福島県広野町、津波で浸水した復興区画にできたハタゴイン福島広野

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家族で福島県浜通りに行って参りました。今回の宿泊先を選ぶにあたって、いわき市や仙台市の様に大きな都市を意図的に避け、津波や放射能汚染の被害を受けた浜通りにある町に求めました。候補となったのは二箇所、Jヴィレッジ内(旧・原発廃炉作業の拠点)にある宿泊先と、駅前が津波に襲われて浸水した土地に立つハタゴイン福島広野。2つの宿泊施設は楢葉・広野町の復興を担う事業として昨年開業したばかりで、今回はハタゴインに子連れでお邪魔することにしました。

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東京都と宮城県を結ぶJR常磐線は浜通りに沿って走っており、今回宿泊したハタゴインの目の前にある広野駅も常磐線の駅のひとつでした。上の写真は広野町のモノを掲示させて頂いています。3月11日午後2時46分に発生した三陸沖を震源とする大地震は広野町を震度6弱で揺らし、地震発生の40分後に高さ9mにも及ぶ真っ黒い津波を呼び寄せました。町内のライフラインは壊滅状態に陥り、住宅240棟が流される大きな被害を受けたのです。福島第二原子力発電所から10km、福島第一原子力発電所から20kmと近く、震災の2日後には全町民がいわき市を初めとする南への避難を余儀なくされました。

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ハタゴイン福島広野は地震・津波にて大きな被害を受けたJR広野駅東側の復興市街地整備地区(広野駅東ニュータウン)に建っています。広野町の震災前の人口は5,500人程。現在の町民人口は4,800人(帰還率87%)ですが、復興事業に携わる人々や、帰宅者困難地域に指定されている避難民が合計2,000人(非町民)以上暮らしています。その様な特殊事情を抱えている町唯一の中規模ホテルですので、予約をする前に少し逡巡しました。いわき市や浜通りの宿泊施設が震災後に避難民と復興作業者で宿泊者を受け切れなくなり、仕事で訪れた自分も部屋を見つけるのに苦労した時期があったからでした。

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もしかすると、宿泊者の大多数が復興事業の作業者で、幼稚園児や小学生連れで宿泊するのは完全な場違いで迷惑にすらなるのではないかという心配をしていました。「女子供は来るところじゃねえ、帰んな!」という雰囲気を子供達に感じさせるのも良い体験かもしれませんが、我々は"遊び"で来ているので常磐ハワイアンセンターに泊まろうが、行先を会津若松方面に変更して全長2メートルの赤べこ人形を特注する旅に変更しても全く問題ありません。

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事前にホテルに電話をして尋ねたところ、「お子様連れで宿泊される人もおり、野球チームの遠征試合で中学生が何十人と宿泊することもある。平日は作業者の方の宿泊が多いが、週末は少ないので...」との説明を頂きました。

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夫婦と子供2人での宿泊の意向を伝えたところ、子供達の年齢を聞かれました。添い寝であれば広めの部屋ひとつでもOKと聞いたのですが、電話応対に出ていただいた方の受け答えの気持ち良さと、幾許かでも被災地に寄附する気持ちを込めて広めの部屋を2部屋分予約をしたのでした。

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建物の中央部に位置する広めの部屋です。男性陣(息子+自分)の部屋の方が女性陣(娘+妻)よりも若干広い部屋でした。2018年10月に復興ゾーンの中核的ホテルとして新築で開業したばかしですので、ホテル全体に新しい匂いが漂っていました。復興工事需要と地域拠点としての役割、地元の強い要望を受け、楢葉町には楢葉ホテル、富岡町の富岡ホテル等々と新規宿泊施設建設が続いています。2020年の東京オリンピックの聖火が浜通りから走り出す時には、各町村が元気な姿を全国に見せたいと願っているかのようです。

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部屋の窓から常磐線が近くに見られました。JRの駅と線路を跨い陸橋が煌々と光っています。「未来の架け橋」と名付けられた陸橋は線路の東側から西側への避難経路としての利用が想定され震災後に新たに造られました。思い起こせば、大地震のあの日から7日間前に自分は仙台方面から常磐線に乗って東京へ向かっていました。たしか相馬駅での乗り換えが必要で、次の南に向かう便を1時間以上寒空の下で待っていた記憶があります。

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 地上階にある大浴場、露天風呂もありました! 作業帰りの男が沢山かと思いきや、誰もおらず...。どこかで浜通りの新しいホテルは作業員7割と宿泊者構成を読んだ記憶があるので、目の前の光景はある意味正しいのか思いました。湯舟が広く、息子は泳いで遊べるぐらい。親指と中指を尺取虫して縦横の長さを測ったのですが、歳なのか忘れてしまいました。

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地上階には漫画や雑誌がズラリと並んでいました。一部の持ち出し不可図書を除くと、備え付けの紙に自己申告した上で自分の部屋に持って行けるシステムなのだとか。漫画好きな妻は娘が寝たあとで、夜な夜な地上階まで本を借りに来ていたと翌日発覚...。いくつか東京電力発行の冊子や、原発関連の定期配布物や講演案内等もありました。

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翌朝、明るくなってからの広野駅方面の眺めです。広野駅は福島第一原子力発電所から20kmの位置にあり、震災後の東京から向かえる常磐線下り最終駅となっていました。仙台方面に1時間に1本、いわき方面に1時間に1本のスケジュールで駅に入線してくる電車の音が響いてきます。無数の路線でクラクラしそうな東京で生まれ育った自分には予想もしていなかったのですが、電車が夜遅くでもガタンゴトンと走っている音が聞こえるのは、遠くまで"つながっている"という心理的な安心感が感じられました。

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ハタゴイン福島広野の朝食開始時間は4時半です。羽田空港付近のホテルであれば4時台も理解できない訳ではないのですが、人よりも牛べコの数の方が多かったであろう片田舎には通常考えられない時間帯からの食事時間。原子力発電所へ向かう渋い"英雄"の姿を見ようと4時起きで待ち構えていました。無言で食事をして、ホテルから出ていく作業着の3人組を息子と一緒に見るだけの見送りをしました。

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部屋から北側を見ると、広野の火力発電所の高い煙突が見えます。石炭や重油を燃やして発電している場所で、最大発電量440万Kwと鹿島、富津、東新潟、川越に次ぐ国内第五位の発電量を持つ巨大発電所です。既に発電が止まっている福島第一原子力発電所が460万Kw、第二が440万Kwと同規模。宿泊しているハタゴインは東北電力区域の福島県にあるので、部屋の明かりを灯す電気は目に見える東京電力・広野発電所ではなく、福島第一原子力発電所を更に北に行ったところにある原町や新地発電所からの電気なのでしょう。

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広野駅の反対方向を見ると広野海岸と太平洋が近くに見え、海との間には震災後に建てられたと思われる集合住宅が複数棟。大浴場で息子がワザと波を起こして遊んでいた時に少し考えました。日本から西海岸まで凡そ9,000kmを湯舟幅3mに例えると、東日本大震災の最大津波高と言われる富岡町の21mは湯舟の海面上では0.0007cmと1ミリにも満たない計算になります。腕をまわして湯舟で何度も起こしていた5cmあるかないかの波は、世界最高峰エベレスト山頂を遥か下方に見下ろす超巨大な波だったわけです。我々人類が"未曾有の"、"想像を絶する"と形容した8年前のあの出来事は、地球規模で考えると誤差とも言える程に小さものなのかと考えてしまいました。