製鉄と鍛冶の女神・金屋子神の降り立った場所を岩鍋に探して

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なだらかな緑豊かな山々、山間を流れる清水、鉄を含んだ岩と釜を拵えるに適した土。木を切るにも、土を掘るにも適した中国山地の谷間で鉄は長らく造られてきました。採鉄できる場所を求め歩き、露天での自然風を利用した「野だたた」に始まり、高殿を構えて大人数でおこなう「企業たたら」を経て巨大な高炉と送風機を持つ現代の製鉄所まで大きな進化を遂げてきました。

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日本に鉄が伝わったのは弥生時代。石器時代→青銅器時代→鉄器時代と順を追ってではなく、石器時代から青銅器時代と鉄器時代に同時に突入したと言われています。炭を焼き、重い大槌を振り下ろしての作業は人間のものでしたが、鐵を生み出しカタチ造るのは神の技だと信じられていました。水のなかに、木のなかに、火のなかに、金のなかに神々を見出していました。

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日本はこの百年で大きな変化を遂げました。製鉄やその加工も現在ではタタラ製鉄や鍛冶屋・鋳物屋の仕事を見ることが少なくなり、残っていたとしても機械化され電気やガスを動力に使っています。これらの職場には神棚や祠が現在でも設けられているものの、その役割は100年前とは大きく異なり、ほかの職業の人々と同じく、金属に携わる人々の信仰は過去のものとなった言っても過言ではないはずです。

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中国山地で砂鉄を製錬して鐵を造る人々は独自の神を祀り、金鋳護神(かねいごかみ)、金屋子神(かなやごかみ)と呼ぶ守護神を崇拝していました。文字通り、金屋(金属を扱う職業)の神です。伝承によると金屋子神は高天原から播磨国(兵庫県西部)に降臨された後に、白鷺に乗りて西にある出雲国能義郡黒田の奥比田にあった大きな桂の木で休まれていました。

この地の安部正重という者が犬を連れて狩りに来ていたところ、犬が吠え樹上に神がいることを知ります。正重がいかなる神かと伺うと、「吾は金屋子神である。この地に住まいして鉄つくりを始めよう」と言われました。土地の豪族・朝日長者の協力を得て神の住まう宮を建て、炭と砂鉄を集めたところ、神が自ら村下を務めて金吹きに取り掛かられたのがタタラ製鉄の始まりと語り継がれています。

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金屋子神は女性の姿で表されることが多く、月の穢れ、産の穢れ等の赤不浄を忌み、穢れは火を媒介するとの考えにより女性は高殿に近づく事も禁じられていました。また一方では、普通は不浄とされる黒不浄(死)は少しも忌まず、人が死んだと話しをすると良い鉄ができ、山内で死者が出ると葬儀の列を高殿にワザと誘導して金屋子神のご機嫌を取ったという話しも残っていたりします。

吉備中山にて四ツ目の犬に吠えられ逃げようとした時に、麻/蔦に絡まって犬に咬まれて死んだ故事により麻・蔦・犬は嫌いという言い伝えもあり、一風変わった神のようです。上の写真は比田の金屋子神社ですが立派な狛犬達がおりますが、大丈夫なのでしょうか…?

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前振りがまた長くなってしまいましたが、ここらで今回の本題に突入していきたいと思います。今回の本題は「金屋子神が天上から舞い降りた場所を岩鍋の山中で探そう!」です。天上の高天原より播磨国に天下られた場所「岩鍋」は現在の兵庫県宍粟市千種町岩野辺の近辺だと言われており、比田までの距離は直線にして123キロばかりにあります。

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播磨は出雲と同じく深い緑に覆われた、清流ながれる金を生む山間の地でした。「敷草の村草を敷きて神の座と為しき。故に敷草という。この村に山あり南の方にさること十里ばかりに沢あり、二町ばかりなり。この沢に菅生ふ。笠に作るにもっと好し。ひのき、杉、黄蓮、黒葛生ふ 鉄を生ず」。八世紀前半に書かれた「播磨国風土記 」には、鉄産出する場所として敷草村の名で登場しています。

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鳥取県との境に聳える三室山(1,358m)は、須佐之男命が天降った出雲の船通山と同じく砂鉄を生む川が周辺より流れ出す山です。 上の写真は関東のある刀匠より教えて頂いた三室山付近にある砂鉄が採れる場所です。岩を避けてスコップで掘ってみると黒い砂がザクザクとあらわれる現役でした。

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岩鍋を去る時に金屋子神は「我は西方を主とする神なれば、西方に赴き良きところに住まん」と言われたそうです。この言葉を聞いて向かう先がなぜ西なのかが気になり、飛鳥時代(592-710)に伝来した五行の「金行」、土中に生まれる金属の性質で方角は西だからかという理由が浮かびました。

また、中国地方でたたら製鉄がおこなわれていた場所を雑把に地図上に線引きしてみると、岩鍋の周辺から西側の比田周辺の方へ広がっているように見えたので、実際の製鉄技術の伝播が東から西へ広がったことを含蓄した話しなのかとも考えました。

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岡山県倉敷から京都府福知山までを結ぶ国道429号線の道路標識の下には、千種町"岩野辺"と見えています。千草谷の旧11村のうち最大の集落だったところで、金屋子神が降り立った地「岩鍋」は岩野辺と現在では地名を変えています。人文は古く、近郊には至る所に鉄穴ながし等の製鉄遺産が残っている歴史ある場所です。

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その岩野辺のなかでも荒尾地区には高殿、大銅場、鍛冶小屋等のあった場所を示す石垣が残る遺跡があり、今回の探す目的地である金屋子神が地上に降り立ったその場所はこの荒尾鉄山跡の近くにあるという情報を得ていました。地元の役場に事前に訊ねてみましたが、金屋子神降臨を示す祠の所在地は現在では分からなってしまったとの回答でした。

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荒尾の谷を中央左に示した地図です。金屋子神が降り立った御神木や磐座(いわくら)の場所をネット上でヒントもしくは回答がないかと探してみましたが見当たりらずで、西播磨県民局編の書物に降り立った桂の木/祠の写真が唯一の手掛かり。これまで国内で自分が訪れた場所の幾つかで、詳細な位置を多くの方が意図的に公表されていない場所がありました。その多くは尊敬を受け、大切に扱おうとする場所だった事を考え、「金屋子神降臨地」と上の地図上で書いた場所は無作為に置いてあります。

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10軒程の民家が並ぶ荒尾集落を抜けるとダート道が直ぐ始まりました。千種川と揖保川に挟まれたこの辺りは古代からの製鉄の地であり、江戸時代には大規模たたらがおこなわれた地域で、この道の奥にある「荒尾鉄山遺跡」は現在の住友財閥とつながる泉屋が明治初年まで経営した鉱山でした。

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ダート道を暫く走ると防獣柵が見えて来たので手前の草地にクルマを置きました。荒尾の集落で道を年配の方に尋ねた時に、「真っ直ぐ進むと柵があるので、その辺り停めてから(柵の中に)入れば良い」と言われた場所です。

柵の左に野生の藤が咲いています。手入れをされない山が昨今は急増しているせいか、野生の藤を山間部で見ることが増えている気がします。山で見るとなんだかと思ってしまう藤ですが、金屋子様は藤がお好みなのだとか...。勝手な推測ですが、山に藤が見えるというのは充分な(製鉄用いる)木材が手に入るからなのかなと思い、ここでは歓迎を受けていると藤を見上げながらゲートをくぐりました。

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荒尾山の山頂(1108m)が木々の間から見えました。登山道は1km程東にある鳥ヶ乢(とりがたわ)から登るのが一般的らしいのですが、この日は荒尾川の流れる谷から目指そうと考えていました。事前に調べた情報では、荒尾山に山頂から荒尾集落へと降りてくる登山者もそれなりにいるようなので、逆ルートで登る事も可能っだと考えていました。

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防獣柵を抜けて杉木立のなかを歩き、荒尾家の墓を通り越して暫くすると分かれ道に出ます。「荒尾鉄山跡」はこの道を右手の荒尾川沿いに進んだところに在りました。道にクルマの通行跡があるのは、おそらく林業関係者が通ってできた跡だと思われます。

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山内の入口にあった大きな岩の下にはお地蔵様。嘉永三年(1849)年に建てられたモノで、願主は大阪の泉屋及び曽根の紀ノ国屋で、山内安全と良鉄生産を祈願したものと解説がありました。傾斜部に石積みので整備された遺構なのですが、土地所有者の意向で調査はなされておらず、地元の有志の方々による案内板があるのみです。この遺跡最上部に開けた空間があり、探す金屋子神を祀る祠があるのではと随分歩き回りましたが、製鉄のあと(鉄くず)が地面残るのみでした...。

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先程の分岐を今度は左手にズンズン進んで行きます。中国山地では直接熊を見たことはないものの、熊が樹上で食事をする際に造る熊棚は多く見たことがあるので、連綿と続く中国山地には相当数の熊がいるはずです。荒尾山と隣の植松山は軽登山でハイカーがいるはずなのですが、この日は登山者、林業関係者ともに誰一人会うことがなかく、春秋は熊との事故が増える季節なので結構緊張して歩いていました。

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林道沿いに「金屋子神の降臨の地」と書かれた案内板を発見。「村人が雨乞いをしていたところに 播磨国岩鍋に天降り 吾は金作りの金屋子神である 今よりあらゆる金器を作り 悪魔降伏 民安全 五穀豊饒のことを教えようと かくして磐石をもって鍋を作り給うた 故にこの地を岩鍋という」との内容が読めました。

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ここが探し求めた場所かと思い、あたりを360度、上下左右をくまなく探すも、聖跡もしくはその痕跡を感じさせる場所を特定する事が自分にはできませんでした。川原の大岩が磐座かと思い近付くと、川向こうに明らかに人の手で石組をした跡があったので渡河して確認するも、此処が降臨された場所かの確信を持つことは至らず...。

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降臨された場所を特定できずに途方に暮れていた時に、伝承の冒頭にある「村人が雨乞いをしていたところ...」を思い出しました。雨乞いをしていた場所が降臨地であるならば、山頂もしくは高台の開けた場所でがそうであって、谷筋ではないはずと考え直し探す場所を変える事に決めました。

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そして辿り着いたのがこの場所でした。此処が自分がそうだと感じた金屋子神が降臨された場所です。突き当たり中央にある少し盛り上がった場所が磐座で、天への捧げ物を置き、その前の開けた場所で火を炊き、太鼓を打ち鳴らす事により擬似的な黒い雲とカミナリ音を造り出して雨を誘う雨乞いを村人達がしていたのだと思います。

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天界から天降った女神は空を行き、大海原の様に広がる一面の緑と巍巍たる山々を望むと、そこに棚引く黒雲と村人達の雨乞いをする祈りと太鼓の音が聞こえてきました。金屋子神はその賑やかな音と祈りの声に惹かれて、高天原より初めて地上に降り立ったのではないでしょうか?

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桂の木は1年のうち3日間だけ真っ赤に芽吹き(この記事1番上の写真は菅谷たたら山内の芽吹く桂の木)、その姿が燃え盛る炎の様に見えるからかタタラ場に神木として植えられる事の多い木です。二股の木には神霊が宿ると言われ特別視する話しが日本全国にありますが、この磐座の前に生える木も二股で女陰を有するかの様に見えました。

この"磐座"の右側は更に奥へと進む細い小路があります。ひとつ前の記事でも触れた国内製鉄の歴史のなかで、朝鮮半島南部よりの鉄資源供給が不安定になった七世紀に朝廷は全国に鉱山探査の人々を派遣しました。黄金、白銀、黒金等の鉱物資源を求めて全国の山々を派遣された人々は巡って行ったのです。岩鍋の山中にて村人達が雨乞いの儀式をこの広場でおこなっていたその時に、右奥の小路からその鉱物を探し求める人が村人達の前に突如現れます。

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鉱物の専門家たる訪問者は磐石(鉄鉱石)を持って、鉄の鍋を拵えた後に、その後も鉱山探しの旅を続ける事を村人達に告げて西へと出発。火を操り、岩より金属を取り出す技術を目にした村人達が伝えた話しが金屋子神降臨の話しのモトとなったかもと考えてみました。

七世紀頃に起きたことだとすると、同じ場所に広場や木が当時と同じくあった可能性はほぼないでしょうから自分が比定した場所は正しくない筈ですが、それは岩鍋の地で起きたのだと思います。

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岩鍋より白鷺に乗りて金屋子神が降り立った比田の地にある祠です。金屋子神神社の傍に独りで住む年輩の方にお話しを聞く機会がありました。金屋子神社や昔の生活の事を教えていただいたのですが、お国言葉が強く聞き取れたのは半分ぐらい...。ハッキリとは理解できなかったものの、金屋子神への愛着と尊敬の念は充分に伝わってきました。

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千年以上も前に鉱山探しで訪れた人は、言葉の違いにより意思疎通は更に難しかったに違いありません。雨乞いの祭事に突如現れた人を村人達は手厚く持て成し、その御礼として自分の特技である金工で鉄鍋を造り村人に返礼の気持ちを表した。そんな小さな話しが時を経て、金屋子神の神話に組み込まれたのではないかと考えることにしてみました。