壮大な水堀に石垣、巨石、豊太閤の築きたる大阪城見学へ

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大阪の北浜での待ち合わせ時間まで2時間以上あったので、近くにある大阪城に行ってみることにしました。羽田空港から伊丹空港に向かう時に左側席を選べば必ず見えるあの大阪城です。海外からの観光客増加を主な原因として、大阪城を訪れる人は毎年過去最高を更新していると聞き、何が良いのかと自分の目で確認したくなったのです。因みに、自分が大阪城を最後に訪れたのは小学生の時だったはず。

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乾櫓から大阪ビジネスパーク(1番上の写真手前の高層ビル群)方向の眺め。大坂城の西北の角に位置する櫓で、城の北と西側に睨みを効かせられる防御上の重要な場所に建っています。水が張られた堀の幅は50メートルはありそうで、この大きな堀を力づくで突破するのは無理だと一目で理解るほどに壮大なものに感じられました。

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国土地理院のデータで見てみると、この土地の際立った特徴が一目瞭然でした。北は大坂城より南は住吉大社付近まで上町台地が貫き、古くは都の置かれた難波宮、日本国土の神霊を祀る生國魂神社、聖徳大使建立の四天王寺、摂津国一之宮で全国の住吉社の総本山・住吉大社と著名な寺社がこの上町台地には立ち並んでおり、大阪城はその上町台地の北端に位置しています。大阪平野に城を築けと言われて、上の地図を見せられたら、多くの人が選んでしまうであろう尤もな場所(特等席)に大阪城はあるのでした。

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京橋口、青屋口、玉造口、大手口と4箇所ある入口のうちのひとつ、西南の大手口から入って行きます。現在の大阪城の実質的な正門は「大阪城公園駅」となっていますが、当時はこちらの大手門が正門だったとのこと。

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大阪城でボランティアガイドされている方の案内を受けられる幸運に恵まれ、あれこれ質問をしながら歩く事になりました。ここ大手門の横には千貫櫓があり、大手門に侵入しようとする敵を弓矢で狙い撃ちしていたそうです。千貫櫓は本願寺が昔ここにあった時に、織田信長が「ここを落とせしたものには千貫やる」という逸話から命名されたのだとか。

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大手門の右手には、幅70メートルある南外堀が広がっています。豊臣家を滅ぼした徳川家により、「石垣を旧城の二倍に、堀の深さも二倍に」との厳命によりできたのが現在の大阪城(豊臣家の意向は全て地中に埋めてしまった)との話しでした。

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千貫櫓からの横矢を掻い潜り、大手門を抜けると枡形虎口に入ってしまいます。ここではグルリと囲う建屋より一網打尽にせんと攻撃が仕掛けられる場所で、素早く駆け抜けようにも、出口にあたる多聞櫓の門や柱に鉄板が張らた非常に堅固な造り。

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その大手口枡形にあるのが実に巨大な石。現存する遺構には豊臣時代のものはなく、元和6年(1620年)から10年に渡る徳川幕府による再建以降の物ばかり。ここは肥後藩加藤忠広が築いたものと説明板にありました。ガイドさんによると、これらの大きな石は四角錐台の形をしており、尖った部分を地面に打ち込む形で埋まっているのだとか。

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ふたつの巨石の間に立って左右を見ると、より大きい正面右手の石(表面積29畳敷で城内4位)は中央が凹んでおり、反対の左手石(表面積23畳敷で城内5位)は膨らんでいるにがわかります。ガイドさん曰く、この2つの巨石はモトはひとつだったと推測されているそうで、共に瀬戸内海の小豆島から運ばれてきたのだとか。

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天守閣が目の前に見える本丸正面の桜門までやって来ました。付近にあった桜並木に因んだ豊臣時代からの名前らしいのですが、豊臣時代の桜門はより西側にあったとか。門の左右にある巨石は龍虎石と呼ばれ、雨が降ると右に龍、左に虎がそれぞれ現れると解説板にありました。聞いてはいましたが大阪城は本当に巨石の展覧会かのようです。

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そして、大坂城内最大の「蛸石」の登場です。表面積で36畳敷、高5.5メートル、長さ11メートル、推測130トンの巨石。左隅にタコのような紋様が見えるから蛸石と呼ばれており、その隣には城内3位の「振袖石」もあり、訪問者に徳川家の力を見せつけています。

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これらの巨石はみな瀬戸内海の島々より運ばれたもので、陸揚げしてからは木製の台車「修羅」で修羅引きされて運ばれたとか。運搬中に荒天で海や川に沈めてしまったり、陸送中に誤って欠いてしまったりして大変な事になったりしたのも多々あったのでしょう。

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なんだかんだで天守閣までやってこれました。写真には入っていないですが旧第四師団司令部の建物を改めた、新しい商業施設MIRAIZAが天守傍にあります。そこを覗いてから天守閣に向かおうとした時に電話が鳴ってしまい、講談のお決まりの締めように「大阪城はこれからが見所ですが、ちょうどお時間となりました」。予定より1時間早い…。

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仕事仲間と合流して食事をすることに。当初は他のお店に入り、お座敷でメニューを捲っていました。食べたいものがなかったのか、ワガママ姫が「わたし鰻が食べたい」と言い放ち、「すみません、スミマセン」と謝りながら移動してきたのがコチラのお店。

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1人前4,500円と昼食には結構な値段の鰻を3人で食し、午後の会議に参加すべくタクシーに乗車。大阪城は天守閣にイザという場面で引き返したので悔しさが大いに残り、近いうちに再訪して屈辱戦をせねばと誓ったのでした。

<追記>

大阪城再訪でなく、巨石の方を際に追いかけてみました。

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