オンギャクギャクエンノウバソクアランキャソワカ」。ギャク、ギャクとなぜ双字が用いられているのかを、五鬼助住職に滞在中に聞いてみようと思っていたのですが昨晩の騒ぎで忘れてしまいました。ギャク ギャクは前鬼後鬼ではないかなと推測しているのですが、どうでしょう? 五鬼助さんより直接聞きたかったです。

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翌朝、家族が寝ている間に奥駆道へと続く道を少し散歩してみました。満天の星をたたえていた昨晩の前鬼の里で、金属音にも似た鵺の鳴き声が響いていた山林です。石垣となっているのは明治中期まであったと言われる他の鬼達の宿坊跡や畑。江戸時代には1軒あたり千人を超える信者を持っていた時期もあるも、五鬼継の森本坊が昭和中期に閉じた後は小仲坊だけとなってしまいました。五鬼助家の60代当主・義憲さんは現当主が大学生の時に亡くなり、小仲坊も廃止の危機に直面しましたが、叔父の義价さん、弟の義元さんが宿坊を守り続け、平成九年より現在の当主・義之さんと奥様が鬼の子孫として約束を守り始めました。62代目となる息子さんも宿坊を継ぐと言っているとのお話を聞かせて頂きました。

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山々の緑に囲まれる絶景を堪能しながら、屋根の上で日向ぼっこをする我が家の人形たち。この記事を書いている間に、五鬼助さんの写真を息子に見せてみたところ「ご近所さんだ」と見事言い当ていました。大好物の海苔が沢山貰えた事と、自家発電機のドドドドという振動を伴う音、南無(-∧-)合掌を憶えていると言っていました。

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前鬼の里から程近い前鬼川で、石を投げたりして川遊びをしてみました。前鬼川は上流にダムを持たない関西随一と名高い清流です。高い透明度と前鬼ブルーとも呼ばれる美しい水が流れる深山幽谷の地でした。