ソメイヨシノの故郷、旧染井村(東京都豊島区駒込)でお花見散策

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どちらを向いても咲き誇る満開のサクラが見られる1週間。今年は珍しく花散らしの雨や強風もなく、朗らかな天気で花見には最高の春でした。桜前線が東京を通過していき、これからは北関東・東北方面、もしくは標高の高い山梨・長野方面に艶やかな花々が広がっていくことになります。

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上の2枚の写真は小石川植物園内のソメイヨシノの大木を写しました。ソメイヨシノの学名の名付け親として有名な植物学者・松村任三が小石川植物園のどの桜を標本木としたのかは現在となっては不明と言う事です。大きく枝を拡げる園内最大の古木は、その標本木であって欲しいと思わせる程に見事な枝ぶりの大木です。

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ソメイヨシノの生まれ故郷としてしられる染井村は現在の東京都豊島区駒込にありました。駒込地域を有する豊島区は区の木とシンボルマークをソメイヨシノとしており、ソメイヨシノを花の季節以外でも身近に感じられるようにと随所に目にすることができます。今回はソメイヨシノの故郷を見てみようと駒込駅で降りたのでした。

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駒込は駒込駅付近から染井霊園に向かって伸びる染井通りを挟んで、通りの南側は武蔵野台地の東端にあたる台地地区で、北側が低地部と分かれています。今回の出発地点JR駒込駅はその台地の崖から落ちるところにあります。隣りの田端駅(標高6m)から駒込駅(標高20m)まで山手線に乗車すると14mの標高差を登り、電車のなかから意識して見ていると面白いです。

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陸橋の欄干は勿論ソメイヨシノを模したもの。元々は薄紅で着色されていたのか、ところどころに色が残っているのが見られました。

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駒込駅より六義園の染井門まで移動。正面にある創業大正11年の蕎麦屋・小松庵の入るビルを挟み、右側の道は徳川将軍が日光参社に通った日光御成街道、そして左側が今回の目的地のソメイヨシノの発祥地・旧染井村へ向かう染井通りです。

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地理院の1936年頃の空中写真です。矢印の先が現在立っているところで、北へ向かう幅の広い道が日光御成街道。南側の少し黒くなっている菱形の場所は現在も残る大名庭園・六義園です。染井通りはこの六義園から北西に伸びる800m程の道で、1657年に江戸焼き尽くした振袖大火の復興時につくられました。その後に、通りの南側(台地側)には柳沢家下屋敷(現六義園)、藤堂家下屋敷、健部家下屋敷(現染井霊園)等の大名屋敷が軒を並べ、それらの庭園の手入れに周辺の農家が駆り出されたのが染井の植木屋の起りといわれています。

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六義園からスタートして、山手線が走る線路を跨ぐ「染井橋」を渡り染井霊園方向に進んでいきます。

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右手に小さな広場を発見しました。道沿いの石碑には「花咲か 七軒町 植木の里」とあります。染井村は江戸時代中頃に染井村から七軒町と名を変え、明治元年の江戸府より東京府へとなった時に駒込染井村と再度改称した歴史があるそうです。この碑は戦後のものだと推測しましたが、石碑の裏にも広場の建物内にも答え見つける事はでませんでした。この広場は「私の庭、みんなの庭」という名前らしく、豊島区の所有地ですが住民が運営して畑で収穫をしている場所のようで、訪れた日には子供達が小さな池でザリガニ釣りをして楽しそうに遊んでいました。

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正式な地名でないはずですが堂々と「染井よしの町」と書かれている町内掲示板。さくら、桜、サクラだらけの案内が多数張り出されています。

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染井通りから少し脇道に逸れたところにある駒込小学校にやって来ました。学校の子供達が歌う声が聞こえたので調べてみると、ソメイヨシノの故郷らしく、校歌も「都の春に名も高き 染井の里の花よりも 清く明るくほこらかに われら咲かん 駒込の...」という歌詞でした。

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その駒込小学校から「染井よしの桜の里」公園に至るまでの道がまた桜のトンネルでした。道幅が狭いので桜に囲まれているかのような気分になれます。ソメイヨシノは誰がいつ発見したのかはハッキリとは判らず、染井村の職人が江戸後期もしく明治入った頃に偶然見つけたというのが通説になっています。この辺りが染井村の中心だったらしいので、後年にこの木が日本国中のソメイヨシノの原木として発見されたりしないでしょうか? 駒込一帯を焦土と化したB29の空爆で焼かれ、突然変異して偶然残ったとか...。

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「染井よしの桜の里」公園に隣接する土地には桜の苗床がありました。作業をされている方に少しお話を伺うと、ここソメイヨシノ発祥地・染井で近隣の西福寺、染井稲荷神社、駒込小学校から受けた枝を接木して駒込生まれの「染井よしの」桜を育てているそうです。ソメイヨシノでなく染井よしのブランドとして広めるそうな。
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染井通りに戻り、突き当たりの染井霊園に辿り着きました。ここは明治政府が播州林田藩建部家屋敷/藤堂家抱屋敷跡に開設した墓地で、現在は東京都が管理する都営霊園となっています。23区内にある同じ都営霊園の青山に谷中、雑司ヶ谷と併せて緑地公園化の方針が出されていますが、先祖の墓の移動に合意する人は少なく、これからも大きくは変わることはなさそうです。

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染井霊園内にある土手にもソメイヨシノが植えられており、大樹をなして桜並木となっていました。普段であれば墓参や近隣住民のみでしょうが、桜咲く季節ですので普段は静かなはずの園内も、お祭りかのように多くの人で賑わっていました。

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まわれ右をして染井通りを六義園まで戻って来ました。この日の最後の目的地です。園の南側にある正門近くには高さ13メートル、幅17mの枝垂れ桜が満開時には圧巻の姿を見せてくれます。門をくぐって、その姿を見た時には「お〜」と思わず口にしてしまうことに。この駒込地域で最も立派な一本桜をこの日の最後の桜として、この日の歩き花見は終了としました。