龍門貴賓楼酒店/哈爾濱ヤマトホテル(旧名)スイートルームに泊まってみました

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昨年宿泊した蘇州の南園賓館が思っていた以上に面白かったので、今回遊びで来た哈爾濱でも歴史のあるホテルをと龍門貴賓楼酒店(旧ハルピン・ヤマトホテル)を宿泊先に選んでみました。

ヤマトホテルは満州鉄道株式会社が戦前に経営していた高級ホテルチェーン。満州鉄道沿線の主要な地に展開しており、日本の国力を見せつける迎賓館の役割をも担っていたこともあり豪華なつくりが多く、大連、瀋陽、長春等には名前は変われど、いまだにホテルとして営業を続けている処もあります。今回訪れた哈爾濱にも旧名・哈爾濱ヤマトホテルが現存しています。

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上の写真はホテル内にあった模型で当時の様子を再現したもので、ヤマトホテルは哈爾濱の玄関口・哈爾濱駅の目の前に建っているのが分かるかと思います。カラフルな屋根(ステンドグラス)のクルマ寄せが入り口なのですが、哈爾濱駅側ではなく1ブロック南側なのは、路面電車の線路との位置関係のように見えます。

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哈爾濱駅前のヤマトホテルから中央寺院を望む風景の絵葉書ですが、写真左手の建築物が当時のヤマトホテルの姿です。

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ハルビン空港(国内線)からは、ハルビン駅まで空港バスに揺られてやって来ました。氷祭り中ですので駅前にも大きな氷像が飾られています。空港からの途中でも大きな氷像が街中のロータリー等に飾られているのを見てきましたが、やはり哈爾浜駅前のは別格に感じられ、ハルビンに到着したと実感できました。

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駅前広場を見渡すと、今回の宿泊先ホテルの新館にあたる龍門大夏の高層ビルもすぐに目に入りました。ヤマトホテルだった建築は旧館?の龍門貴賓楼酒店となり、この高層ビルの裏手にあります。駅舎とホテルの位置は戦前と変わっていないように見えます。

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ヤマトホテルのクリーム色の建物が見えてきました。縦に長い窓は壁で建築物を支えていた時代への古典憧憬か、実は煉瓦積みでこのホテルは建設されたのか等を考えながら歩いていました。

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ハルビン駅から地下道を潜って、ホテルの壁に添って正面入り口に到着です。

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玄関の入り口部分です。ドアの両脇に不気味な像があるのですが、これが何かをホテルスタッフに尋ねるのを忘れてしまいました。このドアを通ると、中央に回転ドア、その左右に観音開きのドアがある空間に出ます。

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この回転ドアの回転する部分の銅製ドアはヤマトホテル当時のものらしく、殆どのゲストは回転ドアを通らず左右のドアから通っていましたが、折角なのでと滞在中中央の銅製の回転ドアを押していました。引っ掛かる部分もなく良く回っていました。

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ホテルロビーの左右とチェックインカウンターにホテルの歴史資料が多数展示されていました。東清鉄道ホテルとして落成されてから、哈爾浜鉄道局による経営による現在まで114年の歴史を誇り、1937年から1945年はヤマトホテルでした。

今回は高層ビル側の龍門大夏の部屋でなく、こちらの旧館の部屋にどうしても宿泊したかったので直接電話をして予約をしました。折角ハルピンまで遠出をして宿泊するのだからと、201号室(愛新覚羅溥傑や張学良が宿泊した部屋)に泊まってみたいと挑戦しましたが駄目でした。チェックイン時にも受付女性と掛け合ってみましたがダメ。宿泊用に開放していないそうです。

奥の赤いカーペットはレストランのエリアになるらしく、手前のこの建物は歴史的な建築物なので禁煙にご協力をと立札が見えました。

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昭和12年(1937年)1月に開業した哈爾賓ヤマトホテルの資料等も展示されています。

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受け取った鍵の部屋に向かうため、ロビー正面に見える大理石の階段を上っていきます。踊り場にある解説版によると、この大理石の部分は一度も交換しておらず当時の物と書かれておりました。

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踊り場からロビー方面を見下ろしています。突き当りに回転ドア、その手前左右に資料展示場、宿泊エリアに当たる2階への階段手前のドリス式の柱の左右にはデスクが置かれています。待ち時間はスマホをいじってばかりのスタッフですが、階段下にスタッフがいるのでセキュリティ面で安心感を感じられました。

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ヤマトホテル時代のロビー(玄関)の写真。回転ドアをくぐった処で撮影したもののようで、写真奥に現在上っている階段も見えます。

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2階に上る途中から振り返って撮影。ステンドグラスが自然光で輝いていて美しいです。写真を撮り忘れましたが、ホテルのクルマ寄せ天井もステンドグラスでした。

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照明が落とされていて、この階段を革靴でコツコツ言わせながら歩くだけで、気分が盛り上がってきました。ステンドグラスが自然光に楽しめるようにとの計らいか、手前の照明は落とされていました。

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2階に至りました。地球儀の向こう側のドアが宿泊希望を出した201号室です。毛足の長い絨毯が引かれており、当時もこうだったかと思いに浸っていると異臭が・・。

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ひとつ上の写真右手にも少し写っていますが、タバコ受けがありました。1本ねじ込まれた吸い殻が刺さっています。1階で禁煙の協力をとの立札を見たばかりだったので、どうしてタバコ受けが此処にあるのか理解できず・・。

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部屋へと続く幅広な廊下。キョロキョロしていたからか、清掃の女性に部屋番号を聞かれて、XXX号室はこっちだよと案内を受けてしまいました。自分が日本人だと解ると、「このホテルは外国人が好きらしく、日本人やロシア人がよく泊りにくる。日本人で中山?さんも泊まっていたよ」と教えてくれました。中山さんが誰だかは判らず・・。

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部屋のドアを開けると小さいながらも居間がありました。電話予約時に套房(スィートルーム)と言われていたのですが、電子メールや書面等の履歴はまったくなく、口約束だけの予約だったので少し心配していたのでやっと安心できました。入室して、まず気になったのがソファー前のテーブルにある灰皿、喫煙可能なようです。

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居間側から寝室側の眺めです。テレビは東芝大連工場製造のREGZAでした。木材を多用した快適な部屋でしたが、家具は当時のものではではなく皆新しかったです。

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寝室にも大きな窓があり開放感がありました。ベッドサイドには寝タバコ禁止との注意書きが・・。

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寝室側より居間側を見ています。寝室と居間はカーテンで仕切る事ができ、ベッド向こうに見えているドアは浴室への入り口です。

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浴室にはバスタブとシャワーブースの両方がありました。歯磨きセットや髭剃り、シャンプー等のアメニティ類が全てなかったので持参のものを使用しましたが、もしかすると清掃員がセットし忘れかもしれません。

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クラシックホテルなので、部屋の鍵は旧来の鍵を鍵穴に差し込むタイプとばかり思っていましたがカード式でした。後ろに高層ビルの見えない、往時の玄関を写した写真がカードキーに印刷されています。右側のハンコの押された紙は1Fの大食堂での朝食券。

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お茶セットはカップやお茶の包装にホテルのロゴが印刷されていました。

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各部屋にバルコニーがあり、外に出る事ができました。春節休暇期間だったので、ときおり爆竹が鳴り響いていて実に賑やかです。

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翌朝、今回の宿泊の目玉・大食堂へと朝食開始時間06時30分に一番乗りで赴きました。ヤマトホテルの時代の大食堂の写真もロビーにありました。

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今日のヤマトホテルの大食堂です。現在の名前は伏爾加饗庁(日本語だとボルガレストランになるのでしょうか?)。シャンデリア等の違いはあるものの、全体的にヤマトホテルの写真と非常に似た雰囲気のままです。

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反対側から見た様子です。男女が写っている場所が入り口の受付でした。ここ最近、東京と京都の迎賓館の内部見学をしたばかりで、それらの場所に通じるかのような豪華な雰囲気。事前に凄い場所とは知っていたにも関わらず、その空間に息をのみました。

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天井から目を降ろして、食事をする場所と並べられた朝食群を撮影。ハルピンヤマトホテルは立地とハードは抜群なのですが、スタッフにやる気が全く感じられません。スマホで待ち時間を潰しているのが当たり前ならば、朝食会場でもスタッフが朝食を並べ終わったらすぐに入り口スタッフに大声で「朝食に行ってくる~」と荘厳な雰囲気ぶち壊しな大声が聞こえます。

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名前を聞いたのですが失念していまったのですが、これが大変気に入りました。山葵を溶いた醤油につけると絶品で、ひとりで5皿以上頂いてしまいました。これを食べにハルピンに戻って来ても良い気分になりました。

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春節+氷祭りで賑わう中央大街。氷祭り会場に行く途中で寄ってみました。ハルピン滞在中にコンビニを一切見なかった(個人なんでも屋商店はある)ので、さすがに此処にはあるだろうと思ったのですが、意外にもこのショッピングストリートにも見当たりませんでした。

WIKIPEDIAより中央大街の説明

ハルビンを代表する歴史的な大通りで、ロシア語でキタイスカヤと呼ばれ、昔は中国人街であった。その規模は、全長1450m・幅21.34m(内、車道の幅は10.8m)。

ロシア統治時代の建築物が数多く残され、「東方のパリ」とも称される西洋風の街並みが一直線に松花江に向かい、南は経緯街(十字街)から北は松花江防洪記念塔まで伸びている。道をはさみ、欧州風建築物が建ち並び、その数は71棟。ほかに、ルネサンス式、バロック式、折衷式など中国でも珍しい多種多様な市指定建築物が13棟、保護建築は36棟ある。現在の花崗岩で敷き詰められた道は1924年に建設されたものである。その後も改築が重ねられ、現在は中心通りは歩行者天国となり、その後の中国の都市の通りの手本となった

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零下20度の氷祭り会場では、自分のスマホが痛いぐらい冷たい風を受ける度に自動的にシャットダウンをしてしまう状態となってしまい撮影放棄。余りに寒いので早々に撤退してきました。

哈爾濱種変には東北虎林園(シベリアンタイガー)や731部隊の史跡等もあり、黒竜江省の他都市とも併せて訪れたい場所が山盛りです。なので、年内に3泊4日の日程で再度来ようと考えています。その時は再度ヤマトホテルでも良いですし、中央大街にある馬達爾賓館(モデルンホテル)に宿泊するのも面白そうです。