うどんのない香川は只の四国!? うどんを学びにアチコチ讃岐見聞録

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旧香川県である「うどん県」に家族4人で行って参りました。小麦の収穫を終えた梅雨明けの1日、より詳細に言うと夏至から数えて十一日目の半夏生(はんげしょう)。うどん県の建国記念日を祝って全県民がうどんを食べる祝日・県民デーがあります(嘘)。その「うどんの日」である7月2日から1月程経った頃の暑い日に瀬戸大橋を渡ったのでした。注: 半夏生は田植えの労をねぎらい、うどんを振る舞う習慣が全国各地にあるのですが、うどん県だけは小麦の収穫祭となっているとか...。 すみません、今回は説明に大嘘とかなり偏った表記がありますが、うどん愛故なので大目に見てくださいm(_ _)m。

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副県知事・要潤氏が2011年に高らかに「うどん県」と新しい県名を発表してから8年が経つも、うどん県で現在生産されている「うどん」の9割以上はオーストラリア産から輸入している「オーストラリア・スタンダード・ホワイト」こと通称ASWでできており、うどん県で収穫できる地粉は僅か5パーセント程しかありません。それを名物として宣伝するのはどうなのか、うどん県はオーストラリアの属国なのかというモヤモヤ状態が実は自分のなかで続いていたのですが、地粉「さぬきのゆめ」の今年の収穫が例年の2倍近い大豊作となり、空前絶後の地粉熱に浮かれるうどん県を体感すべしというのが今回の訪讃の理由でした。

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自分が香川県に初めて訪れたのは現在から30年前の1988年(昭和63年)。両親と弟と一緒の家族旅行にて母方の親類を坂出に尋ねるのが目的でした。瀬戸大橋は岡山県倉敷市と香川県坂出市を結ぶ全長10キロを越す海峡大橋で、3つある本州四国連絡橋のうち一番最初にできたものです。上の写真は1988年に自分が撮影したもので、走行する車に往時の雰囲気が...。

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香川県は日本一小さな県である小国であるが故に徳島(1873-1875)、愛媛(1876-1888)等の隣国の支配を受けては独立を果たす歴史を繰り返してきました。そのためか自治への拘りが強く、小麦の起源は讃岐だと主張し、香川県の真の独立を願う原理うどん主義者が操る香川県は全国うどん化作戦を開始。うどん奴隷解放宣言とも言われる足踏み禁止条例を1968年に金子県知事に発令させ(嘘)、うどんの大量生産を妨げていた悪癖・足踏みを禁止したのでした。そして500軒あった製麺所を整理し、製麺所から送られて来るうどんを温めるだけのなんちゃって饂飩屋3,000軒に切磋琢磨しなくては閉店あるのみと激を飛ばしたのです。それ迄は宇高連絡船の「連絡船うどん」が県外の人間が食べられる最も県境に位置する讃岐うどんだったものを、大阪万博(1970年)の時に県知事が現地に直接乗り込んでの「讃岐うどん」の売り込みをおこない、関西圏に安さを売りとする讃岐うどん店を開き胃袋から支配する作戦を展開したのでした。

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瀬戸大橋開通を祝して岡山/香川の両岸で開催された「瀬戸大橋架橋記念博覧会」。香川県の持つ原子力うどん工場の排気熱で運転されている地下工場加ト吉(現テーブルマーク)にて70年代に開発された「冷凍讃岐うどん」は大ヒットを成し遂げ、県外うどん侵略の先鋒となりました。奴隷解放宣言から20年を経ていた県内のうどん店には、弱肉強食の時代を経て職人技にて名店と呼ばれる竹清や田村等の店も既に育っており、瀬戸大橋の開通に伴い多くの観光客が訪れては「讃岐うどんは違う...」と唸らせる実力が伴っていたのです。

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平成元年には「ゲリラうどん通ごっこ」の連載が始まり、翌々年には村上春樹氏の「人は何故うどんを食べるのか?」が発表。うどん県内のうどん店巡りをしに香川県を訪れるのが流行となり、各種メディアが盛んに讃岐うどんの宣伝をしたのでした。山奥の煙突の煙を目印に製麺所を探し出し、うどんの茹で上がる間に自分でネギを畑から自ら取る事に快楽を感じるよう県外一般民をうどん脳と化すのに成功。讃岐うどん求める人々は客を拒んでいるかのようなお店にまで殺到する事となり、車と人の行列による観光公害が発生するまでに至ったのでした。「はなまるうどん」が東京渋谷に100円うどんで関東に参入や、業界最大手となった丸亀製麺の全国チェーン展開、一福のハワイ・グアム出店と海外にまで展開するまでに成長を遂げるまでになりました。

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四国の北東部に位置する「うどん県」の讃岐平野には大河はなく、瀬戸内海気候による日照時間の長さと少雨も併せて、現在でも毎年の様に渇水が騒がれ続ける「高松砂漠」と呼ばれる土地です。うどんが自らの生命線と知るうどん県は善通寺の主力部隊に周辺県への威嚇を命じ、徳島より水を奪い、愛媛/徳島から電気を盗み、出汁に欠かせないイリコ/醤油を瀬戸内海の島々より貢がせてウドンを作り続けております。

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2006年にはうどんブームに乗じて、丸亀出身の本広克行監督による映画「UDON」を製作。更なる全国うどん脳化を目指したものの、うどん愛溢れ過ぎる作品だったのだが他県の人間には余り受け入れられなかったもよう(興行収入13.6億円)で失敗。然しながらも、うどんブームは収まりを見せず、それから5年後の2011年には上述の通りに香川県より県名を中央政府のお咎めなしに「うどん県」へ改名する事に見事成功したのでした(๑•̀ •́)و✧  この日は全うどん県民が、嬉しさに泣きに泣いた日として記憶されています。

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うどん県のそんな罠とはつゆ知らずに、うどん県の創り出した全国うどん化計画にまんまとハマった我が家も、「Hey! Say! レンタカー、ローカルレンタカー」との宣伝リズムに乗せられて、うどん県の会社だと信じていた平成レンタカー(本社岡山県倉敷市)でうどんコミコミプランでクルマを借りて、うどん屋巡りをしたのでした。うどん県の公式情報によると、うどん県1万人あたりのそば・うどん店は5.6店と2位の山梨県(4.5店)、群馬県(4.3店)を大きく突き放した断トツ一位であり、全国平均2.3店/万人2.4倍だと書かれています。上の写真は超人気店・山越にて2年前に撮影。

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善通寺から移転された現在の清水屋さんから見えるのが、うどん県の首都うどん市(高松市)で今回訪れた讃岐うどん職人超短期養成所・中野うどん学校です。丁寧なうどんを打たれる事で有名なハンチング帽を被った大将は、県立うどん職人育成所「さぬきうどん科」の卒業生。うどん学校に足を踏み入れる前に先ずはと清水屋さんで食事をしました。

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中野うどん学校はなんと1時間でうどん打ちを学べる観光施設です。母体は琴平の100年を越す老舗土産店「中野屋」さん。店内には多くの芸能人を初めよとする有名人も訪れており、左から江戸川コナン、鈴木園子、毛利蘭、毛利小五郎がうどんを踏む姿も...。もしこれが絵でなく防犯ライブライブカメラであったなら、何を置いても一目散に四国を脱出しなくてはならない恐ろしい画像です。注:コナン君達が訪れたのは琴平店であり、高松店ではありません。また、伝説とまで言われた「ひやあつ」の祖・宮武も彼らは訪れていますが殺人事件が発生したとニュースにはなっておりませんデス(本当)。

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手を洗ってから、学校オリジナルのエプロンを着て準備万端で授業に臨みます。小麦粉、塩、水の分量をそれぞれ計って、混ぜ合わる作業から開始かと思いきやブロック状のうどん玉からのスタート。寝かせが必要な現代小麦粉なので即打ちはない&時間的制限によりしょうがないのですが、「土三寒六常五杯」等の小麦粉からどの様にしてブロック状にまでなったかの前振りの話しぐらい欲しかったと思う...。

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打ち粉まで既に振られている10センチx20センチ程のうどんブロック(種)。手のひらをバッテンに交差して、そこに娘は体を浮かしながら20キロ程の全体重を乗せていましたが思うようには潰れずで親の手助けが必要でした。自分の勝手な推測ですが、中野うどんの此のうどん種は機械打ちだと感じました。うどんを伸ばす時に硬さを感じたので水分が少ないと自分には感じられたものの、妻は違いはないとの見解でした。

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麺棒を用いて、うどん玉を広げながら厚さ3ミリ程度までにしていきます。うどんは茹でると太るものなので、団子汁にならないようにするには薄さを求める必要があります。麺棒は前後方向だけに転がすのではなく、斜め(横方向)にも力を入れる感じで広げると軽々と広げることができます。息子の背中に謎の手形があるのはどうしてなのか...。

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うどんの足踏みは讃岐うどん憲法に接触するのではないかと心配になるところですが、中野うどん学校はうどん県特別戦略特区(高松と琴平)にあるため例外的に足踏み禁止条例の適応除外許可を得ているとの事です(全て嘘)。なので、安心して足踏み作業をする事ができるのです。学校が用意したタンバリンが参加者全員に配られ、マツケンサンバやきよしのズンドコ節などの軽快な音楽と共にビニールに入ったうどん玉をガシガシ踏んでいきます。昔は大人の男性でも生地の弾力強さに挫けそうになるものでしたが、最近は小麦粉の改良により子供達でも飛び跳ねれば何とかなる感じです。

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日本47都道府県のうち香川県を除く46都道府県は「食べ物を足で踏むことは食べ物を粗末に扱うことである」というのが常識なのですが、唯一うどん県のみは「うどんは足で踏めば踏むほどに美味くなる」というウドン教の教理を頑なに信じています。足踏み工程はうどん生地の鍛錬であり、この工程こそが噛みごたえのある食感を作りだすと疑わず、皇室に献上する讃岐うどん以外は踏むべしと足踏み禁止後も思い描いているのです。彼らが追い求める究極のうどんはコシが強すぎて自立するうどんであり、全うどん県民が一生に一度は食べてみたいと願い続けているのです。

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茹でたあとを考えて横幅も3-4ミリ程に切るのが理想なのですが、息子には難しいようでした。打ち粉を土俵上の力士の様に豪快に撒いて、包丁とアコーディオンの様に畳んだうどん生地が引っ付かない様にして包丁を入れます。ここでスパッと切れると茹でた時に鼓形の食感の良い麺ができるのですが、菜切ステンレス包丁では余計に子供には難しかったかもしれません。

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お椀に切った麺を入れるのですが、此処で重要な一手間があります。それは何かと言いますと、打ち粉を充分に叩き落とす事です。うどん県はうどん茹で汁による環境汚染が実に深刻で、浄化槽の設置義務付けが大型製麺所だけでなく全てのうどん店に検討がなされているぐらいです(本当)。高度成長期に瀬戸内海で発生した赤潮の原因はうどん排水だと近年断定されたばかしであり、全うどん県民がうどんを食べ続けられる様にと、うどん県知事が県民に協力を求め深々と頭を下げた姿が思い出されます(嘘)。

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讃岐うどんと言うよりはニップン「竹」で作った吉田のうどんの様な麺になりました(o´艸`)。香川県内で最もうどん店が多いのは「まんのう町」で1万人あたり11軒ですが、富士吉田市は12軒と市町村単位では世界最高値を出す町のうどんです。我が家は今年参加店舗数51軒の「吉田のうどんスタンプラリー」に積極参加をしていたので、うどん県で無意識にも吉田うどんを拵えてしまったようです。この教室にいるのは教師役を除くと非うどん県民なので大丈夫なはずですが、吉田のうどんをうどん県で食べる背徳感と言ったら...。

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うどん県の各家庭にはうどんの出汁が出てくる蛇口が常備されており、上水普及率(99.4%)を上回る100%の家庭に此の蛇口が備え付けられているのです。レバーを右に捻れば水道水が、左に捻れば出汁がでるハイブリッド仕様が一般的。徳島県ではスダチ汁が、愛媛県では蜜柑汁、高知県ではカツオのたたきが蛇口から同様に流れでるのは有名な話しです。この仕様の違いこそが統一四国州の発足を阻み、「四国はひとつ、ひとつ」と言われる元凶となっているのです。うどんの横に、スダチを添えたカツオのたたき。食後のデザートとして甘い蜜柑という四国定食も悪くはないと思うのですが現実味は薄いようです。

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グツグツ煮立つ鍋の水面にうどんが浮き上がってから5分を待って、4人それぞれのお椀に装いました。うどん玉を丼に置き、湯気立つ出し汁をおたまで回すようにかけます。うどんは蕎麦と違い原材料も風味はあまり重視せず、食感をもって味の優越をつける食べ物です。そのため、出来たての状態が最も美味であり、鍋からあげてスグに食べるのが美味しいのです(*´ч`*)。いただきます。

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中野うどん学校より麺棒付きの卒業証書を頂きました。我が家では時間があるときには机に製パン用のパンマットシートを敷いてウドン打ちをしているので、子供達にとってはうどん打ちは斬新な体験ではなかったのが残念なところですが、(讃岐うどん憲法を遵守して)自宅では普段おこなわない足踏みが楽しくできたのが良かったと感じました。この日は清水屋さん→中野うどん学校→うぶしなと昼食に3軒を巡りました。

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香川県の特産物は長く小豆島で生産される醤油でした。現在でも島内最大手のマルキンだけで3%のシェアを持つほどです。また晴天日が多く、降雨の少ない瀬戸内海気候を活かして香川県の沿岸部では大規模な塩田が設けられ、明治中期より70年ちかく日本一の製塩王国と呼ばれていました。過去の製塩の栄華と高松砂漠と呼ばれて稲作に不向きな事(=小麦粉大生産地となるらしい)に平安時代の空海の大法力を掛け合わせて、讃岐うどんは神々の時代より讃岐にて、現在のカタチで食べられていたことが現在は定説となっているようです。

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香川県は小麦の生産に力をいれていた県ではなく、あくまで小麦は米→大麦に次ぐ3番目の地位の農作物でした。配給制で米/麦が同額だった時には皆挙って米を選んだ事よりも香川県民も他の県民同様に白米信仰する民族です。広島のお好み焼き、大阪のたこ焼き、東京のもんじゃ焼き等と同様に戦後食糧難の時代に海外よりの貴重な援助物資である外麦が "讃岐うどん"を生むキッカケであったと思っています。勿論うどんを打つ伝統が香川にあった上に築かれたもので、奴隷解放令による副産物・うどん専門店の登場、万博や瀬戸大橋開通等による県外客到来などによる外的要因も重なり現在の"讃岐うどん"は20世紀後半になって形成されたと考えています。

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オーストラリアから7,000キロを越える船旅をしてきた小麦粉は坂出/林田港の巨大サイロに保管された後に、港周辺にある製粉会社で製粉されてうどん粉となります。地粉と呼ばれる農林XX号のコードネーム付く国産小麦はコシの出にくい粉でしたが、アメリカ/オーストラリアから来る粉はコシが出し易く、此処に讃岐うどんの最大の特徴となる"強いコシ"の秘密があったりします。アメリカ国籍と取得条件と同じく、讃岐うどんは出生地主義を採用しているのでオーストラリア原産であろうと、国産地粉であろうとも、食べに来る人達のために香川県で打たれたうどんが讃岐うどんなのです。

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ここまで長々と讃岐うどんの事を捏ねくり廻しましたが、現在の讃岐うどんの成り立ちはさておき、うどん県民がうどんに寄せる気持ちは本物だと感じる事が多いです。日々数え切れない程のうどんが熱心に打たれ、人々が1杯のうどんを求めて行列を成す姿は讃岐に流された崇徳上皇の怨念なのかと疑う程です。たぶん、皆うどんになりたいのでしょう。日本全国どの場所にも故郷の味があるものですが、うどん県の讃岐うどんは生産者も消費者も想い入れが共に強く、他県の自分にも何か特別なものに思えてしまう暖かな食べ物です。

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