打ち捨てられ、朽ちるのを待つ陶製爆弾の破片が山と重なる川岸

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埼玉県越谷市に行って参りました。1度目は家族と一緒に、2度目は自分独りで"とある場所"を訪れたのでした。どうも、その場所は盗難防止の懸念があるからか、場所の詳細の明記を避けるのがマナーとなっているらしく、自分も凡その場所を表記するに留める事にして話しを進めたいと思います。探せば容易に見つかる場所です。

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明治四十三年(1910)夏に東日本を襲った台風は、明治以降で最大の水害被害を広い地域にもたらしました。東京下町は言うに及ばず、埼玉県平野部全域にもあたる広域に甚大な被害を与えたのでした。東京下町で元の地面が見えたのは12月だったとも云われた程でした。この災害を契機として明治政府は全国の主要河川への緊急な対策が求められ、荒川にも「荒川改修計画」が立てられました。

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さいたま市と川越市の境にあたる地域には、本来の荒川を直線化した跡が残る箇所があり、さいたま市を西側より撮影した上の写真中央近くになります。左右に流れる川が現在の荒川本流で、よく見ると荒川の手前に蛇行する細い川(荒川支流)も映っています。この支流が今回お邪魔したのでした。ひとつ上の空中写真90度回転させた地図です。蛇行しながら流れるのが瓶沼川で、元の荒川の流路の一部でした。この辺りは現在ヘラブナ釣りを楽しむ愛好家の姿を見かける長閑な場所でして、この荒川支流である瓶沼川流域は洪水時の調節池としての役割を持っており...

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令和元年秋に襲った「東日本大水害」では、周囲の田畑と共に広範囲の場所が実際に水没。瓶沼からスグ近くに架かる治水橋には水位観測所となっており、当時は最大13メートルを超える(氾濫危険水位12.6メートル)までに達していました。

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此方が目的地。無数の割れた陶器が川底に放棄されている場所です。雨季には水没してしまうも、水が少なくなる冬場では中洲ができて渡れるほどになり、陶器製の手榴弾や地雷の弾筒が山となっている不気味な姿を現すのでした。その姿は遠目で見ると縄文時代の貝塚のようにも見えました。

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これらの陶器製品は第二次世界大戦下にて、陸軍造兵廠川越製造所の下請け工場であった浅野財閥傘下の浅野カートリット(現日本カートリット)社が南古谷村(現川越市)に設立した十町歩もの広大な敷地を持つ工場でした。浅野カートリット社は当初は建築ダイナマイトを製造する工場だったのですが、時代の趨勢により手榴弾や地雷を製造しておりました。

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本来は殺傷率の高い金属製の弾筒を用いるべきところですが、昭和十八年(1943)には諸外国同様に、戦争継続の為に資源の自立を求めて金属類回収令が施行。金属の代用材として多くのものに陶器が用いられたのでした。初めての陶製爆弾は相模海軍工廠の依頼により瀬栄陶器守山工場で陶器が焼かれました。浅野カートリットには有田(上写真)や信楽より送られてきた物が多く使用されたと云われています。

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この陶器に火薬を詰め、起爆用信管を詰めたものが俗に云われる「陶製爆弾」となったのでした。終戦直後に破棄命令が出され、工場脇を流れる瓶沼川に大量破棄となったのが現在も残る陶器の山。陶器製の手榴弾はロシアでも同時期に製造されたらしいのですが、この様なものを発想して実現化できるのは凄いなと思ってしまいます。フタを取って、マッチ部分を擦って着火し、目標物に向かって投げ付けると説明があるのですが若干疑問に思えてなりません。

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通称「陶製爆弾」と呼ばれていますが、量産前に軍にて各種実験がなされたのでしょうが記録は残っていないらしく、鉄製の弾筒と比較してどの程度の破壊力が見込まれたのか等を含めて全て不明。それ故に、本当は瀬戸内海に浮かぶ大久野島で秘密裏に製造されていた化学兵器を注ぎ入れて、目標物である敵戦車や敵兵に投げ付ける薬品入り容器だったのではないかと邪推してしまいます。火薬は川に流せば無くなるも、金属でできた起爆装置は必ず何処かに流れ着き、発見されるはずですが現存するものは殆ど不思議です。

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お盆状の破片のようなモノは地雷用の陶器破片。金属製であれば金属探知機に反応しそうですが、土塊での陶器は反応しないでしょうから陶製地雷は厄介なシロモノでしょう。外地、沖縄を含む本土防衛でも地雷で居住できなくなった地域や地雷撤去が問題化したのを聞いた事がないので、あまり実践では用いられなかったのでしょうか...。

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手榴弾の弾筒で球状を維持したものがあれば一輪差しに良いかと思ったのですが、表層に出ているものを見た限りでは状態の良いものは発見できませんでした。地元の人間含め、軍事品愛好家や焼物好き、転売目的の人達と多くの人間が既に持ち去った後のようです。戦後より70年以上もの間、春夏の増水時には川面に沈み、秋冬の渇水期には雨ざらしで外気に晒されを繰り返す劣悪な状態で、戦前に作られた大量の"陶製爆弾"は時と共に埋もれていくだけとなっていました。