奈良県川上村柏木集落・朝日館、大峰山麓に残る明治期からの行者宿

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家族4人で奈良県に行って参りました。奈良盆地から南にひと山超えて、奈良の古人が憧れた轟々たる吉野川を拝みながら母親の故郷である吉野町へ。諸々寄り道をした後に国道169号線をズンズン南下して、今回の宿のある柏木集落に到着しました。柏木は大峰山修行の登り口にあたる麓の村で、木造建築の宿が道を挟んで向かい立っているのが見えてきました。

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大峯山脈と台高山脈に挟まれた柏木集落ある川上村は、村内の95パーセントが山林に覆われた山間部の人口1,000人程の村です。コンビニエンスストアもスーパーもなく、奈良県で初めて限界集落となりました。奈良県東南部の吉野川の源流部にあり、全国的に有名な吉野杉の産地、吉野林業の中心地となっています。ここ柏木にはかつては10軒の宿が並び、修験道の根本道場である大峯山を目指す人々や、東熊野街道を行き交う人々で賑わいを見せていました。

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この日に求めた宿は奈良の山間部を縫うように走る旧東熊野街道に建てられた「朝日館」さん。明治14年11年には行者宿として営業を既に営んでおり、大正期7年に改築した建物が綺麗に維持された状態で使用されています。車を駐車場に入れると、いつもの通りに子供達が我先にと宿の玄関に突入...。

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玄関飾られているツキノワは、地元で捕られた熊とのこと。奈良県/和歌山県の月の輪熊は他地域から孤立した熊の生息域で、100-300頭程が現在でもいると見られています。女将さんの挨拶を受けて部屋までの案内をお願いしました。実は、家族で宿泊した1月ほど前にも電話して泊まろうとした事があり、その時は何か工事(確か、水道工事)が宿であり、宿泊ができない日だったのを丁寧なお詫びを受けたのが頭の隅に残っていました。

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急な階段を登ると、手入れの行き届いた苔むす中庭が目の前に広がります。綺麗に磨かれた艶のある古色の床が実に見事一言。階段の手摺もピカピカです。正面のガラスは近付くと揺らいでいる箇所のある大正硝子で、替えの効かない貴重なモノです。「お泊まりのお部屋はどこだ〜」とドタバタしている兄妹の騒ぎを前にして、ガシャンとやるのではないかと親としては不安が募るばかしでした。

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朝日館は料理旅館でもあり、行者宿でもあるので、2階の階段側にはひと目見た時には"講"の板だと思いました。よく見ると戦後直後にあたる昭和26年に、修験道の開祖・役小角が発見した不動窟を大阪三郷総本部開山講が鉄柵を設けたと書かてていました。大阪三郷は江戸時代の大阪城下の3町(北組、南組、天満組)指し、この組織は現在でも大峯山にて活動をしているそうです。

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大迫ダムが出来るまでは国道169号線だっった集落を貫く通りに面した廊下、家の隣りまで迫る斜面に設けられた中庭に面した廊下。この手の宿には廊下の一部が物置と化しているところも多いのですが、宿の主の性格を反映するかのようにピシッと緊張を感じさせる空間となっていました。女将さんが日々雑巾がけをしているのだとか。

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自分達が宿泊した部屋の様子です。障子を開けると硝子越しに揺らぐ中庭が目に飛び込んでくる2間続きの良い部屋でした。宿の女将さんに自分の祖母の名前を出したところ、案の定顔見知りでした。祖母はちょっとした地域の有名人だったので、自分の密かな自慢だったのを思い出しました。

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朝日館の名物・ 柚子羊羹です。地元の川上村で採れた柚子を搾り、うずら豆を炊いて裏漉しコトコト竈で焦がさないように2時間付きっきりで煮て拵えたものです。紅色は食紅で色付けしていると聞きました。一緒に頂いたお茶は自家栽培とのこと。

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お風呂は1階にある高野槙の湯船で、夕食を済ませて部屋に戻ると既に布団が用意されていました。先に部屋に戻った子供達により、自宅から持参した人形達の寝床となってしまっていました。部屋は襖で区切られているだけで鍵は勿論ありませんし、防音ではなく襖向こうの気配を感じられるものです。夜になってから4人組と見られる宿泊客が到着したのでしたが、登山客だったらしく夜明け前にゴソゴソしながら慌ただしく出発していきました。

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我が家で一番早く寝て、一番遅く起きるのは娘。一番遅く寝て、一番早く起きるのは自分と決まっています。寝ている家族を部屋に残して、朝焼けを受ける日本庭園を見たり、この日の行き先を地図で確認したりして過ごしていました。現在国内で使われている大手3社が主に製造する板ガラスは真っ平らで、透明度の高い素晴らしいガラスです。それと比べると朝日館の大正硝子は明治から大正時代に製造された歪みのあるモノで、ガラス越しに見ると風景が少し歪んで見えてしまう愛嬌のあるモノ。これは職人が自分の息を用いてガラスを吹き伸ばしていたからで、その大正硝子と朝の冷たい風に揺れる緑の景色は良く似合うと思いました。

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行者宿ならば、川で行水&雑魚寝が相場だろうと思うも、それは現在では山上での話し。出羽三山であろうが富士山であろうが、快適な巡礼宿が軒を並べているのが現状です。明治政府が明治5年(1872)に修験道廃止令を出した時には、この柏木集落もお大騒ぎだっただろうと容易に推測ができ、廃止令後に開業した朝日館も紆余曲折だったのではないかと考えました。この辺りの話しを女将さん尋ねて見たのですが、昔過ぎて分からないと回答でした。

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日本家屋のなかの応接間(洋間)にテーブルと椅子で翌朝頂いた朝食です。そう云えば自分の吉野町の祖父母宅も応接間は洋間だったので、もしすると応接間を洋風にするのが流行した時期があるのかも知れないと思いました。料理の方は現在でも竈を使ってお湯を沸かし、ご飯を炊いて作っていると女将さんは言われていました。お願いして台所にお邪魔させて頂き、現役の竈を拝見させていただけました。

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散歩ついでに柏木集落からの大峯山登山口を撮影してみました。熊野側にあたる、ここから大峯山に登り、洞川温泉側に下っていく事を「順峰」、反対に吉野側の洞川温泉から登り始め、柏木集落側に下る順路を「逆峰もしくは逆の入り」と呼び習わしていました。洞川温泉に下りずに山沿いに北に歩き、順峰の最終地点・吉野川の麓にある"柳の渡し"まで大峯奥駈道を辿ることもできます。自分の母親が小さい頃には、修験道者が山から下りて来るのを何度も見たことがあると聞いた事があります。

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柏木集落の眺めです。朝日館と書かれた建物も見えています。華美な装飾や最新設備にも目を見張ることも多い世ですが、毎日せっせと雑巾がけをし、ガスでなく手間のかかる薪を燃やして竈で調理する姿には学ぶ事が多いと感じた奥吉野での一夜でした。2018年に自分達が滞在した宿のなかでは、妻はこの朝日館が最も良かったと言っています。