鮭遡上の南限、利根川・利根大堰でサケ遡上・採卵観察会

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埼玉県行田市にある利根大堰にて毎年開催されている「サケ遡上・採卵観察会」に子供達と行って参りました。実際に訪れたのは吹く風が冷たい冬の迫った2017年の11月11日でした。この日は週末でしたが妻は仕事で出掛けており、子供達ふたりを連れて東北自動車道を飛ばして目的地へ向かいました。羽生ICで降りて一般道を暫く走ると、埼玉県行田市と群馬県千代田町に架かる堰長691.7メートルにもなる堂々たる利根大堰の姿が目に入ってきます。

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利根大堰は、多摩川に強く依存していた東京の水不足を解消する為に昭和43年(1968)に利根川に設けられた大きな堰です。急増する人口により東京砂漠とも呼ばれた渇水状態は大きく改善され、此処から南に導いた水は都民の7割を含む1,300万人以上の水需要を満たすまでになりました。東京23区は言うに及ばず日野市あたりまで利根川系に現在は依存しており、この利根大堰がその要となっているのです。千葉県銚子に位置する利根川の河口(上図の左向き矢印)から、埼玉県行田市の利根大堰(上図上向き矢印)までは利根川を154キロ遡った場所にあります。

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鮭は冷水魚なので寒流の勢力が強いところに通常おり、寒流の親潮と暖流の黒潮がぶつかる亜寒帯境界線にあたる銚子沖が自然回帰の南限となっています。自分も小さな頃に参加した事もある多摩川での鮭放流は80年代前半よりおこなわれておりましたが、極小数を除いて「カムバック・サーモンキャンペーン」は銚子以南で成功を収められずに終わってしまっていました。江戸の水害対策として鬼怒川の流路までを人工的に切り開き、銚子沖で太平洋に至るように利根川を東遷させた歴史があります。それにより、江戸以前は香取湾に流れ込んでいた鬼怒川が、承応3年(1654)に完成した利根川東遷以降より利根川に流れ込む事になり、鮭が利根川を遡上し始めたのでした。それらの鮭は上の写真に写る銚子の河口より時速3キロ程で産まれた場所を目指して遡上するのです。

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「ただいま サケ遡上中 利根大堰」とサーモン色のノボリが強い風になびいていました。独立行政法人水資源機構が毎年公表している鮭遡上情報を10月中旬から確認し続けるも、11月2日まで利根川を遡上して利根大堰まで来た鮭の数はなんとゼロ。観察会前日までの累計数は503匹のみと例年を大幅に下回る数字でした。10~11月の2ヶ月間での過去10年平均は9千匹(訪問した年は3,132匹でした)ほどで、平成23年(2011)から数字が急に跳ね上がった形跡があるので、どうしてからかと思いを巡らし思いついたのは東日本大震災により漁船や定置網等が大きな被害を受けて三陸沖での鮭漁が停止状態だったからではないかと...。鮭が遡上していない川を子供達に見せても面白味がないと半ば諦めていましたが、9日に訪問する/しないの最終決定する為に遡上数データを覗いてみると、幾らかは期待が持てそうな雰囲気だったので行田市を訪れる事を決定したのでした。

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利根大堰の右岸にある運動公園に駐車するスペースが用意されており、係員の誘導を受けてクルマを停めました。開催時間の午後1時ジャストに到着。車内で寝てしまっていた娘を抱き抱えて会場へ向かっていきます。北には上州の山々が横たわり、下流方向には筑波山の紫峰。冷たい風が吹き付け、河岸に打ち付ける川が日本海の荒波ように砕けていました。

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サケ遡上・採卵観察会の会場にやってきました。各種催し物の他に食べ物のお店の幟も立っています。行田市の副市長が壇上に立たれていて、当時好評を得ていたテレビドラマ「陸王」の事を話しているのが聞こえていました。会場入口付近にあったスマートボールを兄妹で挑戦。利根大堰から主要浄水場までの水の流れを描いた台になっており、地図上で東京の扱いがここまで小さい(埼玉9、東京1ぐらいの割合)を見るのは珍しいなと観察してしまいました。

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初めて目にするご当地キャラが会場に登場し、アホな我が家の子供達はホイホイと誘き寄せられておりました。在来種の行田青大豆をモチーフとしたゆるキャラ「行田豆吉」の裾の部分から中の人を覗き込もうとして嫌がらせをしていたり、行田市の郷土料理ゼニーフライを模したゆるキャラ「フラべぇ」を力いっぱい押して倒そうとしたりと彼等の悪戯から目が離せませんでした。行田市は埼玉古墳群や忍城、古代蓮の里や足袋蔵の並ぶ町と観光資源も豊富な市です。

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利根大堰には12門のゲート以外にも、魚が通るための専用通路が3本設けられています。その魚道の1番岸側(埼玉県側)には水面下から魚の姿を見られる「大自然の観察室」があり、1番魚道を遡上する鮭の姿を見ることができる仕組みになっています。訪問日にセンサーで感知された鮭の数を後日確認したところ、1号魚道が67匹、2号魚道が55匹、3番魚道ゼロ匹と記録されていました。

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地下空間には水中を覗き込める3つの観察窓があり、遡上する鮭を見ようと沢山の人が集まっていました。60cmはあろうと思われる大きな鮭が川上に向かって激しく泳ぎ、その魚影の濃さに一瞬で圧倒されてしまいました。生命の力強さ、躍動感が伝わってくるかようです。これには子供達も目が釘付けになり、その凄さを感じてくれたようでした。下のビデオに鮭が水中から飛ぶところが映っています。

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1号魚道を上から見てみようと川の傍で人が集まっている場所に近づいて行きました。1号魚道は2号/3号と違いがあり、写真中央下部に写っている「コの字型」 の魚が休憩できる場所が設けられている通称アイスハーバー型の魚道でした。そのコの字の上に鮭が飛び跳ねる瞬間を写真に撮す事ができました! 先程地下の観察室でジャンプは、真上から見ても鮭の躍動感がスゴい。電極を利用して通関する鮭の数をカウントしているのですが、2匹同時に通ってしまったりしても1匹カウントになってしまうとの解説があり、雌雄の区別もできないデータしか取得できない少し残念仕様なのだとか...。この魚道では初夏には鮎アユも見られるそうです。

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採卵のイベント開始。ちいさな子供達は優先的に舞台前方に見られ、娘と一緒にいた自分は幸運にも近くでみる事ができました。採卵は魚の腹を切るのかと思っていたら、麻酔液に浸しておいたメスのお腹を絞ってオレンジ色の卵を出していました。同じく麻酔をしたオスから精子を取り出し、卵を入れていたボールに川の水を加え受精。この受精卵は近隣の小学校に配られ、数ヶ月後に稚魚として利根川に放流されるそうです。鮭が卵から稚魚になる迄は合計480度と時間がほぼ決まっており、水温10度であれば48日後に稚魚となる不思議なルールがあるのだとか。そして、そのうちの僅か何パーセントかが4年後にまた利根川に戻ってきます。

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日本の川で産まれた鮭は春に生まれ故郷の河川より海に降り、沿岸部で数ヶ月後を過ごし力を蓄えます。初夏にオホーツク海へ渡り、その後に西部北太平洋で越冬。翌年の春になるとベーリング海に渡り、続く数年間はアラスカ沖で越冬し、春になるとベーリング海で過ごすのを繰り返す大回遊をしながら成熟魚へと成長していきます。成熟魚となった夏に、ベーリング海を離れて千島列島を渡り、9-12月頃に自分達生まれ育った河川に戻り生命のバトンを子孫に繋いでいくのが日本鮭の一生です。その旅する距離はナント1万キロ以上。利根川はベーリング海から最も遠い川で、親潮(寒流)の南限近くに河口が位置します。この日に目にした鮭の群れは、最も早い季節に稚魚は降海せねばならず、最も遠い回遊ルートを辿り、最も遅い遡上時期に200kmにも及ぶ群馬の山中に向かい遡上する、鮭の世界でも最も厳しい条件を乗り越えてきた鮭達だったのでした。

この辺の事を帰路の車中で子供達に説明をしたのですが、子供達の脳裏には勇者たる鮭達の姿が思い浮かばないようで「へ〜、そうなんだ」とだけの寂しい反応...。鮭は浪漫の魚とすら思っている自分には、予想はしていたもののガッカリでした。ただし、ここで挫ける訳にもいかず、知床の遠音別川にでも子供達を連れて行き、「凄すぎ…」と言葉に詰まるような鮭で埋め尽くされた川の光景を見せてやるぞと決意したのでした。