あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ せんばさ

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「私さ〜、今日さ〜、公園にさ〜」と語尾に"さ〜"を付けて喋る癖のあるウチの娘。室町時代より「京に筑紫へ坂東さ」と言われる関東方言の特徴だと言われているらしいのですが、最近は娘の「さぁ〜」をあまりに頻発するので、「あんたがたどこさっ」で始まる蹴鞠歌を教えてみました。

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「あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ」と軽快な受け答えが面白い童歌で、語尾を上げる"さっ"のところで、片足をあげてボールを潜らせるボール遊びを自分もしました。その歌詞を書いてみると下のような感じで、最後の方の「煮てさ、焼いてさ、食ってさ」のテンポの良い3連続潜らせと、それに続く「ちょいとかぶせ」でボールを強く打ち、一回転してキャッチするのが見せ場です。

あんたがたどこさ 肥後さ
肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ せんばさ
せんば山には たぬきがおってさ
それを猟師が 鉄砲で撃ってさ
煮てさ 焼いてさ 食ってさ
それを木の葉で ちょいとかぶせ

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今年の梅雨時に熊本県へ1泊2日の出張に出かけました。蹴鞠歌の歌詞に出てくる熊本です。関東で生まれ育った自分は九州のことは疎く、肥後国=熊本と以前は理解しており、「あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ、」と続く場面で、肥後って答えているのに、肥後どこさと再び聞きなしているのが変だと漠然と思っていました。

江戸時代の肥後国には熊本藩を筆頭にして、高瀬藩、宇土藩、人吉藩、天草藩と5つの藩があったので、「肥後の国のどの藩からきた?」と聞いているのだと現在なら分かります。現代の会話にすると「どこの出身?」→「熊本県です」→「熊本県のどこ?」→「熊本市です」→「熊本市のどこ?」→「XXXです」といった感じでしょうか。

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郵便物を出しに訪れた熊本中央郵便局。郵便局の入り口前のポストの上には、合羽を纏った狸の像と賑やかな蛙の飾り。この飾りのことを郵便局の方に尋ねてみると、ここが童謡「あんたがたどこさ」の故郷で、道路を挟んだ熊本市電の洗馬橋駅にもタヌキの像が立っていると教わりました。

洗馬橋(せんばばし) と言うことは、熊本どこさへの回答 "せんば" は洗馬(せんば)だったのか!? と全く予想をしていなかった展開に。この童謡の舞台があるとすら考えていなかったので驚かされました。

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子狸の手を引いて、満月を眺めるかのようなポーズを取るのは「ふれあい親子狸」。肥後てまり唄顕彰会という団体が1992年に建てたのだとか。手毬をする狸でないのか? と子狸をよく見ると、お腹と同じく丸い鞠を抱えていました。「息子よ、蹴鞠会の栄光の星を目指すのだ」というテーマなのかも知れません。この狸たちは電車が近づいてくると、「あんたがたどこさ」のメロディーが聞こえてきて市電の接近を知らせてくれます。

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Wikipediaで「あんたがたどこさ」を調べてみると、関東方言の「さ〜」が付く歌詞より関東発祥との説があるのだとか。なんでも、戊辰戦争の時に埼玉県川越の仙波山に駐留した熊本出身の新政府軍兵士と、仙波山付近の子供の会話を題材にしたもので、仙波山(仙波東照宮)に祀られているタヌキ(徳川家康)討伐の話しだとか...。自分には川越説は無理矢理な感じがします。

  • 熊本どこさ? → 仙波さ、の流れは不自然。「せんば」が熊本の地名でないと流れに沿わない。
  • 隠したメッセージを後世に伝える歌は敗軍側が造るもの。もし熊本藩が倒幕の黒幕で、それを徳川側が告発する歌だとしても史実と合わない。

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では熊本説はと言うと、洗馬橋駅(赤丸位置)は熊本市中心部にあり、熊本城の掘りに添って流れる坪井川に架かる船場(せんば)橋の傍に位置します。元からある地形を活かして築城された熊本城の南端にあたる場所です。上の地図は1901年の熊本城周辺に地形情報を加えたもので、当時の船場橋から辺りを見回すと、西に花岡山、北に熊本城を見られたはずです。

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今日の船場橋。石柱に「船場橋」とあり柱頭には土俵入りするかの姿をしたタヌキの像。解説板によるとここは船場柳御門跡と呼ばれた場所で、山崎町方面を監視する関所門だったのだとか。川沿いには後に「船場山」と呼ばれる小高い土居も築かれていたと書かれていました。

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明治元年の船場橋の姿です。川の向こうに熊本城が見えています。写真左の緑がこんもりしている部分が「船場山」になるのでしょうか? 狸は人に最も近い野生動物なので、ちょっとした緑があれば見られます。「あんたがたどこさ」は江戸時代後期〜明治にできた歌らしいので、もしそうならば「あんたがたどこさ」はこの地を歌ったように見えます。

同郷と思われる人には国名(肥後)から答えずに、より詳細な地名を言うのが普通だとの考えると、「あんたがたどこさ、肥後さ」の会話は肥後国外での会話だと考えられますし、「もちろん(あ〜たと同じ)、肥後ばい」という意味合いの回答であれば肥後国内での会話としても通る気がします...。

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考えてもハッキリとした発祥地の答えは出てきませんでした。「あんたがたどこさ」は何かの元歌の上に現在の歌詞を被せたもの(替え歌)と感じますが、該当するような歌は浮かんでこず。船場橋上から熊本城を望むも、坪井川添いに建つビルによって見えないのと同様...。"船場山"には明治36年設立の旧熊本県県立女学校を前身とする熊本県立第一高等学校が立っているので、何かヒントがないかと向かってみます。

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その高校の正門への登り坂。熊本を襲った地震の影響か一部壊れてしまっていました。これであれば丘、もしくは小山と言ってよさそうで夕暮れ時には狸がひょっこりと出てきてもおかしくない雰囲気です。ただし、熊本の市街地で猟師が狸狩りに発砲するかは大いに疑問ですし、そもそも、狸を獲るのに鉄砲は使わないのではとの疑念も残ります。

狸は調理が結構難しいもので、煮るだけ、焼いているだけでは食べにくいと知っていてか、「煮てさ 焼いてさ 食ってさ」と歌にも煮て→焼くと2工程踏んで調理する様子がサラリと盛り込まれていたりします。自分にはこのあたりも興味を惹かれる歌詞ですが、出張中の短い時間での調査はこのあたりで終了にしました。

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日本人であれば誰もが知る「あんたがたどこさ」はどの様にして全国区な歌となったのか? 特殊1拍子の作曲者と、絶妙な曖昧さを残した歌詞を用意した作詞者は誰なのか?  「それを木の葉で ちょいとかぶせ」という最後の言葉は、「おまえには解らないだろう?」と挑戦状を叩き付けられているかのようです。

もう既に100年は歌われ続けている「あんたがたどこさ」。肥後国熊本せんばに住んでいたであろう作詞作曲者の狸たちに「あんたがたどこさ」と尋ねたくなりました。