大きな泣き声で邪気を払う泣き相撲、息子と娘の初土俵入り

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浅草神社の氏子四十四町を中心に、大小合わせて百基以上の勇壮な神輿が渡御する浅草三社祭。自分が幼少の頃より熊手や鬼灯を親に連れられて毎年買いに来たり、お華の先生宅がまだ浅草にあった頃には妻も義妹も寿町の神輿を担いたりと浅草は何かと縁のある場所です。今回はまだ浅草からスカイツリーが見えない頃に、妻と自分の両親を含む三世代で初めて浅草を訪れた時の話しとなります。

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浅草に揃って訪れた理由は上の写真の通り。毎年春に浅草寺の境内で開催される泣き相撲に息子を参加させるためでした。この泣き相撲は舞台が有名な浅草寺ともあり人気が高いらしく、参加枠の40組に対して抽選がおこなわれます。圧倒的なクジ運を誇る自分は「定員をはるかに上回る申し込みがあり厳正なる抽選の結果...当選」との葉書を受け取っていたのでした。その当選ハガキを懐に、晴れ渡る青空のもと雪豹柄のベビーカーを押して雷門までやって参りました。

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まだ改装中だった浅草観音本堂前に設けられた特設土俵に集まり、第十二代市川團十郎の挨拶にて催事の開始が告げられます。素晴らしい天気で開催できることを祝い、子供達が怪我のないようにといった内容のスピーチをされていました。

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泣き相撲での対決の前に子供達は土俵に上がり、おデコに御加護のハンコを一人づつ押して貰います。ウチの息子は現在ではスリムになってしまいましたが、赤ん坊の頃は落っこちそうな福福しいほっぺの持ち主でした。当日は大人が日射病になるのではないかと思われる程に暑く、赤子達には少し厳しいなかでの浅草場所の開始です。

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「ひがあし〜、にいし〜」と取り組みをおこなう子供達の名前が呼ばれると、土俵下にて待つ日本大学相撲部のお相撲さんに子供を手渡します。相撲という事で肌着に黒い布を縫い付けてマワシに見えるようにしていました。東西土俵下より中央に進みいで、行司の「はっきょよい、のこった」の掛声により泣き相撲開始。先に泣くか、後から泣いても10秒以内であれば泣き声の大きい方を勝ちとするのがルール。

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組ませ役の力士が赤ん坊を持ち上げたりして、なんとか泣き声を響かせようとして大きな身体で揺すり、土俵の外からも「なけなけなけ」と掛け声が飛んでくる滑稽な姿。赤子は邪気を祓い福を招くと言われ、大きな泣き声は強く邪気を祓うのが泣き相撲の由来だと言われております。

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息子は産まれてから現在まで「オレみんなに愛されてる」と信じているせいか、人見知りをしたことが一切ありません。それでも、裸姿の知らない男に抱えられる異様な雰囲気に押されてか土俵の上では直ぐに泣きだしていました。「これは勝ったぞ」と見ていて思ったのも束の間、行司さんは相手の女の子の名前を勝者として読み上げていました。どうやら、相手の子供の方が泣き声が大きかったようです。

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それから3年後の9月。栃木県鹿沼市にある生子(いきこ)神社の例大祭にて娘が初めての土俵入りしました。娘は一歳数ヶ月。「このおぼうち、ないなってぇ」と被り物を嫌がる幼い頃の娘の写真です。兄と同じく、肌着に赤い布のマワシを縫い付けての土俵入りでした。

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東西から子供を抱えて土俵中央に上がり、ヨイショの掛け声と共に三度子供を高く持ち上げて、元気な鳴き声を競う古式泣相撲。「ウチの子が先に泣いていたぞ、大きい声だったぞ」と、どの親も心の中では思っているのでしょうが、生子神社の泣き相撲では勝敗をつけずに東西両方共に勝ち名乗りを受けるようになっていました。子供達の健やかな成長をとの願いが届いたのか、うちの子供達は大きな怪我もなくスクスク育ってくれ、今年の春からは娘もランドセルを背負って息子と一緒に毎日元気に登校しています。