棚田のあかりを歩く、石垣田ライトアップ「結東の灯影」

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三世代旅行で新潟にでかけて参りました。関越自動車道を走り、南魚沼で食事をしたりしてから辿り着いたのが秋山郷です。現在では自動車道路が整備され、容易に訪れられる地域となっていますが、山深く、国内でも有数の豪雪地帯であったことにより秘境と呼ばれた地域でした。昭和の初めに秋山郷に入った測量隊にたいして住民が、「源氏はまだ栄えているのか?」と尋ねたという作り話しが流布する程の場所です。

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 群馬県の野反湖周辺より集まった水より流れる中津川が秋山郷には流れ、東に苗場山(2,145m)、西に鳥甲山(2,037m)に挟まれた山間部に新潟県と長野県の信越県境を跨いで集落が点在しています。群馬県中之条と新潟県上越市を結ぶ国道405号が秋山郷を走るも、高険しい山々に阻まれ全線開通開通は未だしておらず、山間部は狭路なところも多い為か国道ではなく"酷道"とも言われています。

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秋山郷はその山深さ故にたびたび飢饉に襲われました。天明、天保の飢饉の時には秋山郷の名前の由来となった大秋山の集落を含め複数も村々が全滅。秋山郷の結東神社の脇には小さな石碑が立っています。これは秋山郷が飢饉に陥った時に村を救った片貝村の造り酒屋営む佐藤佐平治翁の遺徳を後世に伝えるものです。佐平治翁は救済米や稗を無償で配り、金50両(現在の1,000万円ほど)を秋山郷の村に与えと私財投げうって秋山郷救済に臨んだ義民でした。村は金50両を佐平治翁に借りて貰い、佐平治翁は毎年三両二分の利息を村に支払い続けました。この支払いは佐藤家子孫代々引き継がれ、昭和42年まで134年もの長きに渡り続けられたそうです。

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そんな歴史のある秋山郷を訪れた日の晩に、「結東の灯影」と名付けられたお祭りが開催されていました。ボランティアと思われる案内人の指示に従って廃校となった小学校の校庭にクルマを停め、田舎道を15分ほどてくてく歩くと、テントが立ち、人達がワイワイと集まる場所に到着。到着するや否や紙コップ酒を問答無用で押し付けられました。大虎な妻と小虎な息子は迷わず受け取り、一杯やるべかと大喜びです。

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お祭りの会場は結東集落の北側にある「結東の石垣田」と呼ばれる、石を積み上げて築かれた石垣の棚田が見られる場所でした。秋山郷の土には石が多く、田んぼには向かない土地だった言われています。飢饉対策として耕作地を広げる為にと、この棚田は上述の佐藤家よりの利子を用いて明治中期より長い月日をかけて開墾がなされました。大きな石を掘り出しては積み上げ、石垣を拵えては土を運び入れと繰り返し。その石垣は高いものでは3メートルにも積み上げられており、棚田の水面には秋山郷の山々を映し出されておりました。

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古代遺跡の跡かと思える棚田に2,000本のキャンドルが灯り、日が暮れていくにつれ幻想的な風景を現れてきます。プラスチックの容器に入った蝋燭は畦道に置かれ、棚田のカタチを浮かび上がらせていました。田植え後の田んぼにキャンドルの明かりが映り込み、周囲はカエルの大合唱。地元の方の話しによると、此処の棚田で獲れるお米は周囲の環境に加え、山の斜面の面積が狭い場所で作られる事により、きめ細かい手入れがされているので美味しいとのことでした。

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最初はあぜ道を歩いて見学かと思っていたのですが、クルマが入れる道が石垣棚田も奥まで整備されていました。屏風岩のような斜面が迫り、積み上げられている石垣は近くで見るとチグハグな個所も見受けられます。また、最近補修されたと思われる箇所にはコンクリート"石垣"も見え、先人の苦労とそれを継承しようとする現代の人の共作にも見えました。

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自分達にとっては初めての「結東の灯影」でしたが、周囲には何年も通い続ける大きな機材を抱えたカメラマンが沢山。なんでも地元の写真コンクールがあるのだとかで、我が家の子供2人と東京から来ていた男の子1人が格好の被写体となっていました。ライトアップされた石垣田の中を仲良く手をつないで歩く子供達の図とすべく、カメラマン達の細かいリクエストに巫山戯ながらも応える子供達。上の写真の様に立ち止まっているのは不自然だと言われ、歩く振りをしろと命令が飛んだ後が下の動画です。

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なんちゃってヤラセ撮影会も無事に終え、愉しく賑やかな声が山間部に響くお祭り会場へと戻っていきました。晴れていればロウソクの灯りと星空の共演も期待できたでしょうが、墨絵のような風景もまた良いものです。あぜ道に沿って並べられていた灯りが棚田の曲線を美しく描き出していました。