神輿(須佐之男)が神馬(八岐大蛇)を追い立てる、霞ヶ浦湖畔の馬出し祭

f:id:tmja:20180801095311j:plain

茨城県に家族4人で出かけて来ました。窓から見える緑の向こうに見える水平線は霞ヶ浦、日本で2番目の大きさを誇る湖です。今回は関東でも千葉県富津市の吾妻神社と今回訪れた行方市麻生区の八坂神社しか残っていない「馬出し祭」を見に、クルマをビューンと飛ばして訪れたのでした。

f:id:tmja:20180801095244j:plain

地図で見ると祭事の会場はこの様なところ。霞ヶ浦に向かって土地が少し出っ張っており、「天王崎」の地名を持つ海水浴場の横に鎮座する八坂神社において、古宿・新田両部落(集落の意)により長年続けられている祭事です。この天王崎は霞ヶ浦越しに関東の名峰・筑波山と富士山が望め、筑波も清く聳え立ちと思わず歌いたくなる場所です。

f:id:tmja:20180801095304j:plain

神社の敷地には既に前日の宵祭から気分の高揚している人々が集っており、楽しい雰囲気満載。この馬出し祭りは須佐之男と八岐大蛇による激闘を再現するもので、天が落ち、大地が割れる壮絶な戦いの筈なのですが和気藹々...。以前に見た筑波山麓での須佐之男と大獅子の闘い(小田祇園祭)の方がピリピリしていたぞとツッコミを入れたくなる夏の午後でした。

f:id:tmja:20180801095308j:plain

棕櫚で拵えたからだに五色の吹き流しで飾られたニワカ馬。詳細に見ると、しっかりとオスメスがあったりします。二日ある祭りの初日には、このニワカ馬が子供達に引かれて氏子の家々をまわり、馬出し祭の宣伝をしています。

f:id:tmja:20180801095248j:plain

宮司による神事が執り行われていました。祭りの無事終了を祈り終わると、馬出し祭のメインイベントが始まります。仮屋の前にある神輿は5年程前に新しくなったもの。揺らめく白旗の書は1604年にこの地でできた常陸国麻生藩の藩主・新庄家のご子孫によるものでした。

f:id:tmja:20180801095251j:plain

八坂神社の神殿前から鳥居方向を見るとこのような参道があり、神輿と馬はここを舞台として駆け抜けて行くのです。もとは地元の人々達だけの祭りだったものが、行方市の広報によってか来場する観光客や写真愛好家が段々と増えてきており、一番上の写真のポスターに馬と一緒に写る男性を目当てに来る人も多数 (注: 既婚者でお子さんもいらっしゃいます)。

f:id:tmja:20190303110601j:plain

午前中に町内を巡り、切り火を受け、御祝儀を集めて休憩中のまだら模様の馬。上の方で祭りの趣旨に触れましたが、馬出し祭は厄を象徴する八岐大蛇を須佐之男が追い祓うという意味付けがなされています。

f:id:tmja:20180801095259j:plain

土地の名前に天王崎と残っている事よりも推測できるように、現在の八坂神社は明治維新の神仏分離によって強制的に八坂神社と改組されたものです。それ以前に祀られていたのは疫病を司る牛頭天王で、天王=天皇につながるとして全国の牛頭天王を祀る天王社/祇園社を徹底的に明治政府は排除していき、代わりに須佐之男/素戔嗚尊を祀らせたのでした。

f:id:tmja:20190304104241j:plain

日本神話でも素戔嗚尊と馬が登場する場面があります。姉の天照大神の儀礼を邪魔する為に、天の斑馬を生きたまま皮を剥ぐなどの悪行を尽くし、素戔嗚尊はケガレの象徴として天界から追放されてしまいました。牛頭天王も大元は疫病/ケガレであり、丁重に持てなせば病より護ってくれるとして庶民の信仰を得たと言われているので似ている部分もあります。

f:id:tmja:20180801095325j:plain

神木を担ぐ氏子を先頭にして神輿が鳥居をくぐり、松の並木の馬場を社殿へと向かって行きました。夏の盛り日の午後、霞ヶ浦から吹く風を受けながらの登場。左右に神輿をワザと揺らしながら進むなど、担ぎ手達は愉しそうにしており、見ている此方も気分が良くなってしまいます。

f:id:tmja:20180801095328j:plain

f:id:tmja:20180801095332j:plain

五色の吹き流しで盛飾られた神馬が稚児を載せて社殿に向かって行きます。馬を先導する役目の「前はんな」、この後に馬と一緒に疾走し勇壮な姿を魅せる此の祭りの花形です。

f:id:tmja:20180801095335j:plain

今か、今かと神事が始まるのを待っていると、神馬と神輿が通る馬場に浄めの塩が撒かれていきます。霞ヶ浦側の方が良い絵が撮れるのか、湖畔側は一眼レフカメラを構えた男性陣が隙間なく構えていました。反対側の陸側は空いていたので自分達は此方に陣取りました。

f:id:tmja:20180801095439j:plain

さて、始まりです。神輿(須佐之男)が社殿側におり、神馬(八岐大蛇/疫病)がゆっくりと迫って行きます。神輿の前で馬を三度回し終わったのが合図なのか、突如に聞こえる男達のトキの声。突然のことに驚いた神馬は社殿前から逃げ出します。

f:id:tmja:20180801095442j:plain

「前はんな」を務めるの男は驚かされて暴れ馬と化した神馬を制御しようと、馬と一緒になって飛び跳ねながら疾走。この地方でも既に役畜を使用しなくなり長い筈ですので、日頃から馬と接している人はほぼ集落にはいない。暴れる馬の横で一緒に走るだけでも大変そうです..。

f:id:tmja:20180801095448j:plain

f:id:tmja:20180801095453j:plain

神木を担いだ男を先頭に、須佐之男(神輿)が、担ぎ手達が「ワッショイ、ワッショイ」と威勢よく叫びながら八岐大蛇(神馬)を追い立てます。これを何度も繰り返すのが馬出し祭りなのですが、馬にとっては大迷惑。知らない場所に連れて来られて、何が始まるのかと思えば追いかけ回されるのですから大変です。下の動画は躍動感溢れる追いかけ場面です。蝉も声援を贈るかの様に盛大に鳴いていました。

f:id:tmja:20180801095502j:plain

f:id:tmja:20180801095339j:plain

何度か繰り返していると、馬達も鳥居から社殿に向かうことを嫌い抵抗し始めていました。八岐大蛇/疫病が社殿に向かうことを嫌うというのを見て、村の安全が須佐之男によって護られ、厄が払われた事の象徴をしているのだと思えました。

f:id:tmja:20180801095106j:plain

f:id:tmja:20180801095458j:plain

f:id:tmja:20180801095149j:plain

祭りの最中のハプニングも多数ありました。興奮している神馬に蹴られる、手網を離れた神馬だけが馬場を悠然と駆けていく。こちらも下の動画をご覧ください。最後の方には「ちゃんとやれよ」とお叱りの言葉も聞こえるかと...。

f:id:tmja:20180801095430j:plain

子供神輿とニワカ馬達の出番も勿論ありました。 子供達の無邪気な笑い声は何よりも厄を払うものです!!

f:id:tmja:20180801095200j:plain

f:id:tmja:20180801095203j:plain

馬出しを終えた神輿は霞ヶ浦へと「お浜降り」に向かって行きます。お浜降りは日本各地でもおこなわれている渡御と同じで、その神社が祀られる事になった由縁のある場所を巡ります。古宿・新田両部落は霞ヶ浦の湖畔にあり、霞ヶ浦と共に年月を過ごして来ましたので終楽章は霞ヶ浦。

f:id:tmja:20180801095207j:plain

f:id:tmja:20180801095212j:plain

夏の日射しが照り付ける霞ヶ浦を背後にして、馬出しで汗だくなった身体を浜降り前にひと休憩。日本全国の祭りが浜降りで締め括られる事が多い事と同じく、馬出しにて共に厄を祓った神輿と湖に浸かり、身体と精神の清浄を求めます。

f:id:tmja:20180801095217j:plain

f:id:tmja:20180801095221j:plain

「ワッショイ、ワッショイ」と若人の声が湖面に響き渡り、神輿を担いだ衆が冷たい湖に胸が浸かるまで入って行きます。この後で子供達が湖畔で泳いでいたのですが、自分達夫婦は足を入れるのも遠慮したいという水温でした。祭りで興奮しきった身体は収まりがつかないのでしょう。

f:id:tmja:20180801095238j:plain

娘と息子、その向こうには霞ヶ浦を渡御する神輿衆。もはや観光客に見せるのが主目的となってしまっている伝統ある祭りも各地に多く見られますが、こちらの馬出し祭は地域の祭りという色彩をいまだ色濃く残しています。全国に無数にある他のお祭り同様に維持が年々難しくなっていると思われますが、長く続いて欲しいと思える素晴らしいお祭りです。