備瀬のフクギ並木にある「古民家かねや」に一棟貸し滞在

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家族で沖縄旅行に以前出かけた時に、防風林として植えられた常緑高木フクギの並木で有名な本部町の備瀬を散策したことがありました。緑の壁にも見える屋敷林、舗装されていない道と味わいがある昔ながらの景観を現在に伝える集落として有名な場所です。第二次世界大戦の戦火や、戦後の大開発で多くの"村"を失い、現在では離島である竹富島や渡名喜島など限られた場所だけとなった景観が残る場所です。

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備瀬のフクギ並木を撮った、自分のデジタル写真で残っていた最も古いものは9年前に息子を写したモノ。娘はまだ産まれておらず、息子がまだオムツを穿いてヨタヨタと歩いていた頃に親子三人で訪れたのでした。今回は親子4人でフクギの里・備瀬にある古民家にお邪魔した話しとなります。

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沖縄戦の大火でも焼けることのなかった備瀬のフクギ並木は、平成十四年(2002)に新規開業して現在でも絶大な人気を博している「美ら海水族館」からも歩いても行ける距離にあります。フクギ並木の集落内には宿泊施設、レストランが点在し、昼間は牛車や自転車、徒歩で散策する観光客も姿が見られる賑やかな名所となっております。

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上空から備瀬崎を発見した時に撮影した写真です。珊瑚礁に恵まれた天然海岸で、海洋博公園の白いエメラルドビーチから手前の備瀬崎に向かって伸びている緑地帯が数万本あると云われるフクギの並木です。備瀬崎周辺は景観に恵まれ、遠浅な青い海の礁湖に沢山の家族連れが訪れています。

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備瀬の集落の目抜き通りをクルマで走り、見えてきたのが目的地「古民家かねや」さんでした。事前に駐車場の場所を電話確認しなかった為に主屋の前庭が駐車スペースだとばかり思い込んでおり、この道にクルマを入れて苦労しました。主屋には掃除機をウーウー鳴らしながら掃除している従業員がおり、駐車場は主屋の裏側(北側)だと知ったのでした...

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沖台風の来襲から家を守る為に軒を低く構えた家が沖縄では多く、「古民家 かねや」さんは伝統構法の木造建築で建てられた古民家でした。建築年等は不明ですが、戦後暫くしたあたりでしょうか? もしかすると建物自体は更に古いかも知れません。屋根は明治二十二年(1889)の一般家庭における瓦葺屋根解禁以降に茅葺から変えた、もしくは消防法により茅葺が禁止された時に比較的に瓦屋根にしたのかもしれません。

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南を向いた玄関から屋内に入ってみました。東西に縁があり、奥(東側)から6畳の一番座(床の間)、その隣りに同じく6畳の二番座(仏間)と並んでいます。一番座が南と東に面して、夏場の南南西から東よりの通風があり、採光と共に家の中で最も良い位置にあたるようです。天井には棹縁と呼ばれる角材が天井下に等間隔で並び、1番座ではそれが南北に、二番座では東西に渡されていました。写真を撮らなかったのですが、二番座の西側は台所(ダイニングキッチン)と典型的な琉球家屋だと分かる配置となっています。南東側が公の場/男性中心の場で、北西側がその反対の女性を中心とする考えが伝統的な屋内配置に概念になるようです。

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二番座にある仏壇。その前には此処がロケ地となった「がじまる食堂の恋」のDVDが置かれていました。ご先祖に手を合わせる場所です。「古民家 かねや」は住居を完全に観光客向け宿泊所にした訳ではなく、親族一同が集まる時には此処の仏壇の前で先祖と共に宴を現在も開くのだそうです。

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観光客に人気の古民家カフェ/食事処ですと仏壇/床の間取り外すことで印象を変えているところが多いですが、宿にした後もそのままなのが好印象。床の間の右側に千手観音菩薩の仏画(写真なし)があったのですが、本土でいう大津絵の様な味わいのあるもので、沖縄の観音菩薩信仰の一端を伺わせる掛軸でした。「たいへんだ、たいへんだ〜」と騒ぐ、子供達が箪笥の中に見つけた1万円札の束。BOX TISSUEとの文字が見える気がしないでないですが、良心が試されていると思い、札束には手をつけずにそのままにしました(*´艸`*)ウシシ

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一番座、二番座の後ろ側(北側)にある奥座。通常は家族の居室や寝室に用いられる空間です。奥座の向こう(西側)には炊事場があり、更に向こうには古民家かねやにはないですが豚舎が置かれるの一般的な配置で、「東高西低」を重んじる沖縄の伝統家屋そのもの。日本本土での一戸建ては9割以上が木造建築ですが、沖縄では反対に90%が鉄筋コンクリートで木造は多くありません。なので、木のぬくもりに触れながら生活することが素晴らしいこと感じられる空間です。

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日が暮れる前の散歩帰りに一枚撮影してみました。主屋の手前に映る離れは敷地東側にあります。日本本土の民家の典型的な配置は四間型+土間で、冬季の作業場確保のために北へ行くほど土間が拡大していく傾向があります。冬でも降雪のない沖縄の民家は土間を持たないのが一般的で、古民家かねやにも土間はなく、農家の作業場は主屋前の前庭がその役を担う場所でした。

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台風の被害を避ける為に大規模な建築を避け、小規模建築を敷地内に複数配置するのが基本だった沖縄の伝統家屋は二棟造りで、主屋と炊事屋からなっています。炊事場は主屋の西側にあるのが常です。古民家かねやの炊事場は時代の変遷と習慣の変化を向けてか主屋の北西(勝手口が上の写真に見える)に設置されていました。主屋北側にトイレと風呂場が入った平屋の別棟がありました。

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冷房なしで過ごした一夜が明けました。窓を締め切る訳にもいかずなので、建物の東西南北+風呂場前で香取線を強烈に焚き込めて蚊と闘い、ヤモリさん達の助けも借りてなんとか生き延びて朝を迎えられました。早朝より観光客が散策をしている気配が感じられ、自分達が宿泊している場所の敷地内に入り記念写真をする人もおりました。寄棟造の赤瓦屋根の上には道教的な魔除けのシーサーが睨みを効かせているのでしたが....沖縄の何処でも見られるシーサーですが、波上宮にある島常賀さん作の迫力あるシーサーがやはり一番かな?

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高さ10メートルはあろうフクギの下の小路を宿から西に向かって歩くこと50メートル程。途中で左手に古民家かねやと同族経営のちゃんやーさんを過ぎると木立の合間に海が見えてきました。水中メガネにビーチボールと浮き輪と完全武装した前を歩く息子の姿を「大きくなったなぁ」としみじみ思いながら歩くと、波音が次第に大きくなり浜辺に出ました。

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当初は北側の備瀬崎か、南側のエメラルドビーチまで歩いて行こうと考えたのですが、そこそこ距離があったので宿の近くでジャブン。昔より航海の目印とされてきたと云われる伊江島の城山(タッチュー)を背景にして、青空の下、透き通るかのような海で遊んだのでした。

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弓状の海岸砂丘に沿って南北500メートル程のフクギが並んでいます。人口500人程の備瀬の集落の主な産業は観光と建築、サツマイモやキャベツ等の農業。遠くに見える備瀬崎から南は、台礁に囲まれており波が比較的穏やかな場所になっています。小型船で漁をする青年達と会話をしたところ、タコや貝類がこの辺では取れるのだとか。

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海遊びを終えて宿に戻り、せっかくなのでと前庭で子供達の記念写真を撮影しました。青い空に赤瓦の屋根。まるで、どこかの親戚の家に遊びに来たかのような趣きです。宿を出発する前の準備中、娘は宿に置かれている旅人ノートに富士山とクジラの絵を描き、「楽しくお泊まりできました」とメッセージを書き残していました。