太田市立大隅俊平美術館で、ふいご祭りに参加。蜜柑を沢山貰いました

f:id:tmja:20190814113514j:plain

「しばしも休まず つち打つひびき 飛び散る火花よ はしる湯玉 ふいごの風さえ 息をもつがず 仕事に精出す 村の鍛冶屋 」の歌詞で有名な文部省唱歌だった"村の鍛冶屋"。上の写真は我が家から最も近くで槌を打ち下ろす音が聞ける鍛冶場です。山作業や農作業の機械化が急速に進み、村の鍛冶屋は戦後直ぐに全国で減少を始め、現在では探さなくては見つけられない稀な存在となってしまいました。

f:id:tmja:20190814113554j:plain

鍛冶屋や、鋳物師、風呂屋などの火を使う商売の家では、陰暦11月8日に稲荷神を詣で、お神酒や餅、蜜柑を火力を上げるのに用いる鞴に供える「ふいご祭り」と呼ばれる行事が全国各地で行われていました。その風習は現代にも綿々と受け継がれており、大手上場企業から現在も残る村の鍛冶屋まで主に製鉄に関連する会社が冬が近づく頃にふいご祭りをおこなっております。上の写真は東京神田の鍛冶屋町近くに立つ金山神社をふいご祭りの日に撮影したものです。

f:id:tmja:20190814114243j:plain

f:id:tmja:20181206111701j:plain

今回は群馬県の人間国宝・故大隅俊平氏の御自宅/美術館にて「ふいご祭り」が催されるとの情報を得て、中島飛行機/富士重工業の企業城下町として発展してきた群馬県東南部の太田市近郊にある「大隅俊平美術館」に家族で行って参りました。訪れたのは12月上旬(新暦)でした。これまで大隅氏の刀は展示会で見たことはあるものの、こちらの美術館を訪れるのは初めてでしたので、ワクワクしながらの訪問でした。

f:id:tmja:20181206111708j:plain

こちらがその美術館の入口です。平成二十一(2009)年に享年77歳で亡くなられた大隅俊平氏のご遺族が、69口の刀と共に太田市に寄贈した建物を改修して平成二十四年に開業した美術館です。母屋(写真左建屋)背後に付設するカタチで刀剣展示場が設けられ、門から入った正面にある換気用のやぐら/高窓を載せた小屋は大隅刀匠のかつての仕事場です。

f:id:tmja:20181206111736j:plain

f:id:tmja:20181206111728j:plain

大隅俊平氏は美術館のある太田市由良町から数キロ程離れた太田市富沢町の生まれで、相州伝随一の名匠・宮入昭平氏(人間国宝)に師事、真っ直ぐな刃文を特徴とする「直刃の大隅」と称され、数々の賞を受賞。祖父である天皇陛下より敬宮愛子内親王へ贈る御守り刀も献上する等、その名声は高く地元のカルタにもなった方でした。郷土カルタで最も有名な上毛カルタの"に"は「日本で最初の富岡製糸」ですが、「人間国宝 大隅俊平」の札もあるとは色々あるのですね...。

f:id:tmja:20181206111733j:plain

f:id:tmja:20181206111740j:plain

展示室には大隅俊平氏の経歴や、大隅氏とお弟子さんの作品である日本刀が展示されていました。手前の人形が着ている白袴は実際の作業で使用されていたモノで、鍛冶作業で飛んで来る火花でできた焼け焦げが残っているのが見られます。島根県の鳥上木炭銑工場で造られたと思われる玉鋼が飾られていたり、頭上には大隅氏の詩が飾られ、「三十五年に獨り立ち 信州あとにふるさとの 太田に帰り居を構え 天下泰平五穀豊穣 名刀なれと念じて 精魂込めて槌ふるう 宗近正宗夢にみて」と三条宗近/五郎入道正宗等の古典刀を目標としていたのが読み取れました。作業場や母屋の軒下に大小複数の錨が置かれているのは、おそらく古い鉄を用いる事で古典刀に近づこうと試したからだそうです。

f:id:tmja:20181206111634j:plain

f:id:tmja:20181206111643j:plain

母屋の東隣に立つ作業場の様子です。展示室にあった1メートルを越える大太刀が造られたのも此処になります。普段は扉を閉じていて内部には入れないらしいのですが特別公開されておりました。スプリングハンマーに、差し鞴と火床、研ぎ台と多くの鍛冶屋と同じ設備。暗い煤ぼけた壁が往時の姿を彷彿とさせるものの、鍛冶場としては違和感を若干感じさせる窓の多さは展示用にと後付けされたものかもしれません。

f:id:tmja:20181206111744j:plain

f:id:tmja:20181206111630j:plain

山盛りの蜜柑に鯛、長葱、大根、人参、白米が鞴の上に供されていました。燃焼を促進させるための強制送風装置としての鞴の歴史は人類の金属との関わり始めにまで遡る程に古く、伝説のひとつとして鞴(鍛冶の神)が11月8日に天から降り、その時に蜜柑の木に降臨されたと伝わっています。蜜柑を供えるのはその説話に機縁するという説もあるそうです。

f:id:tmja:20190816182055j:plain

f:id:tmja:20181206111723j:plain

天井近くを見てみると神棚がありました。やはり主のいない作業場は少し寂しいものです。母屋に戻ると、談話室にて子供達は日本刀制作のビデオを見ていました。人類は石や土、植物、金属と手に入る多くのモノを加工してきました。砂鉄がタタラ作業を経て鉄塊となり、小分けにした玉鋼を刀匠を始めとする職人達が鍛えあげる日本刀は、手に取って眺めると人の手で造れるモノの極致であるように思えます。

f:id:tmja:20181206111717j:plain

f:id:tmja:20190816154728j:plain

水車庵のご子息で、大隅刀匠に師事した本田刀匠による「ふいご祭り」の解説がありました。上の江戸時代に描かれた石川流宣の挿絵でも見られる様に、鞴祭りの日には火を止め、鞴を清めた後に蜜柑を撒くのが慣わしだったのだとか。

f:id:tmja:20181206111652j:plain

f:id:tmja:20190816182001j:plain

鞴へのお供え物分配ビンゴ大会に参加しました。美術館入場時に配られた番号札を用いて当落を愉しむイベントで、20人程の参加者がおりました。1番目玉の鯛こそは逃してしまいましたが、文房具にネギや人参等の野菜セット、それに抱えきれない程の蜜柑を頂くことができました。この蜜柑を食べると風邪や麻疹を患わないそうです。