中国戦闘機メーカー工場に併設の航空博物館「瀋陽航空博覧園」見学

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かねてより1度訪れてみたかった、遼寧省・瀋陽にある航空博物館「瀋陽航空博覧園」に行って参りました!  

瀋陽は中国の航空機生産の最重要拠点のひとつで、1938年設立の満州飛行機製造を前身とする瀋陽飛机工業集団があります。ここは「中国戦闘機の揺籃」とも呼ばれており、最近ではステルス戦闘機J31の開発している会社として名前を聞くことも。今回訪問した博物館はこの会社敷地内にありました。

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瀋陽市北部にある清朝二代皇帝ホタイジ(愛新覚羅皇太極)の陵墓「北陵公園」。その北東に隣接する瀋陽北陵航空基地はかつて満州帝国時代に奉天北飛行場と呼ばれた場所でした。瀋陽飛机工業集団はその飛行場西側一帯の大きな敷地を占めた元満州飛行機製造の跡地に建っています。

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この博物館の正式名称と正確な所在地が分からない状態で現地を訪れていました。瀋陽飛机工業集団の何処かの門番さんに聞けば教えてくれるだろうとぐらい考えていたのです。なので、敷地内に古い戦闘機が並んでいるのを見た時には、「ココだ! 間違えない」と確信して安心しました。瀋陽には仕事で来ていたので革靴(ソールも革)を履いていました。タクシーで運良く博物館近くに降ろして貰ったものの、凍結した路面を歩くと容易に滑ってしまい、正面玄関に到達するまでにはカナリ苦労でした。

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入場券を求め、最初に出迎えてくれたのはF-5戦闘機(中国名・殲-5)でした。ソ連のMiG-17を瀋陽飛机工業集団が1956年よりライセンス生産を開始したモデルで、ジェット戦闘機としての中国初の量産機にあたる航空機です。

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次に目にとまったのがCJ-6(中国名・初教六)。ソ連のYak-18をベースに中国が開発した機体で南昌飛机製造公司が製造しています。初等訓練機として1950年代より現在までも使用される実に息の長いモデルです。中国国産機で自分が初めて操縦させて貰った機体もこのタイプの初教六でした。

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そして屋外展示で最も大きい運-5(Y-5)。ソ連が1940年代に開発したアントノフ2をベースにし、中国が開発したモデルです。石家荘飛机工業製で全長12.7m、全幅18.1mの輸送機。この機体はまだ各地で実用されており、嘘か真か、北朝鮮が南進する時にはこの機体を低空で飛ばして越境し、戦闘員を空からばら撒く作戦機となっているのだとか。

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こう改めて間近で見ると実に大きく、とても自分が機長席に座って操縦して何度もクロスカントリーに出たとは思えません(もちろん、副操縦席でのスーパーアシスト付きでした)。 この機体の実物を再び目にし、手でコンコンと触れながら、飛行前確認の真似事ができただけで感無量でした。

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寒空の下で寒さに耐えながらの見学から切り上げ、正面玄関から見えていた本館へ向かいます。博物館への到着が遅かったので、館内を見学できるのは残り時間は僅かでした。

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この瀋陽飛机工業集団は重要な軍事生産工場だけあり、飾られている写真に写る著名な訪問者も毛沢東に鄧小平と並ではありません。軍服を着た男女3名の先客がロビーで談笑していて、変なトラブルに巻き込まれたくなかったので、ロビーエリアの写真は撮れませんでした。

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上の写真でパネル展示されている殲-8は、2001年に海南島付近で米軍偵察機EP-3Eと空中接触した戦闘機の説明で、設計/製造共にここ瀋陽。右手に海南島を中心にした飛行可能距離を示す地図を見ると、製造元として海南島事件を強く意識しているのだろうと思ってしまいました。

館内には瀋陽飛机工業集団の開発/製造の歴史が写真と文章で数多く展示されていましたが、外に飾られている実機の迫力には遠く及ばず。展示物の殆どを駆け足で通り過ごしてしまいました。

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そのなかで唯一気になったのが「満航」と頭に彫られた石柱。おそらく満州飛行機製造時代の敷地の境界線を示すモノだと思われます。満航で培われた技術は、戦後に日本航空整備株式会社を経て民間の日本航空へ。また中国では瀋陽飛机工業集団より成都飛机工業集団や貴州飛机工業集団等の軍事工場へと受け継がれていきました。

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屋外展示されている旧式の戦闘機群の向こうには、北陵航空基地の大きな格納庫が並んでいるのが見えています。博物館滞在中にジェットエンジンの轟音と共に離着陸する戦闘機の姿を密かに期待していましたが、そのような音は残念ながら聞こえず。

滞在時間1時間ほど。もっと時間を費やして、細かく見ていきたかったのですが閉館時間となってしまいました。今回最大の収穫は初教六、運五の実機にまた自分の手で触ることができたことでした。できることなら両機体とも持ち帰りたいぐらいです。そんな気持ちを抑えながら、夕陽を受ける静かな機体を再度目にしてから宿泊先へ戻りました。