トムラウシ山を目指して、戦後の開拓街道を駆け足で辿ってみました

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北海道に行って参りました。晴れ渡る青空、色鮮やかな紅葉に冷たい秋風。北海道の中央に広がる大雪山国定公園の真ん中に聳えるトムラウシ山の姿を遠望を楽しもうと、北海道道718号線・忠別清水線を帯広側より北上したのでした。トムラウシ地域は理由あって妻が訪れる事を極力避けている場所なので、単独・隠密行動で訪れたのでした。

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真冬の季節に旭川側より大雪山を上空より写した写真です。画面手前に見えるのは中富良野の市街地で、聳える山々との間に横たわる牧草地や農地が広がる丘陵地帯は全て雪で覆われています。写真中央上よりには富良野岳(1,912m)、十勝岳(2,077m)、雲に少し隠れているトムラウシ山(2,141m)と冠雪した山々が見えています。北海道の屋台骨とも称されるこの大雪十勝火山群は、ユーラシアプレートとオホーツクプレートの衝突による隆起により生まれた褶曲山脈です。

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90万年程前には十勝岳より東に30キロ程にて、地下マグマが一挙に噴出される破局的噴火が起こりました。西は十勝川、東は士幌川あたりまでを火砕流が覆い尽くし、全ての動植物が焼き尽くされたのです。噴火口である十勝三股には直径10キロ程のカルデラが形成され、現在の洞爺湖(上の写真)のようなカルデラ湖が十勝北部にもあったと考えられています。その大湖は周囲より流れ込む土砂に徐々に埋もれていき、現在の緑溢れる三股盆地となったのでした。

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大雪十勝火山群には活火山として監視されている山が3山(大雪山、十勝岳、丸山)あります。なかでも十勝岳は明治、大正、昭和と近年も頻繁に噴火を繰り返しており、記録が多くの残る昭和三十七年(1962)の大噴火では噴煙は1万メートル以上にも達し、千島列島を含む火山東側の広い地域に降灰。この日に訪れた十勝岳にほど近いトムラウシ地区にも大きな影響を与えたのでした。上の白黒写真は内閣府より借用。

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父なる石狩と母なる十勝を分かち、日本海側と太平洋側の分水嶺である狩勝峠は雄大な十勝平野が望める場所です。トムラウシ山は帯広の市街地から4-50キロ程西北に位置し、十勝平野より山間部に入ると十勝岳を源に発して太平洋へと注ぐ十勝川に沿うようにして敷かれた道が、山間部の小さな集落を結んでおり、これを辿って行く事になりました。

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十勝川には上流より十勝ダム(竣工1985年)、岩松ダム(竣工1941年)、屈足ダム(竣工1995年)と3つのダムがあります。最も下流の屈足ダムには"ガンケ"と呼ばれる高さ100メートルにも達する露出した岩肌を見ることができます。このガンケは上述の十勝三股より流れ出てきた火砕流の堆積物で、見る場所によっては3層/4層と層を成しているのを確認できます。当時の火砕流は十勝全体(1万平方km)で均したとしても高さ3メートルにもなると言われ、ガンケではその高さが100メートルにもなっているのでした。アイヌの人々は此処を「カムイロキ」と呼ぶ聖地とし、神々が住まう場所として近づく事を禁じらていたと、蝦夷島を「北海道」と名付けた松浦武四郎の記した「十勝日誌」により広く伝えられた場所です。

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平野部である新得(シントク)原野開拓に先鞭が付けられたのは北海道開拓最盛期にあたる明治三十二年(1899)。現在の山形県東根より村山和十郎翁を初めとする十三戸が入植し、大木を倒しては荒地でも育つ蕎麦を撒きシントク原野を切り開いていったのでした。これが国内で最も品質が高いと現在評される新得蕎麦の始まりです。上の十勝川の写真に映る岩松地区には明治四十三年(1910)に移住がなされるも、それより上流である大自然が行く手を阻むトムラウシ原野に開拓が進むまでには更に時間要する事になるのでした。

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十勝川の上流に治水/発電目的地で設けられた十勝ダムに到着。十勝ダムは堤頂長443.0m、堤高84.3メートルの巨体ロックフィルダムです。洪水吐部分の向こう側にはキャンプ場となっています。現地にて頂けるダムカードを見るてみると、建設記念公園の記念碑は1.8トンの黒曜石(北海道名は十勝石)でできているとりました。十勝ダムと彫られた大石を大きな金槌で叩き割ると黒光りする石が出てくるのでしょうか?

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十勝ダムが造られたキナウシ(貴名牛)地区は、戦後の食糧危機と外地よりの引き揚げ者の失業対策としての開拓入植が昭和21年よりなされました。冷害や昭和37年の十勝岳噴火の災害にも見舞われながらも農業/酪農を続けるも、昭和44年の十勝ダム建設発表、48年着工により集落が湖水の底に沈んだのでした。湖畔の高台には昭和59年に開拓者一同により設立された「キナウシ開拓のあゆみ」の碑が立っています。

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十勝ダム利用開始により沈んだキナウシの入植地の名前を襲名した貴名牛神社を現在も湖上に見ることができます。昭和58年にダム周辺の安全祈願の為に、新得神社より御神霊を招き、ダム湖内の岩山の上に新たに設立されました。遠目に見える社殿は対岸に見えるスロープから渡れるようで、社も荒れていないようなので定期的な手入れがなされているように見受けられました。

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アイヌ語で"科の木の群れところ"の意味と云われるニペソツ地区のトムラウシ集落に到着しました。トムラウシという言葉には富村牛と漢字を通常当てるのですが、どうしても"とむらうし=弔うし"と脳内で字を当ててしまいます。トムラウシは登山をする人には百名山の一座として知られる山でしたが、一般の人達には御茶ノ水にあったアミューズトラベル主催の登山ツアーにて2009年夏に起きてしまった「トムラウシ山遭難事故」で有名な山となってしまいました。

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新得町立富村牛小中学校です。昭和23年に王子製紙(苫小牧工場)へ木材を運ぶ飯場だった場所を借用し、岩松小学校のニペソツ分校として開校したトムラウシ地区に現在唯一ある学校です。100名程が暮らすトムラウシは屈足にある最寄りのスーパー/コンビニまで30キロと遠く、島嶼部を除く本土では唯一の僻地等級5となっており、この国の基準で判断すると国内で最も僻地にある学校です。本土に最近まであった他の僻地等級5の学校は、青森県下北半島の牛滝小中学校(現在休校中)と、熊本県五家荘の泉第八小学校(現在は僻地等級4)の二校。

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富村牛小中学校は、宮下奈都さんの山村留学の日々を記した著書「神さまたちの遊ぶ庭」に出てくる学校と言った方が伝わる人が多いかも知れません。作中に登場する女の子のひとりが現在は学校の先生をしていたり等と、本の登場人物より話しを伺いました。在校生の男の子達に「怪しい奴だ〜」と追いかけられたのは内緒の話しですシ━━━ッ d(ºεº;)

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集落にある簡易郵便局前に掲げられていたトムラウシ山鳥瞰図。このニペソツ地区の名前と同じ名前を持つ東大雪の盟主ニペソツ山(2,013m)方面へと向かうニペソツ川沿いの道も描かれています。そっち方向に試しに走ってみようかとも思いましたが、この地はカムイミンタラ(羆の遊び場)として有名で、ヒグマと遭遇する話しもよく耳にする場所なので辞退。

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学校のある集落の北側に架かる橋を抜けていきます。富村牛小中学校の校歌「山また山や大雪の 昼なお暗い密林に 寒さに耐えて父母の たゆまぬ力花と咲く われらの里よ富村牛」は、北海道の奥地に広がる大密林を開拓する者達の子弟にふさわしい歌詞だと思いながら更に北上して行きます。因みに校歌の4番も「嵐よ雪よ吹かば吹け 試練の鞭は厳しくも 望みの前に何やせんや 豊かに拓く国の幸 われらの腕に力あり」と逞し過ぎる内容の歌詞となっています...

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ペンケベツの道路脇に見えたには上富村牛小学校の崩れるに任せた学校建屋。このトムラウシ地区は昭和九年(1934)に大雪山国立公園に指定された為に、入植が始まったのは戦後開拓によるものでした。学校は富村牛小学校の分校として昭和28年に児童12名で開校。十勝岳の噴火により全住民が屈足に避難を余儀なくされた事を契機として離農が進み、昭和51年に閉校。この地域に電気が入ったのが昭和42年、電話が開通したのは昭和46年と書かれた解説板がありました。

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チカベツの新トムラウシ大橋を渡ると、ブラジル移民を描いたNHKドラマ「ハルとナツ」のロケ地と書かれた小さな看板。ロケ地にはドラマ撮影で使用した廃屋のような家屋があったらしいのですが、跡形もなくなっていました。拓務大臣が「渡航先にて日本人の信用を高め、行き詰った日本で苦しむ人達が続々といく機会が得られるように奮闘して働くように」と檄を飛ばした時代の物語を、飢餓線上を彷徨った戦後日本の僻地開拓地にて撮影がなされた組み合わせが凄い(撮影は21世紀に入ってからです)。ロケ地からホルスタイン牛の飼育/生産をしている牧場を抜けると、牧草地帯より雄大なトムラウシの山容を眺めることができました。

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718号線に戻りトムラウシ肉牛牧場を通り抜け、十勝川とトムラウシ川が合流する二股の少し先にある暁橋にまでやってきました。ここで舗装路が途絶え、残りはダート道となります。トムラウシ川に沿って林道を15キロ遡れば有名な秘湯・ヌプントムラウシ温泉(現在通行止め)、直進すればトムラウシ山登山の起点となるトムラウシ温泉東大雪荘です。トムラウシの集落で東大雪荘は現在何かも理由で営業していないと聞いていたので、曙橋で折り返すことにしました。

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運良く紅葉の盛り迎えていた晴天に恵まれた日に、トムラウシを走る事ができました。文中では省略してしまいましたが、確認したかった事も確認できたので訪問の目標を達成する事ができました。北海道で次に紅葉の時期に訪れる機会があるならば、日本一早い紅葉が見られると云われる、壮大なスケールで有名な大雪山の絶景紅葉を見てみたいものです。