萩市に残る遊郭建築の宿、旅館・芳和荘(ほうわそう)

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もう2年以上経っていますが、山口県北部にある萩市を以前に訪れました。日本海を望む萩市は毛利家の治めた長州藩の城下町で、明治維新に活躍した人々縁の地や武家/町屋/寺社建築が空襲を受けなかった為に多く保存されており、萩市は古地図で散策ができると称される程に情緒溢れる町として有名です。平成二十七年には「明治日本の産業革命遺産」として萩の城下町を含む複数の市内の史跡が世界遺産に登録され、観光客が押し寄せたニュースもまだ記憶に新しいところです。

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阿武川の河口にできた三角州にある萩は、萩城を含む西側の「城内」、三角州を東西に分ける新堀川の北側に設けられた「町屋」、その南側に広がる「武家屋敷」と他の城下町同様に3つのエリアから成り立っていました。自分が萩市で今回宿泊したのは町屋地区の外れだった場所(三角州の端っこ、上地図で青星マーク)で、遊郭の貸座敷として建てられた建物を利用した旅館でした。

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現在萩橋が架かる川の左岸に開かれた萩の遊郭は明治四十二年(1909)年に他の場所より移転してきた場所で、六軒程の貸座敷楼が集まる遊里だったそうです。日本国内にあった全ての遊郭同様に宅地化/商業地化が進み、遊里だった面影を残すものは現在はなくなり、此処は昔と説明を改めて受けなければ特殊な地域だったとは気が付かない程です。宿の主の話しによると、昔は舟を運河に横漬けにしてヒョイっと登楼できたとか、できなかったそうな。

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そんな場所に残る唯一の"遊郭建築"がこの日に宿泊をお願いしていた「芳和荘」さんでした。屋敷然とした土塀に囲まれた築100年を越すと云われる二階建ての大型木造寄棟造の建物で、340坪あるそうです。大正期に当初建てられてからは、上の写真で見える手前に見える飛び出た部分(風呂、洗面所など)を除けば大きな手は加えておらず、少し屋根が傾いてしまっているようですが、有形文化財の登録申告さえすれば間違えなく登録されるであろう堂々たる姿。隣り建っているファサードのある建物もカフェー建築?らしい雰囲気があります。

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まるで旅館の様な芳和荘の正面玄関。名前の消された跡の残る左右の門柱、門柱に架かるアーチ。玄関扉脇に鈍く光る通好みそうな黒いタイルを横目に引き戸を開けると、明るい板の間が目に飛び込んできたのでした。廊下は赤松、写真に映る階段は欅でどちらもよく磨かれているのがひと目で分かります。玄関を上がってスグに"大階段"というのは遊郭建築"では珍しい気がしました。

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フロントにある呼び板を軽く打ち鳴らしながら、「すみませ〜ん、予約したXXXです」と声をかけると話し好きなご主人がハッピ姿で現れ、館内の案内を併せて1時間程お話しをして頂ける事になったのでした。「梅木」という屋号だった妓楼が、売春防止法に伴いして「芳和荘」の名で下宿を営んでいた昭和39年。現在のご主人のご家族が買い取り、その後に旅館へ転業したのだそうです。

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部屋への案内を受けて2階に上ると、開放的で明るい中庭が目の前に広がりました。遊郭というと他のお客さんと顔合わせをしない様にと、アッチの階段とコッチの階段で動線を分けて迷路みたいな建物を想像してしまいますが、芳和荘はそれを嘲笑うかのような開けっぴろな造りとなっていました。ご主人に訊ねると、昔は部屋の外側にも巾60cm廊下があったらしいのですが、おそらく下宿屋時代になくなったのだとか。

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階段も廊下も皆ピカピカ。この広い建屋の全てをご主人おひとりで磨き続けているのだそうです。ロの字のカタチで立っている建物の回廊には腰の高さ程の欄干がクルリと一周しており、遊び心ある意匠が施されています。読んでいくと、平仮名で「ちょうしゅうらう」。かつての隠れ屋号であった「長州楼」と刻まれているのだとご主人より教わったのでした。遊郭マニアや珍しいモノ好きな方々の宿泊も少なくならしく、ご主人の説明は手馴れたもの。

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2階には合計16室部屋がある中で、「下津江」と表札が掛かった南向きの六畳間に入りました。部屋ドアは引き戸の襖と現在では滅多に見なくなったものでした。「下津江」という部屋名が珍しいと感じて検索してみると安芸高田にある地名らしいと分かり、妓楼時代に住み込みで働いていた女性の出身地なのか、はたまた、下宿時代に長期宿泊していた人の出身地なのかと少し考えました。

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部屋の窓から眼下を見下ろすと、芳和荘の正面玄関と違った出入口が目に入りました。何でもない唯の勝手口かと思うも、正面玄関同様に門柱の間にアーチがあるのを見るところ只の勝手口ではなさそう...

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夜の帳の下りた中庭は水銀ランプが灯り、明るい時よりも趣きが感じられます。廊下に紅く灯る提灯が幾つも並び、賑やかな時代もあったことでしょう。宿泊したのが平日だった為か他に客さんがいなかったことをコレ幸いとして、廊下をクルクルと何度も周り、色々な角度から中庭越しに回廊を見て遊んだのでした。芳和荘玄関の夕景もまた素晴らしい。

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お風呂は城郭風の岩風呂でした。椅子ではなく据え付けられた岩に座るというのが他に見ないつくりになっていました。このお風呂は水とお湯を別々の蛇口をひねって、手元の桶で混ぜて適温なお湯を自分でつくるタイプでした。寒い時期にはご主人が入浴時間をみて追い炊きをしているそうです。

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芳和荘はご主人ひとりで現在切り盛りされており、夕食は手に余るということで供されておらず外に行く必要がありました。上の写真は翌朝頂いた朝食です。鮭の向き以外は典型的な和朝食です。芳和荘は萩市の景観重要建造物の指定を受けているので、何かしらのカタチで建物は維持されるのでしょうが、他の多くの個人経営旅館と同様に芳和荘も後を継ぐ人はおらず、現在のご主人の代で閉めることになるそうです。