My Land My People、タイ国民に敬愛されたプミポン国王の回顧展

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タイ王国・国王陛下ラーマ9世・プーミポン・アドゥンヤデートが崩御されたのは現在から凡そ2年前の2016年10月13日。プミポン国王はタイ国民の生活向上に尽力し、政変が絶えないタイで安定の象徴として、国民からあつい崇敬を受けた国王でした。在位期間は70年にも及び、タイの国父として、また一人の人間としても敬愛を受けていました。

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国王が崩御されて比較的すぐに自分はバンコクを訪れていて、追悼番組や黒い服を着て追悼行進をする人々、プミポン国王が演奏されたサックスの録音を至る所で目にしたのを覚えています。バンコク中心部にあるバンコク・アート&カルチャー・センター(BACC)にて「偉大な国王を偲ぶ」回顧展が催されているのを知り、タイへの出張中に足を運んでみました。  ※開催されていたのは2017年8月29日から11月26日

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展示は大きくわけて3部構成となっており、2017年10月25日からおこなわれたタイ各地での葬儀の様子を写した写真、生前の国王殿下を写した写真と肖像画、プミポン国王自らがキャノンのカメラで写された写真の展示となっていました。訪問したのが平日だった為か、郊外学習で訪れたと思われる小学生から高校生までの団体訪問者が多い印象でした。

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王宮そばに特設火葬場が崩御より1年をかけて用意されていました。国王崩御の直後には民間企業で1ヶ月、公務員で1年間が喪に服す期間とされていました(昭和天皇が崩御された時には民間企業で2日間、公務員で6日間でした)。荘厳な葬儀出棺の隊列をテレビ中継で見ていましたが、日本人の自分には昭和64年2月に執り行われた大喪の礼を思い出していました。

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手荷物を預けて、回顧展の展示場に入ると多くのアーティストによる国王の肖像画が展示されていました。200年以上続く現チャクリー王朝の首都バンコクの正式名称クルンテープは帝釈天が命じて創られた「神の都」のタイ語で、歴代の王がラーマX世と呼ばれているのは叙事詩ラーマヤーナに登場する理想王ラーマの名前にあやかっています。

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プミポン国王は1927年に米国マサチューセッツ州で、ラーマ5世の69番目の息子と米国に留学していた母の間に次男として産まれました。上の写真は米国滞在時の1枚で、左からラーマ8世となる兄アーナンタマヒドン、姉カンラヤーニワッタナー、そしてラーマ9世となるプーミポン・アドゥンヤデート、2人の国王の母シーナカリンと並ばれており、どこの家庭でも見られる幸せそうな家族の表情が見られます。

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兄の急死により、19歳で即位したプミポン国王を写した写真を飾る特別な空間がありました。カーテンの前に書かれているタイ文字はพระบาทสมเด็จพระปรมินทรมหาภูมิพลอดุลยเดช มหิตลาธิเบศรรามาธิบดี จักรีนฤบดินทร สยามินทราธิราช บรมนาถบพิตรと書かれており、プミポン国王の正式名でした。タイ文字が苦手な自分には難しく、判読するまでにだいぶ時間を要しました(´*ω*`)。

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内部はこのような感じです。写真だけではなく、国王が愛用していたカメラや楽器等の展示もあり、雲上の人というよりは身近な人であるかのような錯覚をしてしまいそうな空間。訪れているタイの人々もその遺品の写真を撮ったり、SNS用に自撮りをしていたりと緩やかな雰囲気でした。

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そして、最後の会場に展示されていたのがプミポン国王自らが写した写真の数々。ひとつの国を統べる国王が何を見て、何に興味を示したのかの一端が伺える貴重な展示物です。その多く占めていたのが国王の家族、愛犬のK.トーンデーン、子供達に妻のシリキット王妃で、特に妻であるシリンキット王妃の写真が多くあるのを見て、「自分は子供が産まれてから、妻の写真撮らなくなったなぁ」と少し反省しました。

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展示されていた写真のなかで、最も記憶に残った一枚がコチラです。子供達と変わらない視線の高さから推測してクルマの中から写したのだと思います。沿道を埋める人々のひとり、ひとりの表情が印象的に映り、「My Land My People」というダライ・ラマ14世が書かれた自叙書の題名(邦訳:チベットわが祖国)が頭に浮かんできました。