北流れゆく三面に身をもて登る鮭のまち、新潟県村上市を散策

 

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新潟県村上市に行って参りました。新潟県の最北部にある村上は上中越地域はもとより同じ下越地域に属する新潟市民よりも「村上は山形県」と冗談で言われ続けていたりする程に感じられる程遠くにあります。平成二十年(2008)の朝日村・山北町などとの大合併を経て、村上市は新潟県内でも最大の面積を持つ自治体となりました。また、言葉も新潟の蒲原弁(新潟弁)とも北の庄内弁とも違っており、ひとつ独特な文化を持つ地域として看做されています。

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10月も半ばを過ぎると市内を流れる三面川(みおもてがわ)や荒川に鮭が海より遡上を初める季節が始まります。新潟県は国内では北海道、岩手県、青森県、宮城県に継ぐ鮭の漁獲量を誇るも、国内の内水面で捕れる鮭の率にすると1%にも満たない程度。然しながら、鮭の町と問われれば必ず新潟の村上の名前があがる程に鮭の町として名を馳せています。数量ベースで圧倒的なオホーツク海域の町が鮭の町名乗るのであれば納得もいくも、本州太平洋側と比較して1/5も鮭来遊数のない本州日本側の村上が何故と感じざる得ません...。

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先ず初めに訪れてみたのは市役所の近く、出羽街道沿いの大町に建つ「味匠 㐂っ川」さん。大町は城下で最も早くに開けた場所のひとつで、寛文六年(1665)年には11軒の酒蔵があったそうです。現在の㐂っ川さんの建物は明治二十五年の大火後の再建で、以前は「長門屋」の屋号を持つ酒蔵でした。現在顧客が足を踏み入れられる1階部分は酒米の貯蔵、洗米をおこなっていた場所を戦後に改装したそうです。

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㐂っ川さんは現在は塩引き鮭を初めとする、鮭の酒びたしや鮭の生ハムなどの鮭製品を多数を製造しています。塩引き鮭は雄の鮭より内臓を取り除き、塩漬け/塩抜きをした後に逆さ吊るしをして乾燥/熟成をすすめ旨味を得る手法で、訪れた日には運良く塩引き作業を見学することができました。吊るされている鮭のお腹の部分は切腹を嫌う武士文化の名残りで"留め腹"となっているのに注目です。秋に捕まえ吊るした鮭は1ヶ月ほど経った頃が一番美味しい時期と知られるので此処での購入は見送りました...。
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町の北部を東西に流れる三面川(旧名・瀬波川)です。新潟県と山形県の境界に位置する朝日連峰を源とし、総延長50キロ程経て静かに日本海へと注いでいます。下の写真に映る堰は新しい魚道かとも遠目には見えたのですが、川幅一杯に掛けられたウライと呼ばれる鮭の捕獲罠でした。上流へと遡上しようとする習性を利用し、登り口を鮭達が探しているうちに捕獲漕に迷い込んでしまう仕掛けとなっています。1日に2度ほど網で上げられた鮭達は叩き棒でパカドカと殴り気絶させられ、軽トラックで運ばれていきました。

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この川を遡って行くと平野部においては幾筋もの川との合流地点があり、丘陵地帯、山岳地帯へと進むに連れて細くなっていき最後は三面ダムに突き当たります。このダムは夏場に頻発する渇水と洪水対策及び発電を目的として戦後間もなくの昭和二十八(1953)年完成した新潟県営ダムです。三面ダムの更に奥には昭和四十二(1967)に発生した飯豊山系に降り注いだ豪雨(三面川上流にて2日で400ミリの降雨)によって引き起こされた被害対策として建設された奥三面ダムもあります。ダム建設によりマタギ村として有名だった三面と大規模な縄文遺跡が水に沈み、日本海より遡上した鮭が遡上できる最上流地点もそれらのダムの手前までとなったと教えて貰いました(現地で実物の遡上する鮭は発見できず)。

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三面川付近では鮭をイヨボヤ(イヨ=魚、ボヤ=魚)と呼んでいるそうです。鮭が遡上する時期を狙って村上を訪れたので、澄んだ川の中にイヨボヤ達の遡上する姿を容易に確認することでき、パシャ、パシャと水面を飛び跳ねる姿も時折目にしました。彼らは遡上を一度開始すると何も食べずに中上流域まで熊に、鷹や人間を初めとする天敵の捕獲を掻い潜りながら上り、川床で産卵した後には力尽きて死に至るのです。

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ボロボロとなり力尽きた鮭達が水だまりに流れ集まっているのも目にしました。オスはメスの奪い合いで傷つき、メスは産卵床をつくるために尾びれを打ち付けて傷付きと散々な姿となっています。産卵後の鮭は食べても美味しくないので、捨てるしかないことより「ほっちゃれ」とも呼ばれていますが、川の中では川虫等の栄養となり、動物や鳥により陸上に運ばれたものも森や土の栄養となり自然の連鎖のなかに消えていきます。

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「筋子白子を混ぜて、川の砂石に包んでおけば鮭のいない川にも3年で鮭が増える」と昔の書物にも記載があるように、鮭が生まれた川に戻る習性「母川回帰」は古くより広く知られていました。そこに着目した村上藩士の青砥武平治は遡上する川を3つ分流にし、自然に遡上できる川と遡上を止めて産卵させるために杭を打ち障害物で囲う御止川とに分けた「種川」を宝暦12年(1762)より開始し、三面川は世界初となる鮭の自然孵化事業とも呼べるに成功した場所でもあります。

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明治期の鮭漁の様子を再現したものがイヨボヤ会館にありました。寒風吹き荒む冬の日に裸で川に入って漁をしており、止簾で囲われたなかで産卵を終えた鮭達を、「おさらい」と呼ばれた引き網で捕らえたのだと説明がありました。種川の制の有効性は広く認められ、東北から北海道全域に渡り採用がなされていきました。また、その後にメスの腹を裂いて卵を取り出し、オスの精子と合わせて受精。稚魚がある程度の大きくなってから放流する人工孵化方が広まっていくキッカケとなった人口孵化実験も三面川で明治十一年(1878)よりおこなわれ、20万粒以上の採卵が日本各地へと配布。三面川は日本の鮭事業の揺籃の役割を果たした"聖地"だったのです。

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鮭漁を人形で再現したジオラマには「番小屋」と呼ばれた丸太に藁葺きの簡易な小屋もありました。種川での鮭密猟や漁装置の破壊を24時間体制で監視する小屋です。同じ村上市にある荒川の方が三面川よりも川幅が広く鮭の遡上数が多いのですが、三面川側の村上が鮭の町と呼ばれるのは、種川の考案に海外技術人口孵化実験成功と鮭生産の歴史と関係が多分にあるのではないかと考えるようになりました。

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日本海での鮭漁は川を遡上をする前の鮭を引き網や1本釣りで昔は獲っていたのですが、現在では定置網、流し網、延縄漁法にと変わり小規模ながらも操業されています。また、北海道/東北各地の河川で過去におこなわれていた多種多様な鮭の漁法の大半が時代と共に姿を消しましたが、三面川では古典漁法のひとつである「居繰網漁」が現在でも秋に目にすることができます。居繰網漁は二雙の舟の間に網を張り、船を八の字にして川を下っていきます。鮭のアタリを感じると、八の字を閉じながら鮭を網から片方の舟に上げます。居繰網漁は鮭の通り道さえ見つければ必ず捕れると言われていた漁法だそうです。

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全長3-4メートル程の木舟と居繰り網。鮭を一度に数匹づつ絡め獲っていた網が長閑な秋の日差しに干されていました。利根川を遡上する鮭は全面禁漁であり、自宅から程近い一級河川である多摩川には遡上する魚の姿を見られない鮭の遡上とは無縁の南関東民の自分には、飛び跳ねる鮭が網で掬いあげられる瞬間を自分の目で見られたのは大きな収穫でした。

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三面川の右岸にある「三面川鮭産漁協第三ふ化場」で鮭お買い上げ(*´罒`*)。生ハラコも欲しかったのですが人気商品にて販売→即完売となったそうです。村上には鮭を頭からエラ、尾っぽ、内蔵までを用いて作る独自の鮭料理の伝統があり、鮭のめふん(塩辛)や氷頭酢漬け等の珍しいものも。鮭漁が解禁される10月末より12月の間は市内で沢山の鮭料理が楽しめます。こちらの話しはまた別の機会でも書きたいと思います。

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三面川の捕獲した雌鮭の腹を割いて取り出した卵と、精子と水を掻き混ぜて受精させたものを孵化槽へと静かに移していきます。三面川鮭産漁協では毎年1,000万粒もの採卵おこない、その8割程の飼育した稚魚を翌春に放流しているのだとか。雌鮭一匹で3,000粒と仮定すると3万匹もの鮭から採卵している計算となりようです...。

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30日程経過すると身体の原型がだいぶ出来上がり、卵の中に目の部分となる黒い箇所が卵膜を通して見えると発眼です。孵化場で卵を近くで目にすると血管のような線も見えて生き物らしく見えました。更に30日程を待つと孵化。卵嚢を付けた仔魚は泳ぐこともできず、天敵の少ない川の上流の水底でじっと身を潜めながら卵嚢の栄養で育ち、来たる大航海の備えながら出発の時期を待つことになります。お腹の卵嚢には1日3食x60日=180食分の栄養が詰まっているらしいです。

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川へ遡上する鮭お腹に見える赤紫の婚姻色を再現した「鯉のぼり」ならぬ、鮭の絵が描かてた吹流し「鮭のぼり」を発見。子供の立身出世を願う鯉のぼりも村上では鮭の豊漁を願う幟。撮った写真ではひっくり返って「ほっちゃれ」にも見えてしまいますが、風が一吹きするとバタバタと激しく音を立てて秋空に泳ぎ出していました。