バニラエアJW954(函館→成田)水辺に注目しながらのフライト

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北海道函館から成田空港まで、いまは消滅してしまった(ピーチに吸収合併された)バニラエアに乗ったときの話しです。バニラエアは他LCC社と比較して中距離リゾート路線に特化した方針を持っていましたが、短距離路線となる函館-成田にも平成29年2月に運航開始。新幹線が北海道とつながり、北の玄関口として函館に注目が集まっていた時でした。最終的には平成31年3月に路線撤退となってしまうのですが、770日の間に20万人もの乗客を運び、その平均搭乗率は77%とJAL/ANAでは合格ラインとなる結果を出していました。

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バニラエアはANAとマレーシアのエアアジア社が平成23年に合同で立ち上げたエアアジア・ジャパン(初代)が前身で、創立2年にして両社の性格の不一致が原因となり運航停止。エアアジア・ジャパンはANAがリゾート路線特化型のLCC・バニラエアとして運航再開になんとか至るも、令和元年10月にはピーチ航空との統合によりバニラエアは消滅と波乱万丈な経緯辿った航空会社でした。国内で現在飛んでいるLCC(格安航空会社)4社は全て国内外の大手航空会社の子会社である、ジェットスター、ピーチ航空、春秋航空日本、エアアジア・ジャパンの4社のみとなっています。

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海上には函館山、手前には和人の最初の入植地と呼ばれる渡島半島南端の海岸線にあった「道南十二舘」のひとつ志海苔跡地。空港の敷地中央を流れる細い志海苔川頼った和人の生活空間は奥行僅か200メートル。上空から見るとその空間が本当に小さなものに見えました。飛鳥時代、斉明天皇の命を受けて阿倍比羅夫が遠征を複数回おこなっている等、律令の外の地である現在の北海道は古くより和人に知られる土地でしたが、和人が対馬海峡を越えて、渡島半島に定住し始めたのは鎌倉時代あたりではないかと言われています。

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成田行きの便に搭乗する前に志海苔跡地を訪れて、隣接する函館空港から離陸する機体を見ました。同じ倍率で写真を撮っているはずですが、地上と上空ではこうも違うのかと思ってしまいます。元朝によるアムール川/樺太侵攻を発端とする民族移動による"混交"でカタチ作られた(諸説あり)アイヌ民族が、道南地区達したのも和人と同じく鎌倉時代で、康正三年(1457)には和人よりアイヌ三大蜂起と呼ばれるコシャマインの戦いがここ志海苔で始まったのでした。"東北"は奈良京都の朝廷に五戦五敗とよく言われますが、アイヌはコマシャインンの戦いを含め三大蜂起で三戦三敗を喫し、大きく力を落とし北上する和人に呑み込まれていく歴史を辿りました。

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滑走路30を函館市街地のある北西に向かって離陸。特徴的な地形を持つ函館山を眼下にしながら、高度をドンドン上げていきました。搭乗したJW954便は函館空港を午後5時35分発→成田空港7時10分の飛行時間1時間35分の空の旅です。座席が黒色ですので、初代エアアジアの機体のようで、黒い座席に白い内壁は北九州に拠点を置く航空会社スターフライヤーの内装にも見えます。

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青森県・津軽半島北部にある十三湖。天然の良港であった此の地は、平安時代には北方民族との交易で栄えた十三湊があった場所です。現在のアイヌの人達にもつながるであろう蝦夷が交易の相手で、この地域は対馬、薩摩と併せて長く"国境"である土地でした。岩木川より流れる土砂の堆積により当時は内海だった十三湖の水深が浅くなり、港としての機能低下により、その役割を次第に野辺地等の他の湊へと譲ることになってい気、現在は栄えた痕跡すら見当たらない風景だけが広がっています。

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同じく日本海に面する太古は海だった八郎潟です。本土とは海で隔たれた島であった男鹿半島が、十三湖と同じく土砂により本土と陸続きとなった場所です。此方は戦後の食糧増産や失業対策、サンフランシスコ条約調印に難色を示したオランダへの"戦後賠償"を兼ねた国家プロジェクト・八郎潟干拓事業がなされました。国内で2番目に大きかった湖の姿は十三湖と比べても大きく変容しています。

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夕食代わりにと有料の機内メニューから「たまごサンドとオニオンスープ」と「バニラエア特性クリームパン」をお願いしてみました。バニラエアに乗る度にクリームパンが好評だ、好評だと聞かされ続けていたので気になっていたのですが、クリームパンだけを買い求めるのはこれ迄気が引けていたのでした。成田空港近くの人気のパン屋が作っているのかと製造元を確認すると、機内食を作っている東京フライトキッチン(TFK)でした...。

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早朝と夕暮れ時は空が一段と美しく見える時間帯です。太陽の周囲を丸く虹が取り囲む「日暈 」や、雲の畝の陰影が昼間よりもハッキリと見える雲上の素晴らしい景色が楽しめました。上の写真でも分かるかと思いますが、座席横の外窓がキタナイ状態でした。機内からはどうする事もできずで、写真を撮ろうとするとピントが窓に合ってしまう厄介ものです。

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着陸に向けて高度を下げていき、雲の下に出ると水戸市の南にある涸沼上空。このツチノコ形の湖も海水面が上昇する縄文海進により海だったのですが、海の後退と上流よりの土砂により現在のうおうな湖となりました。現在でも満潮時には海水が涸沼川を逆流し汽水湖となるのだとかで大きなしじみが名物となっています。自分の土地も少し映ってる(*´艸`*)

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紫峰・筑波山を遠くに写した霞ヶ浦(上)と2千頭のサラブレッドがいるJRA美浦トレーニングセンター(下)。霞ヶ浦も大昔は広く海だった場所が陸地化し、現在の海跡湖に。霞ヶ浦の海近くは汽水湖と思い込みがあるのですが、戦後の塩害対策としての逆水門建設により殆ど淡水湖となったのでした。美浦村は霞ヶ浦が新東京空港設置に歓迎の意を表した村で、トレーニングセンターの誘致合戦には勝ち残りました。茨城県には市町村合併を拒み、現在でも2箇所のみ村が残っているですが、原発関連事業社を多数抱える東海村と財源豊かな美浦村がその2つだったりします。

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成田空港三里塚に隣接する根木名地区より流れる利根川と合流する根木名川を右舷に見ながら、北から南へと利根川上空を飛び越えての成田空港最終アプローチ。6月の日が長い時期だった為か日没が遅く、目的地・成田に到着するまで空からの景色を存分に楽しめまたフライトでした。