ピーチ航空MM412(新千歳→仙台) 北の町々を上空より眺めながら

 

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数年ぶりに和製LCCピーチ航空に乗ってみました。双方の性格からかピーチ航空は自分と相性がとても悪く、ここ数年ハッキリとした意思を持って搭乗を避け続けてきました。具体的に何処がという内容を含んだものを以前に書いた記憶があるので細々とは挙げる気はなく、LCCを含む国内航空空会社で一番下だと自分では位置付けています。

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令和元年10月にバニラ航空が6年間の営業を終え、ピーチ航空に吸収合併というニュース流れ、ANA傘下LCCであるピーチ航空とJALの実質傘下LCCであるジェットスター・ジャパンの2強体制が更に盤石になりました。今回移動した区間の新千歳→仙台間は日本航空、全日空、アイベックス、エアドゥ、ピーチの5社が参入する人気路線で選択肢は豊富でしたが、気の迷いでピーチ航空の航空券を買ってしまいました。ピーチ航空が運航するのはエアバスA320で、横6席の少し狭い座席配置なのですが、搭乗した日は乗客が少ないのか横一列(前後列にも)他の乗客がおりませんでした。

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旧来のボーイング747-400型より新機材777-300ERへと昨年変更となった政府専用機機が、空港の敷地西側半分を占める千歳基地側へと向かう姿を目にしました。専用機の機体には日章旗をモチーフとしたデザインがあり、上から見ると尾翼から主翼に向かってVの字で赤いラインが入っています。その機体の後ろには遠く冠雪した樽前山が聳えていました。来年夏の家族旅行は北海道を現在考えており、比較的容易登れる樽前山も行程に入っていたりします。

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離陸してすぐに右手に陸上自衛隊・東千歳駐屯地を発見。日本帝国海軍が設置した第二/第三滑走路跡(第一滑走路は現千歳空港内)もハッキリと目視する事ができました。この駐屯地正門に書かれている、「我らここに励みて国やすらかなり」の標語を1度見てみたいと思っているのですが、いつも忘れてしまい今迄実行できていません。離陸直後からの大きな旋回を終えると、新千歳空港を右手に捉えて高度を上げながら南へと針路を向けていました。

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苫小牧の西港上空です。外洋から7キロも掘り込んで作った北日本の重要港湾で、主にパルプ、自動車、石油製品などの輸送に使用されています。地名である苫小牧(とまこまい)の最後の一文字・牧は"まき"や"ぼく"と読むことはあっても、"まい"と読ませることはない筈だと不思議に思っています。トマコマイと漢字で書いてと急に言われたら、木偏の枚を使った苫小枚と書いてしまいそうです。

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津軽海峡に向かうにつれて雲が広がってきました。雲間から見える大地は渡島半島の東端で、一瞬だけ活火山の恵山が姿を覗かせていました。函館山から延びる海岸線や、下北半島と思しき陸地が僅かに見えるも雲の動きが早く狙う写真は撮れず。日本海と太平洋を結ぶ津軽海峡には対馬暖流が流れており、日本海の檜山地方の方が太平洋側よりも暖かいという知識を自分の目で上空から確認してみたいと今回も叶わずでした。やはり函館-奥尻間フライトで左席を狙うしかないか...

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広大な寒々しいい山域が広がる奥羽山脈の八幡平。「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」等の数多くの詩が詠まれる岩手山(2038m)と併せて、著名な山岳風景が眼下に広がり独り興奮していました。岩手山は北側、東側、南側と場所を変えて仰ぎ見た事はあるも、山容を北から南にかけて連続した姿は格別!

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現在から1000年程前に奥州安倍氏と朝廷が争った前九年の役の決戦場となっ盛岡市北側をピンポイントで空撮に成功。盛岡には自分を可愛がってくれたお坊さんがいて、20代前半より数多く訪れているので上空からでも何処に何があるかがよく分かります。盛岡(もしくは岩手県)には100メートルを超える高層ビルは存在せず、盛岡駅周辺にチラホラ高層ビルを見るだけですが、中層マンションが市内の乱立しているので仙台と同じは言い過ぎですが、秋田青森山形などより大都市だとの印象を与える町です。ほっかむりをして、リヤカーで野菜運ぶおばちゃんも上空から目を皿のようにして探索しいぇみましたが見つけられませんでした。

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世界農業遺産に登録された大崎耕土を上空より撮影してみました。江合川と鳴瀬川の間に広がる大崎平野で鎌倉時代より継承されてきた水管理の仕組みが評価されて、2017年に国連食糧農業機関より後世に残すべき価値を有すると認められた場所です。あまり有名な話しではないかも知れませんが、コメの有名ブランド「ささにしき」や「ひとめぼれ」の産まれ故郷でもあったりします。

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塩釜市と七ヶ浜町です。多くの島が浮かぶ松島湾の奥に位置する塩釜湾は、東日本大震災の大津波で町ごと飲み込まれて甚大な被害を受けた海岸線の他の町と比べれば被害の少なかった地域です。仙石線までは津波はこないと言われていたものの、黒々とした津波は塩釜駅で1メートルを超える高さで市街地を襲っていったのでした。復興が進むも、惨状の爪痕が言葉を失うばかしとなった町も少なくありませんが、塩釜市は遠方より見る限りは無傷であるかに見えました。

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その後、右手方向に仙台港や閖上地区を目にしながらの最終アプローチでした。仙台湾には七北田川の河口より山元町に至るまでの29キロメートルにも及ぶコンクリート製の巨大防潮堤が再び築かれました。東日本大震災クラスの津波が再び襲ってきた時には乗り越えられてしまう7メートル程の高さですが、通常クラスの津波や高潮には充分有効であり、巨大津波に対しても人々が逃げるまでの時間を稼ぐ目的と意味があるそうです。

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着陸寸前の機体の左手には津波で集落全壊してしまった北釜が見えていたと思われます。仙台空港より貞山堀を挟んで海側に立つ下増田神社は大同年間(806-810)の創祀とも言われる古社で、昭和二十年に矢ノ目飛行場(仙台空港)内にあった航空神社のご神体を下増田神社に合祀したとの記録があり、興味を持ち震災前に1度訪れたことがありました。被災前にあった拝殿や樹木、周囲の寺社や民家などは全て大津波で流されてしまい、本殿と山神社だけが小高い丘の上に残っていました。この神社に再訪したのは昨年の事でした。

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北釜に残る津波の直撃を受けた鈴木家宅。およそ400人が暮らしていた集落に津波は容赦なく牙を剝き、残ったのは1軒の家と小さな神社のみという有り様。家主の鈴木氏は上海から引き揚げ者で名取市増田中学校で教鞭を取り、仙台空港の開港とあわせて駐車場事業を開始。その事業の収益で集落で一番大きいい家を建てた人物です。しかしながら、東日本大震災にてその自慢の家は全壊。ご本人から直接お話しを伺う機会があり、この家は津波の恐ろしさを後世に伝えるために震災遺構として残すと言われていました。

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仙台空港差し掛かる直前の機体右手には、名取北釜ファームの100棟を超えるビニールハウスが閖上地区まで続いているのが確認できました。砂質に合った小松菜やメロン、田中角栄が中国から持ち帰ったチンゲンを中心に栽培がなされていた地区でした。北釜を含めて、下増田は震災前よりビニールハウスが千棟と集まる地区でしたが皆流失、居住地移転と共に農業を辞める者もいるも、再起して写真の様にかつての姿を見せる場所もあります。

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海側より滑走路27に無事着陸。新千歳10時35分発→仙台空港11時50分着、直接距離にして335マイル(540キロ)の短い空の旅でしたが、白い雪に覆われた北海道や北奥羽より南に進むに連れて茶色と緑の大地へ変わっていく姿を見ることができました。また、北海道より東北まで多くの町の姿を上空より堪能することができた良いフライトでした。