カツオ、カジキ、サメで有名な気仙沼魚市場を見学してみました

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宮城県東北部、リアス式海岸と漁業で有名な気仙沼を訪れる機会がありました。関東と比べると東北は寒く、午前6時と朝早くに気仙沼に入りしたので何処かで休憩でもと考え、気仙沼漁市場でも見てみるかと市内に向かったのでした。

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気仙沼は西に北上山系の稜線が連なり、東に太平洋の大海原に面する地の狭隘な地に人々が暮らしてきた場所です。三陸海岸にある唐桑半島と岩井崎に囲まれた気仙沼湾は湾口にある大島が東湾と西湾に二部分し、気仙沼市はその湾奥に位置します。帆船時代には周囲の丘陵により北風/西風を防ぐことで風待ちをし、北西から吹く風に乗り南東方向に開けた海に船出をしたと言われています。

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こちらは気仙沼上空を昨年飛行した時に撮影した写真です。上空から鳥瞰すると気仙沼の地形がよく分ります。高さ1メートルの津波に遭遇するとまず助からないと言われるところですが、気仙沼市内での最も高い津波跡は本吉地区で21メートルでした。朝日町(ひとつ上の地図の中央上にあるX印)と潮見町にあった屋外石油タンクが大津波によって23基中22基が流されてしまい、湾内に広がった重油に海上で火が付き市街地を含む大規模火災に至りました。3月11日は西風が吹いていました。市内の人口の1.3パーセントにあたる1,032人(行方不明者324人を除く)が震災で亡くなっています。

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気仙沼市内と大島を25分で結ぶ大島汽船のドリーム大島が、穏やかな湾内を気仙沼へ向かっているのが見えます。既に震災から7年が経ち、気仙沼はまだまだ至る所で重機の作業音が響いています。昨年秋には気仙沼市街と気仙沼大島を結ぶ気仙沼大島大橋が架橋され、「震災前に戻す」を超えた復興事業で地域に喜び拡がりました。

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岩手県、宮城県、福島県の被災3県を跨ぐ総延長300キロを越える巨大防潮堤を国は現在建設しており、三陸海岸沿いの至る所でその工事を目にすることができます。気仙沼でも全長40キロ、最大高さ14.7メートルにも及ぶ防潮堤を持つことになり、その防潮堤を上から2番目に画像(地図)に茶色線を引いてみると、ほぼ市内全域に設置しようとしているのが判ります。東日本大震災で浸水した場所をゼロに押さえ込もうとする強い意思が表れているかようです。

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気仙沼市魚市場近くの魚町では、高さ4メートル、長さ300メートルの防潮堤を建設するはずでした。震災による地面隆起を考慮せず誤って22cm高く造ってしまったことで合意まで揉めに揉めた市民側と再び紛糾。行政はここに防潮堤を築くのを断念したかのように工事は中断されています。もし、防潮堤なしとなった場合に次の大津波が襲来した場合には、魚町に湾内の津波が集中して流れ込み、また周辺のに被害を拡大する起点となってしまうかもしれません。

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漁船が多く停泊する港を歩き、シャークミュージアムや氷の水族館等の入る観光施設・気仙沼「海の市」に到着しました。第二/第四水曜日が定休日だったからか、早朝6時台に訪れたためか「本日休館日」の案内板が出たままでした。海の市は震災前には年間100万人を越す観光客で賑わう観光施設でしたが、海の前にあったため被災してしまい、復旧に3年の時間を要しました。

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その海の市の2階の飲食店街を抜け、北側にある気仙沼市魚市場へと向かいます。計画ではこの橋の下を高さ3.4mの防潮堤が魚の市と魚市場の間に設けられ、一定間隔ごとにアクリル製の「窓」が防潮堤に設置されて海が見えるようになるとか...。訪問した時期ではまだ何もありませんでした。

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気仙沼は水産業振興のために最重要な特定第三種漁港(全国で13箇所)に国より指定されています。世界三大漁場のひとつと称される三陸沖漁場の水揚げ港であると共に、マグロ等の遠洋漁業基地ともなっており、カツオ、カジキ、サメの3種は全国一位、総水揚量では全国3千ある漁港で10位を誇ります。

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現在の魚市場は昭和31年(1956年)に出来たもので、幅25.6メートル、長さ320メートルと東洋一の規模を当時は誇り 、カツオの一本釣りに、マグロの延縄漁、沖合で捕れるサンマ等の水揚漁港として気仙沼の賑わいの中心であり続けています。魚市場内には見学者用通路が2階に設けられており、かなり近い距離で市場を見られるようになっています。

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まずは第3入札場付近のビューポイントまでやって来ました。奥には魚を入れる青い容器が山と積まれ、手前にはそれを運ぶフォークリフトがずらりと並んでいます。この向こう側に新棟CDEが10月開業を目指して工事中で、完成時には高度衛生対応の魚市場と観光施設ができる予定で、マグロ、サメ、メカジキにサンマを新棟では取り扱うそうです。

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少し戻って第1入札上付近です。この辺りには大型魚が主に取引される場所で、訪れた日にも100キロを越すメカジキを始めマグロ等も見ることができました。大型魚が並ぶ光景はやはり壮観なものです。気仙沼と言えばサメが有名なので、山となっている姿を見てみたかったのですが、4-6月のシーズンにも関わらず余り見ることができずで残念。

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通路の途中にある休憩所。先客のカラスも入船を待ってか休憩をしていました。気仙沼では「今日も猫またぎ=大漁」という言葉があり、あまりの大漁ぶりに猫も魚に目もくれない状態のことを言うらしいのですが、気仙沼漁港のカラスやウミネコ達も相当な魚通だそうです。

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北入札場まで戻ってきました。ここは近海で採れた魚を売買している場所で、訪れた日も三陸沖の幸が盛り沢山でした。魚市場と言っても威勢の良い競りの声が響くのは昔の話しで、現在は電子入札制度となっており、タブレットを持つ仲買人の人達もチラホラ見えました。

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大きい黒鯛をケースから移しています。夜明け前に漁港を出発し、沖合で長さ300メートルもの網を使って回遊する魚達を入ったら出れない「袋網」に追い込む定置網漁で捕った魚達が並んでいます。

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気仙沼漁港ではなく近隣漁港で水揚げされたと思しき魚もトラックで陸送されていました。ちなみに震災時に津波はこの2階通路を越えて、天井近くまでの高さまで襲ってきたそうです。魚市場にいた人達は3階屋上で湾内を渦巻く津波が漁船をはじめ、全てを呑み込んでいく様を見ているしかなかったと聞いたことがあります。

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競りの締切時間が近いとアナウンスが流れると、仲買人達が何処からともなく現れ、最後の品定めをしていました。ここで買い取られた魚達は地元だけではなく仙台、東京や西日本の市場やスーパーへと送られたり、市内に多数立地する水産加工工場で加工されて製品となっていきます。

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ダダダダとのエンジン音と共に漁船が入港してきたと思ったら、素早い手際で陸揚げを開始です。遠目で自信がありませんがサワラを中心とした魚が大型タモでコンベアに載せられていました。接岸している20トン程の漁船の後に大きめな船多数並んでいるは全てオイルタンカー船です。気仙沼の石油タンクは全て流されてしまったので、7年経った現在でも暫定的にタンカー船を石油タンク代わりに使用しているのです。

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水揚げの作業場にスーツ姿と魚市場には似合わない人達が見えますが、この人達は県職員で放射能検査をしている方々です。

東日本大震災の被災地はどうしても津波と放射能ばかりになってしまうので記事にするのをこれまで避け続けていました。今回は気仙沼漁市場見学だけを書こうと思っていたはずですが、ここまで思うがままに書き進めてみたのを読み返すとほぼ全文が震災絡みとなってしまいました。