てるくふぁ粟国島の沖縄海塩研究所にて、「粟国の塩」造りを見学

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沖縄県粟国村に行って参りました。この粟国島にはハブはいないと長く言われていたのですが、近年ハブが10匹以上も発見/捕獲され大騒ぎ。蛇の生死を問わず1匹5000円にて役所が買い取ってくれると公示されています。「我が家の生活向上のためにハブを捕りまくるぞ!!」と子供達に冗談を言いながら粟国島に来たのでした。

注:ここから先の内容は過去2回の粟国島訪問をまとめてしまっており、途中で写真が混在してしまっています。

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粟国島は沖縄本島の沖50キロの東シナ海に浮かぶ孤島で、現在は700名程の人が暮らしており、西・東・浜の集落にはところどころに赤瓦木造住宅が未だ見られます。島そのものが火山による体積によってできており、三角形のカタチをした島は高い西から東側に向かって傾斜しています。他の沖縄の離島同様に充分な水源がないために田圃はなく、穀物は粟、麦、黍に甘藷を育てていました。また、鮪、鰹を中心とする漁業や牧畜を営んでいます。近年は砂糖黍やもち黍の生産、島周囲の澄んだ海水を使用して作る塩も島の特産品なっており、複数の製塩所が島内で稼働しています。

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「ちょっと、おばぁ行ってくるねぇ」。粟国島は20年程前に上演された映画「ナビィの恋」の舞台として一躍有名になりました。登川誠仁氏を初めとする沖縄民謡の大御所が出演し、ちゅらさん等の沖縄ブームの先駆けとなった作品でもありました。長老役のりんしょーさんとその妻役のみしゃこさんの素晴らしい三線語り弾きが披露されたナビィの家を、石垣の屋敷囲いの小道の先に発見。「今日や月ん美らさぬ十三夜、木草花ん心起かさりてぃ恋ぬ花咲ち 我した人間ぬ恋花咲ち何ぬ悪っさが...」とじゅりぐわぁ(女郎)小唄・十九の春を唄う前振りで、「我した人間ぬ(わしたにんじん)」の部分が子供達には「あしたニンジン」と聴こえるらしく、子供達は明日人参と聞くだけで現在でも可笑しくなってしまうマジックワードとして我が家に定着したのでした。その舞台である昭和7年に建てられた安里家住宅( ´艸`)聖地巡礼デス。

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「わが子よ いとしの汝を 父君の形見とし こころして愛しみつ きょうまで育て上げぬ♪」。うちの子供が「ロンドンデリーの歌」や「十九の春」を覚えたのはこの映画がキッカケでした。「月は無情言うけれど 貴方は月より更無情 月は晩来て朝帰る あなた現在来てスグ帰る♪」と歌いながら通学路を下校する息子よ、妻が恥ずかしいから辞めさせろと迫るも父は強権発動で跳ね除けたぞ。なので、「足もとの草むらより 立つはさえずるひばり ああわれも強くたちて わが家の栄誉を守らん♪」と歌って下校しろ。「流す涙なら 潮風で消えるよ つらい思い出は ジントヨー 歌で消えるよ♪」と、ついでにジントヨーも覚えるんだ!! 上の坂道も映画のワンシーンに登場した場所です。

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ハブ出没の多い言われる空港北東部を歩いてみると、多くの黒毛和牛がノンビリと闊歩する村営牧場に出ました。牧場内には沢山の蘇鉄が自生しているのが離島らしい風景に思えます。粟国島は孤島であるが故に天候如何によっては飢饉が不可避で、島内には救荒植物である蘇鉄見ることができるのです。沖縄では蔡温時代(1682~1761)に人口1人にたいして30本と指定して植えさせた記録も残っており、海の美しさとは裏腹にも生活は沖縄本島を含めて長く苦しい場所だったと伝わっています。粟国島は蘇鉄の多い島として有名です。

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海に向かって暫く歩いていると、今回の目的地である沖縄海塩研究所に到着しました。上の写真に写る作務衣姿で作業されている方が研究所所長・小渡さんで、前回訪問した時には製造現場のご案内を頂いただいたのでした。サイパン生まれの所長は元々は那覇や読谷に拠点を構えていました。健康に塩は重要であると考え、製塩に最適な場所を求め続け、生活排水などの影響が極めて小さい粟国島北岸に辿り付き、1994年にこの沖縄海塩研究所という名の"塩工場"を設立した塩道一筋40年の大ベテランでした。大変残念なことに、2018年10月にお亡くなりになりました。

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沖縄の製塩も御多分に洩れず、戦争→米軍統治→本土復帰と時代の荒波に呑み込まれていきました。現在ではヨネマース/シママースが沖縄市場の大半を占め、粟国島や宮城島等の海水釜焚き塩が残りを埋めている状態となっています。明治三十八年(1905)に沖縄含む日本全国で塩の専売制が税収増の為に開始され、海外から輸入塩との競走に負けないために生産効率の向上が国主導で続けられ、1971年の第4次塩業整備にて、沖縄が本土復帰する1年前には国内600社以上あった製塩業者はほぼ全て製塩停止。現在の国内塩需要(工業用ソーダ8割、食用1割、その他1割)と同じく、圧倒的な工業用需要を満たすために高純度の塩が求められ、広い場所と人手が必要な塩田が不要なであるイオン膜方式への生産方式を採用する大規模製塩7社のみが本土では存続するのみとなりました。

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↑沖縄で唯一残る屋我地島の入浜式塩田。沖縄での製塩は17世紀に薩摩より導入された入浜式塩田により大きな飛躍を迎え、これにより泡瀬や泊が塩の主要産地となっていました。1971年に本土で、翌年の本土復帰時には沖縄でも適応された第4次塩業整備により沖縄からも塩田が全て消え去り、市場7割を超えるシャアを持っていた泡瀬の沖縄製塩を含め多くの製塩所の釜の火が消されました。国の強行的な政策に反対する自然塩復活運動のリーダー・谷克彦氏が製塩実験のために沖縄に滞在しているあいだに、タイル会社の経営者だった小渡所長は谷氏と出会い、その指導を受けたのでした。

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他の製塩所ではなかなか目にする事のない、花ブロックを高さ10メートルまで積み上げた異様なコンクリートの建造物「海水を濃縮するタワー」がこの製塩所で鹹水を作る装置で、前述の谷克彦氏が考案したタワー式製塩法に基づいたモノです。東シナ海よりポンプで汲み上げられた海水は此のタワーに先ず導かれていきます。7社体制よる安定供給を目指したイオン膜・立釜式での塩は塩化ナトリウム99.5%の極めて純度の高い塩で、家庭では通称・食卓塩として普及しました。この塩はその純度故に丸みや旨みが少なく味が尖っていました。昔ながら自然塩の復活を求める活動が日本各地で起こり、所長の小渡さんが20年に渡る研究の末に開いたのが「沖縄海塩研究所」。平成9年(1997)に92年間続いた塩の専売制が廃棄され製造の自由も認められましたが、沖縄海塩研究所はその自由化前に開業した"研究所"であった頃の名前を残し現在至っています。

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内部には1万5千本もの孟宗竹が緻密に組み上げて逆さ吊りにされており、海水はこの竹を滴り落ちる間に浜風と太陽熱により水分を蒸発させます。建物内部で海水を1週間ほど循環させて、3%程の塩分濃度だった海水を20%にまで濃縮した鹹水をタライで受け集めます。この花ブロック外壁により来襲する台風破壊を避け、内部循環により南国の降雨と日照不足問題を解消した画期的な仕組みとなっています。粟国島には竹は自生しないのでヤンバルから取り寄せた竹だそうで、他の木材使用するよりも長い時間使用耐えるのだとか。

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「いのちは海から」と書かれた小屋では、パチパチと音を出して薪で焚く平釜を使っての作業がなされていました。2交替制で30時間かけて塩を炊きあげ、水分を蒸発させて塩と苦汁を得ます。作業をされていた方にお話しを伺うと、塩の塊の表面に浮き上がってくる海水のアクを掬いながら火にかけるのがコツなのだとか。その後には自然乾燥をして、塩の結晶から苦汁と水分をタイル張りの脱水層にて抜きます。この時に苦汁を程々含む状態で完成とするのが良い塩の造り方だそうです。因みに、建物内もタイル張りになっているのは、所長さんが腕の良いタイル職人でもあったからだとか...。

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沖縄海塩研究所では有名な釜焚きだけでなく、ビニールハウス内で天日塩も作っています。夏場であれば3週間ほど、冬場であれば2か月程をかけてタイルの上で水分を蒸発させるとキメの細かい塩となります。火を操り造る釜焚き塩も、火を通さないで太陽の力で造る天日塩も共に美味しそう。独自のにがりを残す製法により塩分は75%と低く、マグネシウムやミネラル豊富な塩になっていると教えて頂きました。昔の塩の復元ではなく、人間にとって塩はどうあるべきかを問うた、所長の長きに渡る研究の結晶である「粟国の塩」をお土産に買わせて頂きました。

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亜熱帯に属するも香辛料を使わない沖縄料理の味は塩、味噌、酢、鰹、昆布を基本としています。古くは甘藷を主食とし、薩摩や福建に学んだ影響が見られる伝統的な琉球の食文化、本土の影響を受けてできた料理や、米軍統治下の影響でできた缶詰料理と多様な背景を持っています。真潮と書いてマースと読ませる沖縄の塩は、スーチカー(豚の塩漬け)などの独自料理や、塩を使った本土では見られない調理方法であるマース煮(塩水だけで食材を煮る調理方法)もあり、みんな大好き沖縄そばにも塩は勿論入っており底味となっています。日本国内には4社6工場の大規模製塩工場から個人経営のものまで全国500ちかい製塩所が現在あるなかで、沖縄では30箇所ほどの製塩所が主に海水を原材料とする塩作りをしています。そのなかでも、太陽の陽射し強く照る、てるくふぁ島・粟国で作られる「粟国の塩」は、国内に留まらず海外でも一際高い評価を受けています。