宮光園で大正時代の35mmフィルムを見て、ワインの日本史を少し学ぶ

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ぶどう橋からの東側の眺め。写真右奥に架かる橋は中央高速道路&正面に見えるのが甲州高尾山。清流の左右と高尾山の麓も葡萄畑になっており、勝沼らしい風景です。

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ぶどう橋から徒歩数分のところにある宮光園にやって来ました。宮光園は地元の豪農・宮崎光太朗が創業した葡萄酒醸造場と観光農園で、宮崎光太朗の私邸内に120年以上も前に開かれた場所になります。主屋、白倉に続く復元工場で門、塀と庭園の工場が終了したばかりのピカピカな状態になっていました。

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内庭よりの主屋の眺め。1階は和風ですが、2階が洋風?と不思議な建物になっています。

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平日で人が少なかったので、ボランティアガイドさんを独り占めして話しを伺う事ができました。勝沼は元は養蚕の盛んな地域で、この主屋の2階は養蚕場だったとか。この建物の地下には石室があり、土間にある板を外すと地下の謎の空間に降りる事ができると、実際に板を外して見せて頂けました。この地下空間はおそらく蚕を低温保存する為に利用したのではないかと仰っていました。

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座敷では2008年に発見された、大正時代に作成されたの宮光園の長編宣伝ビデオ 「宮光園映像資料」が流されており、往時の葡萄栽培、ワイン醸造、運搬作業、視察団の歓迎風景や東京の瓶詰め工場等の貴重な映像を見ることができました。同じものが山梨県/「葡萄とワインの里の原風景」でも公開されています。

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座敷奥には貴賓用の椅子とテーブル。宮光園(宮崎光太朗の葡萄園)には昭和天皇ははじめとする皇族をはじめ、内閣総理大臣等の錚々たる顔ぶれが此処を訪れ歴史があるようです。受けた説明によると、上述のビデオにもこの貴賓席が映っているとか。

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昭和10年代に大黒天印甲斐葡萄酒が製造し、近年「発見」された当時ワイン現品。2年前にお偉いさん達により試飲がされたそうです。ガイドさんには残念ながら、お零れに預かる機会はなかったそうです。

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宮光園入口の立て看板にあった「勝沼ワイン140年記念事業」として展示されていた昔の看板。現存する日本最古のワイナリーまるき葡萄酒株式会社こと「マルキ」の文字が見えます。自分が滞在している間に日本農業新聞?の記者が取材をしていました。

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2階は展示室になっており、勝沼の葡萄栽培や宮光園の歴史等が沢山陳列されています。

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ガイドの方より主屋の後ろに国内初のワイン醸造場の跡地が見られると聞いていたので見学。2台停まっているクルマの後ろ側にある茶色の場所がそれで、隣に煉瓦作りの煙突があると聞いたので間違えなさそうです。第一醸造場の建屋は太平洋戦争時に軍隊の命令で失くなったそうです。

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宮崎醸造場を写した写真です。両天秤の葡萄が見えなければ酒蔵の方がお似合いに見えてしまいます。この建物が残っていないために、最初の本格的な国内ワイナリーとして国が認めているのは茨城県にあるシャトーカミヤ(重要文化財・神谷伝兵衛記念館)になってしまっているとボヤいていました。

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窓をよく見るとユガミが有るのと無いのが分かります。修復作業時に使用に耐えない窓は新しいものと交換されたのかもと考えました。

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主屋の横に建つ白倉(白ワイン貯蔵庫)に展示されている大きな樽たち。1919年に東京・下落合に設立した瓶詰め工場へ、これらの樽は貨物列車に載せられ目白駅へと送られました。先程見たビデオでその映像を見たのですが、大正時代の目白駅周辺の様子が細かく映っており、目白駅に頻繁に行くことのある自分には少なからず驚きで魅入ってしまいました。

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戦後まもなく撮影された目白駅周辺の空中写真です。中央の左向き矢印は貨物駅のあったと思われる辺りを、下の上向き矢印は瓶詰め工場の場所を指し示しています。

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上の上空写真から見ても、JR山手線・目白駅(高田馬場寄り)線路東側のデサントや公団ビルが建っている場所が当時の貨物駅だったと思われます。

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貨物列車からワイン詰めされた樽を降ろし、トラックや馬車に載せ替え。

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学習院・血洗い池のちょうど西側にあたる、公団の建物と建物の間に小さな坂が残っていますが、もしかするとワイン樽を載せた荷馬車が実際に通ったのも此処かも知れません。

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学習院大学と線路の間を走る長い下り坂、目白台から神田川の低地へ向かっています。先程の小坂を登り切った荷馬車は、この長い下り坂を進んだに違いありません。

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坂の下側から撮影しており、ワイン樽を牽く馬が坂を下っているシーンです。右手の緑は学習院の敷地かと思われます。

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学習院下まで降りT字路で右折すると、線路の下にトンネルが現れます。戦後すぐの写真でもトンネルが確認でき、貨物駅から東京工場までの最短ルートでもあるので、ワイン樽もここを通っていたのが想像できます。

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大黒葡萄酒・東京工場と事務所の映像。

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大黒葡萄酒のあった土地には高田馬場住宅という大きな集合住宅が建っていました。圧迫感を感じるものがあり、遠目に写真だけ撮って退散しました...。

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戦前は葡萄酒、戦後はオーシャンと名前を変えてウイスキーを製造していましたが、三楽酒造に吸収合併されてしまい、宮崎光太朗が設立した大黒葡萄酒はその歴史を閉じる事になりました。

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ワインの歴史に疎いので、今回の宮光園訪問で日本のワイン黎明期が少し分かってきた気分になりました。三楽酒造は吸収合併を続けていき、メルシャンとなり、今世紀に入ってからキリンに合併されました。これが自分には案外一番の驚きだったかも知れません。

これまでメルシャンの椀子ヴィンヤードは美味しいと飲んでいたのが、キリンビールだった(メルシャンは会社として存続中)のかと思うと、過去に頂いたメルシャンのワインすらホップの効いた苦味がする気がしてきました。