日本航空JAL221 (羽田→関西)B738 富士山を拝んで関空に無事到着

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月に何度か必ず訪れる関西に出張でまた出掛けました。大阪を訪れる時には飛行機で伊丹空港か関西空港、神戸空港のいずれかに入り、帰りは新幹線で戻るのが最近の自分の定番となっています。この日に乗るJAL221便は朝7時20分発→関西空港着8時25着予定の便でした。

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羽田発の伊丹行きの便であれば、東京と大阪を結ぶ主要路線ともあり検査場近くの場所に搭乗ゲートがあるものですが、関西空港行きは同じ大阪行きでもターミナルビルの最も奥の搭乗ゲート24番とだいぶ格下の扱いを受けているようです。

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羽田空港から関西空港(北風時)までの通常ルートこんな感じになります。伊丹空港行きであれば、奈良県と大阪府の境にある信貴山を目指すのでより北側の航路をとりますが、関西空港を目指す場合は和歌山市と淡路島の間の紀淡海峡で旋回して空港島へアプローチします。

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搭乗したJAL221便の座席は見慣れたスカイネクスト仕様。エコノミー席でも本革シートでなかなか快適で、ライバルのANAの座席よりもコチラの方が気に入っています。人生初の旅客機も、初の海外線(成田→アンカレッジ)も日本航空でしたので、全日空よりも日本航空に縁を感じて贔屓目で見ているかもしれません。

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第1ターミナルビルの北端ゲートから、空港南のD滑走路を目指していきます。陸地側に羽田空港・国際線ターミナルビルを横目にしながら、早足での地上滑走中。滑走中に特別機が目の前を通り過ぎる事がままあり、この日も政府専用機のシャッターチャンス逃してしまい、ただ目で追うばかしとなったのでした。

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D滑走路05を北東に出発して、直ぐにキツイ右旋回でD滑走路に並行して飛ぶかのように西へ向かい始めました。雲底高さは目測で1,000m程でしょうか? 空港の待合所で目にした天気予報では関西地方も雲に覆われているとかで、この日は雲上飛行ばかしかと溜息を吐いたのでした。

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この日に座った座席はいつも通りに隣は空席でした。ただし、いつもと違い前後の席に一眼レフカメラを持った人達に挟まれており、離陸直後からパシャパシャとシャッター音が続き、雲に突入前後でもパシャパシャと鳴り響いていました。

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その一眼レフカメラの方達は主翼の向こうに小さく光る富士の頂きが目に入らなかった模様。静かな機内で、自分だけコッソリと富士山を撮りました。

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より接近した富士山です。操縦席のアナウンスがここらで流れる事が多く、「当機は現在、富士山の近くを飛んでおり、右手に富士山が...」と聞こえてもよい場面ですが、そのようなアナウンスは今回はありませんでした。

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知多湾上空で雲が切れたので、主翼の下に矢作川、境川の両側に広がる西三河地方の写真を撮ってみました。ここは醸造文化が現在も豊かな地域ですので、名古屋への出張時に立ち寄れないかと画策し続けていますが、自分の努力が足りないのか半年を既に過ぎても遅々として進まず...。

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伊勢湾を渡り切る前に広い雲が迫り、伊勢志摩から紀伊山地の殆どは雲の上で何も見ることができませんでした。雲上飛行から雲に飛び込み高度を落として行く時に、いつも雲を抜けると山が迫っているのではないかという脅迫概念に囚われてしまいます。海上であればまだしも、山脈が走るような場所であれば尚更で、この日も手に汗を握りました。

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雲の下に出たと思ったら既に和歌山市付近でした。今回の出張の寄り道に醤油発祥の地・和歌山県湯浅町を考えていたので、上空から街並み撮れないかと狙うもダメでした。関西空港は卓越風向に合わせて滑走路の向きが決められており、滑走路は06/24(北東と南西)に配置されています。冬に西北からの風吹く時があるものの概ね北東/北西に風が吹き、この日も北東からの風を受けての滑走路06への着陸でした。

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接地後にゴーと大きな音をたてながらの減速中。この日も無事に目的地到着となりました。国内線の定期旅客便で死者を含む事故はあの日本航空123便が最後です(国際線含むと1996年のガルーダ・インドネシア航空による福岡離陸事故が最後)。ですので、1985年8月より凡そ33年に渡り国内線で死者含む深刻な大惨事は起きておらず、航空機事故をあまり心配せずに旅客機による移動ができる日々が続いています。このように空の旅が安心してできる日が長く、長く続くよう願いたいと思いました。