忠犬ハチ公と忠犬シロ、2匹の秋田犬の物語り巡り

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秋田県に家族で行って参りました。魅力溢れる秋田は特に好きな地域なのでこれ迄の訪問回数も多く、書きたいと思う事が沢山控えておりますが、今回は秋田の代名詞ともなりつつある秋田犬(あきたいぬ)に焦点を当てて話を進めたいと思います。秋田県の玄関口と呼ばれる場所には決まって愛くるしい秋田犬が待っており、多くの訪問者を出迎えてくれます。

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現在でこそ秋田犬、秋田犬と持て囃され、騒がれていますが、狩猟犬であった秋田犬を山中ではなく、街中lで一般人が見るようになったのは最近のことだったりします。明治期までは一般的に犬の認識は町犬、野犬程しかなかったものの、海外よりの犬の輸入が急増し、雑種化が進むなかで、日本原産である"日本犬"を保護しようと北海道犬に甲斐犬、紀州犬、四国犬、柴犬、越の犬、秋田犬の7種が天然記念物として指定。川上犬や琉球犬などの地犬と呼ばれる犬達と合わせて、"日本犬"として注目を浴びる事となったのでした。

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それらの犬のなかでも秋田犬は特に大型で、奥羽山脈で狩猟をおこなう為の犬として飼われてきた猟犬が元であり、昔は滅多にその姿を目にする機会のない犬でした。体が大きく余計な飯を食うとして嫌われ、戦中には軍用犬以外の犬に捕獲命令があったのと、シェパード等の洋犬との交配が試みられ事により、"純"秋田犬として戦後に残っていた数は僅か10匹余しにまで激減してしまいました。

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秋田犬として最も有名なのはJR渋谷駅前の広場に立つ銅像にもなっている忠犬ハチ公でしょう。日本の農学者で、東京大学教授・上野英三郎は大正十三年(1924)に秋田犬を買い求め、ハチと名付けました。然しながら、上野教授は翌年に脳出血にて急逝。上野教授は出かける時にはハチ公を渋谷駅まで伴う事も多かったのでか、飼い主の死後も思い出の渋谷駅前で主人の帰りを毎日待ち続けていたのでした。

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主人を待ち続ける姿を紹介した新聞記事への投稿があり、人々に大きな感銘与えました。昭和九年(1934)には記事を投稿した斉藤弘吉氏が発起人となり、渋谷駅前にハチ公の銅像が設置される迄となったのでした(ハチ公も除幕式に参列)。ハチ公の人気はうなぎ登りで、「恩ヲ忘レルナ」の題名にて当時の小学校の教材として採用されるにまでにも至りました。翌年の昭和十年(1935)の3月に現在の渋谷ストリーム付近にて主人の帰りを待ち侘びていたハチ公の遺体が発見されます。解剖の結果、ハチの死因は悪性腫瘍だと云われており、青山霊園にある上野教授の墓同じ敷地に葬られたのでした。

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そんなハチ公の生家とも言える産まれた場所は秋田県北部、青森県と県境を接する大館市・大子内に実在し、育ての親である斉藤義一氏宅の血縁者が現在も暮らしています。ここがハチ公の物語の始まりの地。ハチ公は父犬の「大子内」と母親の「胡麻」の間に生まれた仔犬で、生後50日ほどで米俵に入れられて、丸1日に及ぶ列車の旅で大館から東京へと送られました。当時は大坂で1円タクシーが登場した時期で、1円の価値を仮に500倍で計算すると、ハチ公(30円)は15,000円ほどで譲られた事になります。参照までに、秋田犬の子犬が取引されている価格は現在ですと10万円ぐらいです。

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国内のみならず、海外にも伝わった忠犬ハチ公の話しは戦前でも既に広く美談として知られており、国内では「ハチ公物語」、米国ではリチャード・ギア主演の「HACHI」として映画にもなりました。そんな秋田犬にはハチ公だけではなく、ハチ公の先祖と呼ばれる忠犬「シロ」の物語が地元秋田にはあるのだと「秋田犬会館」博物室で初めて知る事になりました。今回の話しの本編は秋田県の北部、岩手県との境に位置する鹿角から青森県三戸一帯舞台とした、この元祖秋田犬であり元祖忠犬とも呼ばれる「シロ」の話しとなります。

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奥羽山脈を東から西へと越え、鹿角の開拓の祖となった猟師・定六さまは、下野国・荒二山神と上野国・赤城神がそれぞれ大蛇と大百足に化けて戦場ヶ原で闘った時に荒二山神を助け、大百足を退治した万二万三郎さまを祖先に持つマタギでした。先祖である万二万三郎さまは戦いでの褒賞として、国内の何処であっても狩猟を許可するマタギの免状を受領したと伝説が伝えられております。また、定六さま自身も源頼朝公が富士の裾野で巻狩りをする時に呼び出しを受け、源氏の棟梁の前で見事に大猪を仕留めました。子孫に至るまで如何なる藩、領土であっても狩猟が認められる天下御免の免状がその武勲として定六さまに与えられました。

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江戸時代初期の頃、定六さまが開拓した集落・草木には、定六さまの子孫で名人との声も名高いマタギ・佐多六さまが妻と一匹の狩猟犬シロと共に住んでいました。佐多六さまが山に狩りに出かける時には子牛ほどある大きな白い猟犬シロをいつも連れていき、佐多六さまはシロを自らの子のように、シロは佐多六さまを親の様に慕っておりました。

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ある冬の朝、佐多六さまとシロは狩りに出かたのですが獲物がなかなか見つかれず、峰々を越えて四角岳あたりまで辿り着いてしまいました。佐多六さまが諦めて帰路につこうとした時に、シロが猛然と吠え初め1頭の羚羊を目にします。ズドーンと火蓋を切った火縄銃の音が山々に木霊すると、名人・佐多六の放った鉄砲玉は見事に羚羊に命中。シロと佐多六さまは血を流しながらも逃げようとする羚羊を捕まえようと、来満峠を越えて夜通し山中を歩き続けました。

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南部藩・藩主の座す三戸城から遠くない川岸の洞窟に、手負いの羚羊が隠れているのをシロが発見します。1匹の幼い羚羊に乳を与えていたのでした。一瞬トドメを刺すのを佐多六さまは躊躇するも、四里も雪道を追い掛けた貴重な獲物をみすみす見逃すことはできず親子共々仕留め、皮を剥いでいました。その時の発砲音を耳にした地元の猟師達が駆け付け、佐多六さまを他領で猟をする不届き者だと拘束し、三戸城へと連行されてしまったのでした。佐多六さまは「大殿様より頂いたマタギ免状が此処に...」と懐から取り出そうとするも、この日に限って草木の自宅にある仏壇に置き忘れてしまったのに気が付き絶句します。

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役人に何度申し開きをしても埒が明かず、牢に投げ入れられた佐多六さまの処刑が決まります。関ヶ原の大合戦が終わったばかしで徳川の治世に移る移行期。仙台藩の勢力拡大を懸念していた南部藩にとっては、大きな犬を連れ、城近くで発砲する身元不明な佐多六さまはは怪しむべき人間だったのでした。「あのマタギ免状があれば...」と呟く佐多六さまの力の抜けた姿を目にしたシロは、脱兎のごとく草木の自宅へと走ります。主人が帰らないのを心配していた佐多六さまの妻は、雪まみれになって走り込んできたシロの姿を見て狼狽するばかし。仏壇に向かって執拗に吠え続けるシロを見て、主人がマタギ免状を家に忘れた事に気が付いたのでした。

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巻物を竹筒に入れ、シロの首に確りと巻き付けるや否やシロは再び三戸城へ向かって走り出します。雪の積もった山道を息を切らしながら走り続け、来満峠を越える頃には東の空が明るくなりかけていました。その頃、三戸城では縄に結ばれた佐多六さまを刑場へと牢屋番が連れて行き、首切り役人が刑の執行の準備に取り掛かっていました。「自分の犬が戻るまで、暫くの間待って欲しい」と懇願する佐多六さまの願いは聞き入れられず、無慈悲にもシロが免状を持って到着する前に刀が振り下ろされてしまったのでした。

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打ち捨てられた主人の亡骸を認めたシロは、草木への帰り道の山中にて七日七晩怨みの遠吠えを続けました。この七日間は厳しい吹雪が三戸城を襲い、不可解な事件が立て続けに起こったと云われております。その時にシロが籠っていた場所は現在でも「犬吠森」と呼ばれております。草木の家にボロボロの姿で戻ったシロを迎え入れた佐多六さまの妻は、夫の死を悟ります。三戸城での処刑の報は草木にも伝わり、罪人の妻は村を追われ、隣国・久保田藩の葛原(くぞわら)集落へと流れ着くことになるのでした。

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葛原の親切な農家に救われた佐多六さまの妻は、夫を亡くした事に気落ちして間もなく死んでしまいます。老いたシロも狩猟犬として活躍していた頃の覇気を失い、米代川の南にある山中にて人知れずにその生涯家族を閉じたのでした。佐多六さまとシロの悲話を聞いていた葛原の人々は、発見したシロの遺体を粗末に扱うと祟りがあると非常に恐れ、村の見晴らしの良い小高い場所に埋葬して、観音様の社で一緒に祀る事にしたのでした。

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秋田杉が立ち並ぶ、麓の駐車場からの細い小道を登っていくと佐多六さまとシロを祀った老犬神社(ろうけんじんじゃ)が見えてきます。神社の参道左手には「老犬さまの水」という不思議な水が湧き出ており、この水を田圃に流し入れると害虫を駆除できたと云われて、近郷の農家からも汲みに来る有難い水として感謝されたそうです。

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老犬神社の神殿内部には、参拝者が祈願し、奉納した多くの白い秋田犬の像や絵馬が置かれていました。佐多六さまとシロの物語は実話であると伝えられており、老犬神社のある葛原と佐多六さまの家があった下草木には多くの故事が伝えられています。佐多六さまが命を落とす事となった、南部氏中興の祖・南部信直より佐多六さまが賜った狩猟免状も現存しており、そこには平将門を討ち取った藤原秀郷の子孫であり、頼朝公の御用働きをした功によって子孫代々まで狩猟通行御免の免状を交付すると書かれております。

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秋田犬を使っての、秋田の魅力を伝えるキャンペーンが大々的に展開されており、美味あり、美人ありのふるさと案内役を秋田犬が各地で勤めています。ピンと立った三角耳と丸まった尻尾。均質のとれた体にもふもふの体毛。世界的に人気が高まる秋田犬は全世界で7千頭ほどが現在登録されており、その6割は海外となっているそうです。

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秋田犬の育成者の減少、大型犬ゆえの飼育放棄による殺処分増加、血統の劣化と秋田犬を取り巻く環境は厳しい状況なのだと秋田犬に会える各所を巡り教えて頂きました。その愛くるしい外見と従順な性格に惹かれて、昨年わが家で犬を飼う話しが浮上した時にも候補として秋田犬も浮上しましたが、大型犬を10年に渡り責任を持って飼うのは手に余ると感じて諦めたのでした...